No.110 「無名人インタビュー」の注釈, 補足及び分析

運命の しるべのままに 幾星霜 
流れ流され 数奇な旅路

0. Abstract

 先日受けた「無名人インタビュー」

についての備忘録として, 舞台裏, 個人的につけておきたい注釈と補足, 更に改めて読んでみての雑感と分析を述べる. 

1. Introduction

 先日受けた「無名人インタビュー」の note がこの程あがった. まずは何より, この非常に込み入った今回のインタビューをこのような素晴らしい形に仕上げていただいた

【インタビュー・総編集:qbc】

【文字起こし:釘】

【編集:なずなはな】

をはじめ, 「無名人インタビュー」企画の関係各氏に改めて御礼を申し上げる. 

 今回の「無名人インタビュー」内でも一番最後の部分で述べているが, 何度かインタビュー経験(したことも, されたことも)ある私でも, 今回のインタビューはかなり異色のモノであった. これは私の個人的な見解に留まらず, 今回私のインタビューを担当した qbc 氏も同様だったようで, インタビュー後の note の作成過程における彼とのやりとりの中でもその特異性, 異色性に関しての言及が度々なされていた. 

 また後述するように, 今回のインタビューの動機は, 一種の(異色の)自己分析にあったので, 完成した note に関しての分析をもって, 今回の試みは完結する. そこで作成の舞台裏の記録に, 本文の注釈, 補足を加え, それを踏まえた上での分析(いわば今回のオチ)を述べる. 

2. インタビューの舞台裏

 まず今回のインタビューの経緯について手短に述べよう. 全ては今年の3月中頃に書いた

にはじまる. 見ていただければ, 文字通り一目瞭然で, 「自己紹介」タグがついていた性か, 私の note にしては珍しく非常にたくさんの「いいね」がついている. それでこの note だったか, これを共有した Twitter だったかは忘れたが, そのどちらかが「無名人インタビュー」(のアカウント)により「いいね」もしくはリツイートされたのである.

 最初はたまに絡んでくる謎企業, 謎団体, 謎企画系のアカウントかと思ったが, 調べてみると「無名人インタビュー」という何やら不思議で面白そうなことをやっていた. そこで, 「自己紹介しない自己紹介」の実践編として, 今回のインタビューの冒頭でも述べているような「非常に complicate な企画」を思いつき, ズボラで怠惰な私には珍しく, サッとインタビューを申し込んだ.

 実際, 「No.100 自己紹介しない自己紹介 (N0.100版)」を書いたのが3月13日(月), 申し込んだのが3月15日(水). 「無名人インタビュー」サイドからは直ちに response があり, インタビューの日程の選定が行われた(これは専用の form を使って空いている枠の中からこちらが選択する). 当初は1週間後に行う予定だったが, 私の方の都合がつかなくなって更にもう1週間延ばしてもらい(ちなみに日程の変更も何日か前までこちらで行える), インタビューが行われたのは3月の末日であった. 

 ちなみにこの日も諸々の用件が重なり, 都合は悪くなりかけたが, 流石に2度の延期と, 年度を跨ぐことを嫌った(ゲン担ぎ)こともあり, 職場からという形でそのままインタビューを受けることにした. インタビューは Zoom を用いて, 21時から22時の1時間で行われた. 正確には, 互いのカメラはオフ(恐らくオンにもできたとは思う)の状態で, 向こうが文字起こしようの録音音源を録音する形式で, recording を切ったオフレコ時間込みでザッと1時間15分の所要時間であった.

 また一応「No.100 自己紹介しない自己紹介 (N0.100版)」に基づくという体の企画であったので, 双方の画面で該当する私の note を互いに適宜参照しながら話し合うというもので, これはオンラインならではというか, インタビューというよりは, コロナ騒動の際にここ2, 3年で経験したオンライン上での実際の企画や仕事の打ち合わせに近い感覚だったと思う. 

 個人的には, インタビューする時間としては若干足りない(つまりこちらでも時間を一緒に測っていて, その都合で話題を端折った個所が何か所もあった)気もしたが, インタビューとしてまとめる分量としては結果として適当な塩梅であったと思う. 

 インタビューの最後に私自身も「これでまとまるのか」と危惧していたが, 「4月末までに原稿を仕上げる」という「無名人インタビュー」サイドの当初の告知とは裏腹に, 校正原稿は4月の中頃には上がってきた(原稿は google form (?)で共有して修正する). 「仕事がはやい!」と驚いたが, 曰く

「文字起こし、編集に通常の2倍かかった」

とのことなので, 本当はもっとはやいのかもしれない. が, 例によって(?)年度初めの忙しい時期で, 私が原稿に手が付けられず, 原稿の修正を送れた(正確には修正は直接共有データで行い, 原稿に赤入れして修正したリストのスキャンデータをメールで送った)のは4月末であった.

 このような感じで, 延べ2ヶ月の工程を経て, この度 note にあがる運びとなった. 私の不安とは裏腹にそれなりに綺麗にまとまっていたし, 対応には概ね満足したが, ただ一点, 最終稿のチェックができなかったのは不満点であった. だから今あがっている note でも修正したい個所が少なからずある. 普通「赤入れ」は「初稿」と「最終稿」と少なくとも2回はあるはずなのだが, この辺はスピード優先のネットの culture なのかもしれない. 

 ちなみに修正加筆に関しては, あくまで私が必要最低限と判断した範囲のものであり, 基本的には「無名人インタビュー」サイドが作成した原稿をそのまま反映したものになっているが, 一応修正, 加筆した基準も述べておく.

a) 明らかに発言が誤っている, もしくは前後の文脈から誤解を招きそうな場合には, 前後の接続も含め適当に改変した. ただし, 「三十にして立つ」の行のように「誤っていること」それ自身がインタビュー中に認識され, それ自体を議論している場合は, その誤りを修正せずにあえてそのままにしている個所もある. 
b) インタビューで地の文自体が『発言』になっているので, その中で言及したメタ的な「発言」に関しては「」をつけた(元の原稿にはこの配慮が無く非常に読みづらかった). ただし, その基準はあいまいで, あまり統一感がない. 本当はこの辺を最終稿の段階でもっと改良したかった. 
c) 時間の都合上, あるいはやりとりの都合上遮られて省いた発言を, 流れを損なわない範囲で適当に加筆している. 

3. 注釈と補足

 ここでは実際の note の裏側あるいは更なる奥として, 実際のインタビューを受けていた時の心境や追記を兼ねた12個の注釈と補足を述べる. ただし, 原稿のページと段落の指定ができないので (こういうとき note は不便である), 該当する前後をコピペして, 注の範囲を指定することにする. 

1) qbc:そうですね。今、何をしてる人ですかね?
 冒頭の方ではなく, 「非常に complicate な企画」の説明をした後の方のヤツ. ぶっちゃけた話をすると, こちらが懇切丁寧に企画の説明をしたのに, 最初と全く同じことを聴き返してきたことにこの時点では失望した(「コイツ, 大丈夫かな…」と思った. 尤も向こうも同じことを思っていたんだろうが). ただ, 後になってから考えてみれば, こんな変なヤツの扱いにインタビュアーの qbc 氏 もかなり戸惑っていたのだと思う. なので, とりあえずマニュアル的に対応して様子見した彼の対応は正解だったと言えるだろう. 実際, その後, 何を聞こうとも何も答えず, お返しとばかりに同じようなことを同じように返答し続ける私から, うまく色々な話題を引き出していった手腕は見事だった. なので読者はこの note を読むことで, 彼のインタビュアーとしての力量の高さを体感することができるだろう. 

2) でも note 見ると、「タイタニック」を見てその前に「モリコーネ」を、
 当日は「タイタニック」の話を主にしたが, それだけでなく実は「モリコーネ」の方についても話をしようとした. ただ, 時間の都合で qbc 氏に「それは該当する note を参照してもらうことにしましょう」と言って打ち切られた. 勿論これは英断であって, むしろ

「そもそもそういう発想ができてしまうというのが note でのインタビューでの advantage なのだ」

ということに, 原稿が出来上がってから気付いて感心した. ただ, ここで「モリコーネ」サイドに話を振っていた(それこそ後で論じられる!!) If の場合何が起きていたのかは興味がある. この時も「タイタニック」の方に話を振ったのも「全くの気まぐれ」というより正に「運命」という方が正しい. というのも後述する理由(「LIVE A LIVE」)から多分この翌日にインタビューを受けていたら, 私は間違いなく「モリコーネ」(と下村陽子)の話をしていたからである. 

3) 97年の四半世紀前の、公開された日に見に行ったっていうんで。
 これ直したはずなのに直ってないな… 正確にはもちろん「公開された日」ではなく, 「公開されていた時」の間違い. いや, あるいは公開日の可能性もある(割合早い時期)んだけど, 多分公開日ではなく, その何日か後か, 何週間か後だったと思う. 「もののけ姫」の後に観たことは確かだった気がする(逆に「もののけ姫」を観にいったのは公開から随分経ってからだったことを覚えている). 

4) 大山のぶ代も何とかっていうゲーム、インベーダーゲームみたいなやつ
  Wikipedia でも, google 君の suggest でもわかるように, これは「インベーダーゲーム」ではなく, 「アルカノイド」である. その昔, 「トリビアの泉」で知ったトリビアである. 

5) あれに近いよね、占いに近い感じがするんだけど。
 これを契機に, 何故か表題「愚者と恋人をよく引く人」をはじめ, やたら占い押し(推し)の構成のインタビューにされてしまった. それ自体には不満はないが, ただ一点だけ別に私はそちらの専門家ではなく, 雑に勉強したことを, うろ覚えで適当なことを適当に言っているだけであることは十分にご留意いただきたい. なので, トーゼン以下述べている諸々のことは大体適当だし, 間違っている可能性も大いにある. 

6) ってか21世紀になってから、ソシャゲ(アイギス)以外のゲームはほとんどやってないと思いますよ、私。20世紀までだと思う。
 この発言が嘘だったことをこの翌日に思い出す. というのはこの翌日に「LIVE A LIVE HD-2D」PS4, PS5, Steam版発表トレーラー

が発表され, 

「あ, そういえば去年「LIVE A LIVE HD-2D remake」をやるためにゲームボー以来実に30年ぶりに据え置きゲーム機(Switch)を買って夏休みにやったんだった」

と思い出したからである.
 なんでこんな大事なことを忘れてたんだろう, ワシ... 去年は「LIVE A LIVE HD-2D remake」関連の note も結構書いたし, 

今一度 人の生き様 世に問わん
令和の御世の ライブアライブ

なんて歌まで詠んだ(ファミ通にも採用された)のに… 多分, 忙しすぎるんだな, ワシ… 「LIVE A LIVE」の書きかけの note も全然仕上がんないし(5月の連休中に書こうと思ったのに, 忙しくて何もできんかった)… 
 ただ, さっきの「タイタニック」と「モリコーネ」の If の話ではないが, これが1日ズレて, ここで「LIVE A LIVE」に話を振らなかったということが, 私の運命だったように思う. つまり私が「無名人インタビュー」において語るべき主題は「それ」ではなかったということなのだ. 

7) しぶやん:そうそう。何かの方便に使えるだろうと思ったのかな。多分そうだったと思う。
 実はこの後, 私の「方便論」(方便の本地垂迹論)について話そうかと思ったのだが, qbc 氏が直後に別の話を振ったので, それについては述べなかった. これも「モリコーネ」や「LIVE A LIVE」と同様に「「運命」の選択」のわけだが, ただこの部分に関しては後に振り返ったとき,

「もしここでそれについて述べていたら, 以後の話の流れは全く違うものになっていた可能性が大きい」

と感じる, このインタビューにおける決定的な分岐点であったと思う. その時は果たしてどういう展開になっていたのか, その If をトーゼン私は何も想像できない(『「想像できないから、そんなものは最初から存在しなかったんだ」という解釈』).
 だが, 一方で qbc 氏曰く

「無名人インタビューを受ける多くの人がこういう If が想像できる」

というのだから, 全く驚かされる (バケモノだらけだな, この界隈は). 

8) しぶやん:悪くはないんじゃない? そこだけは私の世界でしょう。その不条理な偶然の積み重ねは、私にしかできないので。
 出来上がった原稿に目を通して, 一番驚き, 印象的だったのはここである. これは非常に重要なので節を改めて再度論じるが, 今回の私の「無名人インタビュー」の最大の成果の一つは間違いなく

「この発言を私から引き出したこと」

である(もう一つは後述する「倒錯」を認識させたことである). 他の部分に関しては, 概ねこれまでもどこかで誰かに意識的に言ったり, 書いたり, まとめたりしたことがあるものだが, この「不条理な偶然」を巡る一連の発言は, 私の無意識化に埋もれていた真に新しい発言で, 恐らく今回のような極めて異色, 極めて変則的なアプローチでなければ, (下手をすれば生涯)「掘り出す」ことが出来なかったかもしれない.

9) 「ゴールデンカムイ」の世界だな。
 インタビュー時, 多分この発言の後くらいに「Hibana」(THE SIXTH LIE)

の一節 (2番の A part のとこ)

『「あの日の願いを背負って生きたいだけ」だな』

を口にしているが, それはカットされている. 修正加筆時に加筆しようかとも思ったが, 

『JASRAC 案件なのかなぁ』

と推察して, それはやめた. 

10) いや今言おうと思ったのはさ、「ひじり」って、セイントね、聖。
 時間があれば, 「ひじり」の次に「セイント」サイドの解釈を述べるつもりだった. 感じとしては, 聖闘士星矢から出発して「小宇宙の神髄」を介して, 七識(末那識), 八識(阿頼耶識)について論じ, それが「ひじり」とどう関連するかでオチをつけるつもりだったが, 当然時間が無いので自主的にやめた.

11) オフレコ part
 これは「無名人インタビュー」においてどこまで一般的なのかは不明だが, 私の場合は note に実際にあがっているインタビュー part 以外に終了後のオフレコ part が存在する. 本編では私に関するプライべートを意識的に伏せて論じたが, qbc 氏がインタビュー終了後に「タネ明かし」を希望したので, それこそ私がいつも占い師連中にやっているように

「どう思います?」

と適当にまっぜ返しながら, 「タネ明かし」をした (つまりインタビュー時は私についての情報が何もない状態だが, 編集時にはある程度私のことを知った状態になっている). 結果, 彼は割と正確に私についての推察を立てていたことが判明し, 驚いた. 流石は伊達に何百人とインタビューをしているわけではなく, その眼力は確かなようであった. 
 またインタビューの最後で私も言っているように

「こんな面倒くさいインタビューをどうやってまとめるのか」

という問いに対し, 彼は

「人間の営みや奇跡が好きとか, そういうヒューマニズムっぽいことを最後に言ってるんで, 大丈夫ですよ(綺麗にオチますよ)」

と言っていた. 「まぁ, そんなモンか」と思った. 

12) その他
 番外編というか, 今回のインタビューのお値段だが, 基本的には決まった額を請求されるのではなく, 「お志」という形になる. なのでその気になれば, タダでも可能なのだろうが, 私自身も金をもらってインタビューをしたこともあるので, それは流石に心苦しい(このテの作業の大変さはよく知っている). なので, 詳細は伏せるが, とりあえずこちらのページ

https://note.com/unknowninterview/n/n5676227e2213

の案内

・自己紹介作成インタビュー 33,000円~/1案件

60分のインタビューを行い、キャッチコピー(100文字まで)とプロフィール文(500文字まで)を作成します。
※法人向けは90,000円~です。

と, 私がインタビューした時に受け取った原稿料を参考にした額を

で支払った. 

4. 読んでみての雑感と分析 --「一番の無名人」インタビューと無意識下へのアプローチ--

 ここからは出来上がった note を文章として, 読んだ時の雑感と分析を述べる.

 上述したように, 今回のインタビューは「自己紹介しない自己紹介」の実践編という「一連の試み」であって, 私についての仕事と経歴を一切伏せて, 語らない状態でのアウトプットを心掛けた. つまり文字通りの「無名人」であることに徹したわけで, 恐らくは誰よりも「無名人」のインタビュー(「一番の無名人」インタビュー)になったと思う. 少なくとも私が確認したいくつかの無名人インタビューの範囲の中には, ここまで paranoia めいた試みはなかったし, インタビュアーの qbc 氏も校正段階でのやりとりの中で

「完全に何も明かさない中でのインタビューは、私にとっても新鮮でした。 暗闇を手探りで進んでいる感覚がずっとありました。」

と語っている. 

 で, ある意味そこまで徹底的に私の「外付けラベル」を取っ払って, 「純粋な私」だけを抽出した結果, 果たして何がわかり, 何が得られたのか? 感じとしては, たとえば

『「超純水」が(うまい)水か?』

という問いに対しての答えは

『そうではない(メチャクチャまずい, 知ってる味じゃない)』

ように,

『「純粋な私」として out put したものが私か』

と問われると

『なんか違う(いつもの味じゃない?)』

という感じがする.

 尤も, これは

『まだ「一連の試み」が徹底(完結)していない』

可能性もある. つまり「一連の試み」としては

『この「純粋な私」を抽出した「無名人インタビュー」を更に別の第三者に読ませて私を読み取らせる』

までやらないといけないのだろうが, これは流石にもうできない (近頃流行りの ChatGPT 君なら何か協力してくれるんだろうか). また仮にここまで徹底させても, これ以上のものが得られる気が(労力に比して儲けがある気が)しない. 

 だから結論としては, ある意味で当たり前のことながら, 

『「一連の試み」のみでは私についてはわからない』

という, 「自己紹介しない自己紹介」の限界を示していると捉えるべきなのであろう.

 他方で単なる no going だけで終わらず, 得られたこともあって, それが上の補足 7) で述べたような無意識下へのアプローチとしての側面である. たとえば今回の試みでわかったことの一つとして

「note」で out put されるのはあくまで意識下のモノである

ということがある. 考えてみれば,「note」は logic と rhetoric で捉えられる範疇の事象なのだから, 意識の外には届かないというのは言われてみれば当たり前である. つまり「note」をいくら書いても, 言い換えれば「note」以上「無名人インタビュー」未満の段階ではわからないものが, 自身の内には存在するのである. で, 意識の外へのアプローチも色々あるのだろうが, 私にとって「無名人インタビュー」はその一つになり, 実際に無意識下から掘り出せたモノがあった.

 それは補足 7) で述べたような, 「不条理な偶然の積み重ね」といった言語化できるレベルまで意識下に引き戻せた事象もあれば, 仮にそこまでハッキリとした形にはできずとも, 意識下と無意識化の gap を認識させ, それを取っ掛かりにして得られたこともある. 後者の方の典型例が, 同じく第3節, 未来 part の If を巡る発言である.

 ここで私は, 執拗に

「自分の未来は見えない. If など存在しない」

と繰り返し述べている. 確かにその時は実際に意識的にそう言ったし, そこに何の違和感もなかったが, 原稿で上がってきた時点でその異様さを初めて認識した. というのは, 私が日常的にやっているのは正にこの If を想像し, 創造する過程に他ならないからである.

 それは言うなれば, 世界の, あるいは歴史の, 有り得たかもしれない可能性を夢想し, 追求し, 実現するという営みで「不条理な偶然の積み重ね」なんて思想が私の無意識下に潜んでいたのも, 恐らく「必然の過程」だけでは届かないこんな営みを二十年近く延々やっているからだと思う. そしてそんな私が

『「自身の If については全く執着がない」という「倒錯」』 .

 これはなんというか, あらゆる意味で異常であるが, 最も異常なのは

『この「倒錯」に「無名人インタビュー」をするまで気付けなかった』

ということであろう. 何故こんなに自明なことに, こんなに非自明なアプローチをするまで気付けなかったのだろうか. これを意識的に認識すると, 自分が急に非常に危うい立ち方をしている(それこそ「哲也」でドサ健が語っていた比喩を用いれば「地上数百メートル上に架けられた細い板の上を歩いている」)ような気がして, 恐怖を覚える. 

 ただ同時に, どうもこの異常な「倒錯」とその周辺にこそ, 今回抽出された「純粋な私」の本質が隠されているように思えてならない. そこに潜んでいるモノは一体何なのか. 意識的にそこへ漸近できるのか. あるいはまた今回の「無名人インタビュー」のような無意識下からのナニカ別のルートを見つける必要があるのか. 現段階ではその辺も測りかねる状況だが, この「倒錯」の存在を明らかにできただけでも, 大きな成果と言っていいだろう. 

5. その他

 上で書ききれなかったことを三つ述べる. 一つはそもそもの今回の私の「無名人インタビュー」の体裁についてである. 私以外の「無名人インタビュー」を見ると, 気合の入った「まえがき」と「あとがき」(qbc ポエム) があるのだが, 私のヤツは「まえがき」が異常に短く, 「あとがき」がない. これは校正段階から気になっていて,

「最終稿でここは追記, 差し替えするのかな?」

と思っていたら, そのままだったので驚いた. これは何でなんだろう? 

 二つ目に書き言葉( note )と話し言葉(インタビュー)との乖離の大きさである. 正直, 私自身, インタビュー原稿を読んで自分がこんな風に話していることに驚いたし, インタビュアーの qbc 氏も「話し方は文章からは予想がつかなかった」と言っていた. 彼によると, この二つが食い違うことはむしろ普通らしいが, 私にとって驚きだったのは, 私自身が昔かなり特異と感じたあるインタビュー, 対談記事におけるある人物の語り口調と私の口調がソックリに感じた点である. 
 これらの対談はそれこそ大昔に読んで, 影響を受けたし, その当人達ともそれなりに面識もあったとはいえ, こんなことが起こるのかと. インタビューや会話の内容がかなり特殊な状況だったとはいえ, 全くの第三者と話しているとき, 他者には私がこんな風に映っている, 聞こえているというのはちょっと自分では信じがたかった. 一体, いつからそうなったのか? 私は「変わらない」のではなかったのか? あるいは自分で気付かなかっただけで実は昔からそうだったのか?

 最後に今回の note の冒頭に詠んだ

運命の しるべのままに 幾星霜
流れ流され 数奇な旅路

という歌についてである. これは今回の「無名人インタビュー」を受けた後に浮かんだモノ(つまりこれも「無名人インタビュー」の成果)であり, 結構気に入っていて, 私の辞世の句にしてもいいくらいに思っている. 実際, 私がこの先も「変わらない」のであれば, 辞世の句を今詠もうが, 50年後に詠もうが結局同じことだからである. 

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