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No.181 「ラグナクリムゾン」第73話備忘録

0. はじめに

 色々な出来事が重なって(ここ最近こんなのばっかり…)ただでさえ忙しかったことに加え, 今回は軽そうに見えて割と「重い」(重すぎて)感じがして, 備忘録が最新話の発売前日まで延び延びに延びてしまった. 仕方ないのに「エイヤッ」と勢いで, 軽めに処理することを心掛ける. 

1. 聖人, 聖女達について

 まずカルラの礼に対してのラグナの反応

「? お前らってそんなことありがたがる奴らだっけ---」

から. この場面と牢獄の聖女に向けた

「あれは成功例などではありませんよ?」

と併せると, なんか個々のカルラがカルラ19835号(アルテマティア)化(?)してる感じがする. またラグナのカルラへの拒絶反応が減っている(見られない)ことも, カルラに何かしらの変化が生じている傍証とみるべきなのだろう. これらがラグナと出会ったことによる変化なのか, 何かはよくわからない.

 次いでラプテリカとラグナのやりとり. 

「やっぱりお前らはそうなんだな…
仲間みたいにしてても相手が死んだら何も思わない
オレはお前達のそういうところが嫌いだっ…!」

一見ラグナが自身の一般論を述べている何でもないシーンに思えるが, 例によって未来ラグナの記憶と照合すると, いくつか疑問が浮かぶ. たとえば, 未来ラグナは太陽神教でそういった(死んだら優秀な人員はクローンで再生される)経験はしなかったのか, ということなのか. だとすれば何故か?
 そもそも一級神民が死ぬ機会が無かったのか. あるいはその時には太陽神教のクローン製造のプラントが失われていて, 新しく作ることができなかったのか. なんとなく後者のセンかな? 

 で, 超兵トール. 彼の言う「信仰」が「鍛錬」であることがわかったわけだが, ここで気になったのは二点. 一点目は

「主は人間が竜と戦えるように人間の肉体の『限界値』を大きく上昇なされた」.

コレ, 主が仮にいるとして, どうやったのか? 私は昔から「ラグナクリムゾン」とヨコオワールドの類似性を指摘しているが, それからいうとやっぱり太陽暦前後の大厄災で旧人類は滅びており, 新人類はナニカを施された(魔力に適合性を持った?)人造人間だと踏んでいるが, その辺の推察との関連が気になる. 当然「主」と『神』の関係も気になる(同じものなのか, それとも旧世界の敵対勢力だったのか). 

 二点目は

「君からは不老剣士に迫る鍛錬(信仰)を感じるぞ!」

ハクレンは技巧派剣士だとは思っていたけど, やっぱりそうなのね. 印象としては「感謝の正拳突き」のネテロ的な感じがする. でも今のラグナも, 対竜特化の殺傷力マシマシ殺法(銀気闘法)に加え, 純粋に武人としても極致に居る感じだから, 強さの差別化をどう描写するのかがあまり想像できない. あるいは師である(?)ギルゼア的な強さなのだろうか.

 最後にニム・ハムニム. 彼女の極めて意味深な長い言い回しについては後回しにして, それ以外の部分をば. まず彼女の不幸体質について. 能力の発現の程度によって, 不幸度(呪い)が下がるということは, やっぱりコレはギャグ描写じゃなくて, 上条当麻的な何かしらの能力に対する代償の類と解釈すべきなのだろう.

 で, 不幸体質が改善されて「今ならできるんじゃないかしら~結婚」とは言ってはいるが, なんとなくだけど個人的には以前のニム・ハムニムの方がかわいかったような気がする.

 あとはラクシャーサがやはりクローンということが open になったことか. これはやはりオルト-タラの主君だったラクーシャのクローンってことなのだろうか. 

 最後にラグナ. 以前にも指摘したが, やはり身長が伸びてたね. 気にはなっていたが, とりあえず裏が取れて良かった. これを含め, 未来ラグナよりも強くなる伸びしろもこれで出来た感じか. 

 あとクローンに対する考え方:

「オレは---
オレも竜を滅ぼすためになるならかまわないと思う
ただ---
全員がオレと同じ考えの世界ってなんか嫌だな…

これは少しばかり意外だった. というのも, 翼の血族最終決戦前夜にガルムとのやりとりで

「たくさんの人が未来のオレみたいに強くなる未来か…
いいな それ
そんな未来になったらいい」

と言っていたからである. 

 つまりこの2つは似ているようで, ラグナにとっては違うということだ. もう少し言い分けるなら

「みんな竜と戦って負けない, 死なないくらい強くなる未来」

は望むが,

「全員がラグナのような世界は望んではいない」

といった具合か. この辺の差異が太陽神教とは相容れなかった根本のようにも思える.

2. 肉体・記憶を伴う意識・魂とそのエネルギーにまつわる考察(仮)

 今回の備忘録を書くのにここまで手こずった最大の理由がコレ. これは中々の大テーマで正直どうまとめていいのか, 一ヶ月近く悩んでもわからなかった. とりあえず感じたことを取り留めも無く(それこそ備忘録として)書く.

 第一印象は

「え! 小林大樹, そこに踏み込むの!?」

という純粋な驚きだった. ヨコオタロウも「Automata」で「魂の存在」の主張はしたが「それが何であるか」に関しては結局踏み込まなかった, あるいは踏み込めなかった(だから少なからずアレには失望した). 「ラグナクリムゾン」はそこに踏み込むのか. 

 ただ同時に, 以前から言っているように「ラグナクリムゾン」は


「ヨコオワールド」(DOD:7, NieR:3)に
「中二要素」をトッピングして
「ヒラコー風味」で
「バトルエンタテインメント」に仕上げた
「SF」

なので, そこに踏み込んでも不思議ではないとも感じる. 

 で「魂のエネルギー」, あるいはそれにまつわる「SF」と言って, 真っ先に思い浮かんだのは, 手塚治虫の「火の鳥」の「休憩 --INTERMISSION--」だった. 手塚治虫はそこでは「魂のエネルギー」という言い方はしていないが

『ぼくは 霊魂不滅説そのものは信じませんが
霊のようなものはたしかにあって…

いや….. 霊ということばがおかしいのかもしれない

なにか人間の想像できないエネルギーが』

と言っている. ここで「霊」を「魂」と読み替えれば, まぁ, これも「魂のエネルギー」であろう(むしろ「魂」そのものをエネルギーの形態と解釈している?). 

 「ラグナクリムゾン」の世界では, 少なくとも物理的な観測量として「魂のエネルギー」の存在が確認されているらしい. 更に言えば, ニム・ハムニムは

「それ以前に(魂は)観測自体がとても難しい」

と言っている. 「難しい」ということは「不可能ではない」ということなのだが(エネルギー利用が出来ている時点でトーゼンなのだが), しかし同時に

「でもその魂はどこから来たのか?
肉体が死亡した時魂はどこへ行くのか?
その観測すら未だできない.」

と言っている. 

 そうするとトーゼン思い至る. これまでにも「魂(世界)」とでもいうべき描写が, 作中の要所要所(特に死にかけるシーン)にあったことに. あれは特定の個人の回想描写や心象描写ではなく(たとえば, 「9秒の死闘」の直後のシーンで, ラグナとスターリアは同じものを共有していたのであれは個人の心象ではなく, ある種の集合的無意識の世界を彷彿とさせる), 本当に通常の世界とは別の世界の階層が存在して, そこでの出来事を描写したのではないか. 

 やっぱりあの世界(「魂」の来るところ? あるいは還る所?)は「ある」んだな. 竜王や「世界魔法」, 『神』の謎や正体も, どうもこの「魂」やその「魂世界」絡みの話のような気がする. たとえば『神』がいるのもその「魂世界」で,

「神殺しは何らかの方法でその世界に至れないと成功しない」

とか,

「「世界魔法」はその魂世界に干渉する類の魔法である」

とか?

 まぁ, この辺はまたおいおいだな. 

3. ハロハロ~ マ~イ ビッグシスタ~

 うん, 知ってた. 知ってたよ. だって, ワシ, ギルゼア様が初登場した第53話の時点から

既に共闘の可能性にも言及して, 

ギルゼアは話のテンポをよくするために結構大胆な動かし方をしてくるのではないか(あるいは物語の中でクリムゾン様に抗するまでになる?)

と予想せざるを得ないわけである.』

とまで言い切ったくらいですから.

 でも, 流石にはやいわ!! クリムゾン様との邂逅がッ!! ワシ, あと半年か, 1年後の連載くらいになる(たとえば少なくとも大聖伐開始以後)だと思ってたもん. だって, 5月5日じゃあ(クリムゾン様がニューヨークに行ったのがこれと同じ日だったとすると), レオがギルゼア様に弟子入りした3月22日からまだ一ヶ月半しか経ってない. これでは共闘やら, 何やらにはまだはやいのではないか.

 どうすんだ, コレ. レオの引き渡しを要求するのか? というか逆にギルゼア様がラグナに興味を持ったりしないのか? ビッグシスター(これで竜王になったのもクリムゾンの方がはやいことが推察される)のものだから, 手は出さないつもりなのか. 

 そも二人の関係は? 共闘とまではいかないが同盟的なもの? あるいはギルゼア様がクリムゾン様(ビッグシスター)のスパイ的なもの? その辺の塩梅もちょっとまだ測りかねる. 

 最後にクリムゾン様のところにあがっていた3月12日のレポート関連についてのいくつかの疑問をば.

Q1. 使用されている文字は? 細かくて絶妙に判別が不能だが alphabet っぽい?(でもそれだけではない?)
Q2. 使用されている言語は? 綴りの区切り的に仏語か伊語?
Q3. 3月12日はラグナが目覚め, 時の聖女カルラに出会い, クリムゾンと再会した日. つまり翼の血族最終決戦直前で, とても情報収集をする余力はなかったはずだが, この情報は誰がいつどう調べた? AIドローンが自動的に各地を観測して, 報告があがるような仕組みになっているということか?

Appendix. 

 これは「ラグナクリムゾン」の備忘録なので, 他作品について論じるのはややマナー違反な気もするが, 一応ヨコオワールド関連ということで, 簡単に.

 無論,「Automata」の評に関してはマジメに論証すると非常に面倒なので割愛. 一言で言えば, 2017年という「チューリングテスト」が辛うじて意味を持っていたであろう最後の時代に

「そんなもの(たとえば記憶や感情)は大した問題ではなく, 我々は否応なく魂というものを考えざるを得ない」

と宣言したことがあの作品の最大の意義だったと思う. と同時に, 一度それが「常識」になってしまえば, 意義や価値は消失してしまう(歴史的意義は残るが).

 無論, 他に「美に狂うボーヴォワール」(「人は女に生まれるのではなく, 女になるのだ」と言った``ボーヴォワール''がサルトルの``女''(?)になるべく「美しくなりたい」と狂うのだから, 笑ってしまう)等の細かい点で面白い示唆がないわけではないが, アイロニー以上の意味は無いように思う. ゆえに私は「Automata」より「Replicant/Gestalt」(こちらは「豊饒の海」(三島由紀夫)だと解釈している)の方を遥かに高く評価している.

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