見出し画像

峯澤典子×古屋朋 対談『てばなし』刊行記念 vol.8

安心して、癒される。


峯:古屋さんの詩は、感覚的なものと、知性や論理的なものがまじりあっていて、どっちもご自身が信頼しているツールなのかなと思いますけれど。書きっぱなしにしていないのに、自由に言葉に任せている面もあったり。そんな知性と五感のバランスが魅力だなと思っています。

古:ありがとうございます。うれしいです。

峯:私が一番に好きなのは読んでいて静かになれる詩で、古屋さんの詩は『ひとつゆび』からそうなんですけど、本当に静かな気持ちにさせてくれるんですよ。

言葉と自分自身が1対1になれる。そういう静けさを古屋さんご自身が大事にされてるからなのかなと。

今日のお話の最初に、昼間の自分は、何かを演じている自分だけど、夜に詩を書いている自分というのは本来の自分、と仰っていましたね。そういう時間から静けさが生まれるんじゃないのかな……。

古:詩を書いていないときって、自分と世界の境界線がよくわからなくて、けっこう不思議な感覚で生きているんですよ(笑)

生きるために仕事はしているんですけど、ここ本当に自分がいる場所なのかな?みたいな。以前対談でも仰っていましたが、私も現実世界ではあまり人の言葉が入ってこないというか、何を言っているのかわからなくなることがあって。なんというか美しく入ってこない。

だけど、詩を書いているときは、自分の存在がそこにかっちりと当てはまるような……。

峯:しっくりしてくる?

古:そうなんです。本当の自分自身が立ち現れてくるというか。安心するし、癒されるんですね。

絵を描くのも一つの治療と言いますけど、詩を書くのも私にとって一種の治療のようなものなのかもしれません。

峯:その感覚、すごく私もわかります。日常を送っていると、半分くらいしか感覚を動かしていない気がして。

古:とてもわかります。

峯:それで、詩を書くうちに、はじめて自分の姿があらわれてくるというのがありますよね。

古:ありますよね。自分の内面の世界ってあると思うんです。自分の意識がちゃんとあるところが本当の場所。なので働く場所での肩書きだったり、親の前での娘である自分だったりって、生きているとみなさんそれぞれあるじゃないですか。そういうものは本当の自分なんだろうかっていつも思っていて。だけど、詩を書くときには解明されるという。

峯:そうですよね。詩を書いて初めて、こんなこと考えていたんだな、こういう感覚を大事にしていたんだなとわかることがありますよね。

古:書かないとわからなかったものがわかるようになりますよね。

峯:それはとても孤独だったり、悲しい記憶にもアクセスすることなのかもしれないですけれど。

でもそれは決して嫌な体験ではなくて。さっき古屋さんも癒されると仰っていましたけれど……詩を書いていると、濁っていたものが洗い流されるというか、本来の自分のひらめきとか輝きみたいなものが初めて詩の空間へとやってくるというか……。だからそういう感覚に戻れる時間は本当に面白いし、やっぱり書いちゃいますよね(笑)。



vol.9 「魂の時計をうごかす詩の時間。」へつづく


古屋朋『てばなし』のご購入はコチラから
峯澤典子関連本は
コチラから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?