業界の片隅で、これからの広告のあるべき姿を考える。
こんにちは、トライバルメディアハウスのちろうです。
このnoteは、トライバルメディアハウスの代表である池田から同僚と一緒にマーケティングや経営や財務会計などについて学習するプログラムである、通称「池塾」の事前課題です。
今回も課題図書の内容から得られた重要な気づきをまとめていきます。
今回の課題図書はこちら
マーケティングのすべての施策の目的は「意識の変化」か「行動の変化」のどちらかしかない
人間のすべての行動には目的があります。
その目的に共通することは、「(変化するはずのものが)変化しないこと」を含めて「変化」を起こすことと言えます。
すべてのマーケティング施策も同様で、その目的は「変化」を起こすことです。
その変化のモデルがAIDMAだったりAISASだったりするわけですが、つまるところ、その変化の対象は、「意識」か「行動」のどちらかしかありません。
「広告」=「意識」か「行動」を変えるためのもの
ということです。
変化を起こすために必要なこと
人の「意識」か「行動」に変化を起こすために必要なものはなんでしょうか?
それは「意識」か「行動」を変える「意味」です。
意味がわからないことには、意識も行動も変わりません。
「意識」や「行動」の変化に必要なもの=変える「意味」
無意識に行動が変わることはありますが、それは今回の「広告」の場合であればレアケースだと思うので、一旦考慮しません。
たとえば、リポビタンDの広告。
「ファイト一発」や「タウリン2000mg配合」やケイン・コスギさんらの迫真の演技などにより、受け手に「大変なときにはリポDを買う」「意味」が生まれます。
記号と意味の違い
たとえば、「りんご」。
いきなり「りんご」って言われても何かわからないですよね。
それが、「パソコンの」「ビートルズの」「女性歌手の」「島崎藤村の」などなどと言われると、それぞれにどういう「りんご」かわかります。
日頃、よく使われる「意味」という言葉ですが、情報が大爆発している現代において、「「意味」の意味」に慎重になることが重要です。
「意味」を伝えようとする行為である「広告」においては特に。
何が言いたいかというと、ただの単語である「りんご」は記号です。
「りんご」に「◯◯の」という言葉が冠されて、やっと「意味」がわかったと思います。
この「◯◯の」というものがいわゆる「文脈」と呼ばれるものです。
「文脈」というのは「前後関係」とか「背景」のようなものです。
「記号」というのは単なる「何かを表すもの」であって、その「意味」は「文脈」とセットである、ということです。
「意味」=「記号」×「文脈」
文脈や記号の強弱によって大きく影響力は変動するので「×」にしました。
クリエイティブの素晴らしさは、象徴としての記号部分での影響力ともいえますし、文脈をふまえていれば、文脈部分での影響力ともいえます。
いずれにしてもクリエイティブは大事です。(取ってつけた言い方になってしまった)
なぜ広告が効かなくなったのか
たぶんこの「なぜ効かなくなったのか」が言われる対象は主に「マス広告」だと思いますが、それはユーザーの「背景」が昔日にくらべて個別化・複雑化したからだと考えられます。
マスに向けて広告をドバーッとリーチさせて何がしかの変化を期待するのがマス広告なわけですが、その「マス」たちは、それぞれに違う友人がいてそれぞれに違うことを言ってることが目に入り、それも含めて一人ひとりが接触する情報はまるで違い、市場の成熟化によって1つの商品を選ぶのにもたくさんの選択肢があり、生活環境もまるっきり違う。
もともとそれぞれが違う「文脈」で生きてるから、そこに「記号」だけを放り込んでもアクションにはつながりにくい。「意味をなさない」から。
じゃあこれからの広告はどうするべきか
個人がほとんど共通する「文脈」をもたなくなった今、広告はどうするべきか。
もうその前提で「広告」を考えるしかない、というのが答えだと僕は思っています。
今まで述べたことのポイントです。
「広告」=人の「意識」か「行動」を変えるためのもの
人が「意識」や「行動」を変えるために必要なもの=変える「意味」
「意味」=「記号」+「文脈」
これらの原則に従って、これからの広告において大切なことは、広告の送り手として下記に向き合い、想像し抜くことだと思います。
●広告によって「意識」や「行動」をどう変えたいのか
●受け手にどういう「意味」を持ってもらいたいのか
●受け手が「記号」を解釈する「文脈」を考慮して提供する
「受け手が「記号」を解釈する「文脈」を考慮して提供する」ってどういうことか
ちなみに、なぜ「企業都合のメッセージが届かないのか」についてですが、これは送り手である企業と受け手の共有している「文脈」が違うからです。
上記で書いている「文脈」はあくまで「受け手の」文脈です。
ここはとても重要なポイントです。
受け手がその情報を受け取るであろう文脈を考慮しない情報発信は無意味です。
「文脈」は「脈」とあるとおり、「つながり」です。
「つながり」はWHAT(モノ)とWHO(ヒト)で構成されています。
インフルエンサーを活用しよう、というのもこの「つながり」によるものです。
単にフォロワーが多いだけの"インフルエンサー"にPRをお願いするのって意味がないんじゃないの?という声がちらほら聞こえ始めています(空耳かもしれません)が、これは上記で述べたとおりです。
単にフォロワーがいっぱいいるインフルエンサーは、受け手からしたら「文脈」がほとんどないので、「意味」がないわけです。
だから、フォロワーの多さっていうより、届けようとする情報と本質的な「文脈」の共通性があるような人物のほうが望ましい、というわけですね。
というわけで、業界の片隅で、これからの広告のあるべき姿を考えてみました。
まとめ
これからの広告は下記が大事だよ!!と思っています。
●広告によって「意識」や「行動」をどう変えたいのか
●受け手にどういう「意味」を持ってもらいたいのか
●受け手が「記号」を解釈する「文脈」を考慮して提供する
を圧倒的に想像し抜く。
そもそも、もはやどこまでが「広告」なのかっていう話なので、「広告」というか「コミュニケーション」って言っていいかもしれません。
広告とは。
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