「ワークライフミックス」に対する違和感

久しぶりにnoteを書きます。noteって、書きたい書きたいと心の中で叫んでいても、いざ下書き画面を開くと、「やっぱりめんどくさいかも」と思うことありませんか?まさに今、その状況です。

このテーマで、読むに足る文章を書き切れるのか自信がないですが、書きはじめてみようと思います。

あらかじめ述べておきますが、とても前向きな内容です。

このnoteを書こうと思ったきっかけ

池田さんのこのnoteでワークライフミックスという言葉が出てきます。

池田さんは常々、このnoteにあるように、

ワークライフバランスからワークライフミックスへ。バランスをとるのではなく、両方、ひとつの人生としてまるごと楽しむ。

と言っています。

僕の大まかな解釈ですが、

・社会の変化にともない「ワーク(仕事)」が「ただ生活の糧を得るための労働」から「より幸せになるために取り組むべき意義を心から感じられる活動」に変わりつつある

・しかし「ワークライフバランス」という言葉は(使われているシーンや意味において)「ワークは辛いものである」という考えを浸透・固定化させかねない

・ゆえに「ワーク(仕事)」と「ライフ(人生)」を切り離してバランスを取ろうという考え方ではなく、「ワーク(仕事)」と「ライフ(人生)」を一体に考えて全体でよりよくしていくこと=「ワークライフミックス」を謳いたい

という趣旨だと捉えています。

この考え方をはじめて聞いたとき、そうかもしれないと納得しつつ、違和感が残りました。

「ワークライフミックス」に違和感をおぼえた理由

なぜ違和感をおぼえたのか、考えてみました。

違和感をわかりやすい言葉にすると、

①「ワークライフミックス」に同意するけど実現するのは難しいのでは

②本人が満足しているなら「ワークライフバランス」で良いのでは

②ワークライフミックスもワークライフバランスの一つの形なのではないか

という3つです。

②は否定しようがないことだと思うし、③についてはクソリプに近い領域で、池田さんもそこをつっこまれるのは本意ではないと思いますが、①について池田さんが具体的に語っているのを聞いたことがありません。

その①について、池田さんの教え子の一人として語ってみよう、というのがこのnoteを書いた理由です。

マトリクスをつくってみました

ワークライフミックス実現のための課題を設定するべく、マトリクスを作ってみました。

縦軸を「(そのことをしていて)ごはんが食べられるかどうか」、横軸を「好き(お金とか外発的動機がなくてもやる)か」にすると、下記のように整理できました。

画像1

一般的に左上は「ライスワーク」、右下は「道楽」と言われています。

この図の右上に配置されるような、「好きだしごはんが食べられる」ことができれば、ワークライフミックス状態が実現できることになり(目的の達成)、「いかにそれ(=好きだしごはんが食べられることたち)をできるようにするか」が課題になります。(好きでもずっとやっているのはつらい、というようなこともあると思いますが、程度問題としてここでは言及しません)

2つの壁

「好きだしごはんが食べられる」と「好きじゃないけどごはんのためにする」の間には「好きの壁」が、「好きだしごはんが食べられる」と「好きだけどごはんが食べられない」の間には「ごはんの壁」が存在しています。

画像3

この壁が厚かったり、高かかったりするかもしれませんが、シンプルに考えれば、「ワークライフミックス」を実現するためには、今自分が従事していることが、「ごはん」か「好き」かどちらかの壁さえ越えれば良い、ということになります。

ワークライフミックスを実現するための3つの行動

いろいろと述べてきましたが、つまるところ、

1.今従事していること(「ライスワーク」「道楽」問わず)をならべる

2.それぞれがどれだけ「好きの壁」「ごはんの壁」を超えるのが簡単かを考えてみる

3.やってみたいものから壁越えに挑戦してみる

が良いのかなと思っています。1とか2をしていてどうもつまらないなーと思ったら、全然違うことに挑戦してみてもいいですね。

当たり前じゃん、という話ではありつつ、愚直に1~3をやると成果が確実に出る気がします。



そんなことを考えてみた週末でした。池田さんの感想が聞いてみたいです。

みなさんそれぞれに良い週末をおすごしください。


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