No.111「無名人インタビュー」の注釈, 補足及び分析 Appendix『だからお前は阿呆なのだ!』

 先日受けた「無名人インタビュー」

についての備忘録としてまとめた

で述べた「異常な倒錯」を巡る「解釈問題」がアッサリ解けたので, それを追記として述べる. 

 簡単に「問題」を復習すると以下のようになる.


「無名人インタビュー」の中で私は

「自分の未来は見えない. If など存在しない」

としきりに答えている一方で, 自身以外の対象に対しての If は日常的に考えているという「異常な倒錯」が起きており, それが「無名人インタビュー」を通じて浮き彫りになった. これはあらゆる意味で異常であるが, 特に

『この「異常な倒錯」に「無名人インタビュー」をするまで気付けなかった』

という点(こんなに自明なことに, こんなに非自明なアプローチをするまで気付けなかった点)が最も異常である. そして, これを意識的に認識すると, 自分が急に非常に危うい立ち方をしている(それこそ「哲也」でドサ健が語っていた比喩を用いれば「地上数百メートル上に架けられた細い板の上を歩いている」)ような気がして, 恐怖を覚える.

 他方でこの「異常な倒錯」とその周辺にこそ, 今回抽出された「純粋な私」の本質が隠されているように思えてならない. そこに潜んでいるモノは一体何なのか. それが問題だ. 

 で, 結論から言うと, 答えはもう出ている, というより元の「無名人インタビュー」に既に書いてあるのである. すなわちサムネにデカデカと

『愚者(と恋人)をよく引く人』

と. 実際, インタビューの中で私自身が言っているではないか

『愚者とは「その先に崖があるんだけど、あると知りながら崖への歩みを止めない者」ではなく, 「そもそも崖から落ちるとさえ思わずに, 崖の先に歩を進める者」』 

と. この解釈を先に述べたドサ健の比喩にそのまま応用すれば, それが答えなのだ. 

 すなわち私には If をめぐる「異常な倒錯」があり, またそれによって生じている自身の異常さ, 危うさという全く自明な事象を, 「「一番の無名人」インタビュー」を受け, 更にそれを詳しく分析するまで自身で全く認識することができなかった. そしてそこで認識できて初めて, 自分が足場の(殆ど)ない場所に立っていることに気付かされた. 

そうであるがゆえに, 私は「愚者」なのだ (『だからお前は阿呆なのだ!』) 

すなわち, この「異常な倒錯」に隠されていた「純粋な私」の本質は「愚者」ということに他ならない. 答えは, 問題を問う前に, いやそれどころか「無名人インタビュー」の中身を読む前に既に書かれていたのだ!!

 前回の note を書いた時に何でコレに気付けなかったんだろう…  (『だからお前は阿呆なのだ!』) まぁ, 自分の頭のデキは元々そんなによくないのだから, 問題設定から24時間以内に解決できた(逆にそれ以上の時間は浪費しなかった)ことで, 十分満足すべきなのかもしれない.

 というより寧ろこれは qbc 氏の慧眼を称えるべきであろう. 実際, 今回の「無名人インタビュー」の表題を決めたのは私ではなく qbc 氏である. 正直, 何故をこれを選んだのか全く理解できていなかったが, ここまできて初めてその意味がわかった. こうなれば正に古典落語のような

『お後がよろしいようで』

なわけで, 確かにこれしかない (You're right!). こんな「答えの先置き」をされてしまうと, 「凄い」を通り越して「恐ろしい」という感じになる.

恐るべし「無名人インタビュー」. 

 ただそうなると別の問も自然に浮かぶ. それは当然「恋人」の解釈である. つまり

「異常な倒錯」 =「愚者」

であるならば, 私の「無名人インタビュー」の中で「恋人」にあたるものは一体何であろうか? これは今のところわからんな. もしかしたら「愚者」の象意の変化が鍵だったように, 「恋人」の方の象意も何か変える必要があるのかもしれない. 今度東京に出張した時に, 件の「愚者」のことを教えてくれた占い師の人のところにもう一度行ってみるかな. 

 

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