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澁澤塾とわたし #7

はじめまして、社会学部四年のHoripです。
ただの音楽好きであった私が、なぜこんな「意識の高い」団体にいるのかを話そうと思います。

私は東京の中高一貫校の出身で、高校時代は主に音楽をやっていました。
高校から音楽を始めた理由は、音楽が好きだったことと、友達に誘われたことの二つです。
その頃の私は勉強が好きではなく、定期テストでは300人中230番台をうろうろしていたと思います。
シンプルになぜ勉強をしなくてはいけないのかが理解できませんでした。
そんな状況の中で、音楽をやると言い出すものですから、当然親は条件を提示しました。
それは、定期テストで100番以内に入ることです。
それぞれの定期テストで100番以内に入らないと、強制的にベースを辞めさせられるものですから、バンドメンバー全体に迷惑がかかります。ここからメンバーに迷惑をかけぬよう、私は必死で勉学に励むことになります。と同時に、決して失敗できないゲームを常に行っているような状況で私のメンタルは次第に崩壊に向かっていきました。
そんな中、私はBloodthirsty butchersというバンドに出会い、曲を聞いて号泣することになります。
崩れつつあるメンタルの中、生きることに真っ当に向き合った方々の曲は私にとって救いとなって、また復活することができたのです。

そんなこんなでバンド活動は続けることができ、無事大学に入学します。
受験勉強の期間は音楽活動を封印していたので、入学当初は新歓なんて目もくれず、ギターやパソコンと向き合う日々でした。私は才能ある音楽家は孤独になるという確固たる信念のもと、大学で友達を作るなどという生ぬるいことはせず、ひたすら創作に打ち込んでいました。おかげで大学一年生の頃に、5曲入りのEPを発表することができました。
大学1,2年生の頃はほとんど創作に打ち込む日々で、いわゆるサークル活動なんてものは全くしていませんでした。転機が来たのは大学2年生の終わり頃で、当時澁澤塾の代表をしていた通称ボスから団体に誘われたのです。
私は群れることを極端に嫌う、才能ある音楽家でしたから、当然初めは断ります。しかし当時、自身の音楽活動に限界を感じていたこともあって、団体に入ってみることにしました。 日本文化でも初めは贈り物を断って、その後受け取るといったものがあると思いますが、まさにそれです。
澁澤塾では初めにコミュニティ、その後運営に入りました。
当時のコミュニティはただ情報が流れてくる掲示板のようなもので、入った意味があまり感じられるものではなかったです。運営に入ってみたのは、音楽でうまくいっていなかったので、新しいことをやってみたかったためです。
運営では広報チームとして、主にコミュニティにラジオを発信していましたが、入る意味が感じられないコミュニティが改善されていないことに課題感を感じて、今はコミュニティ管理者も兼任しています。
私はあくまで、ただの表現が好きな一生物種であって、いわゆるビジネスなどには興味がありません。長期インターンもやったことがありません。
ただ、高校時代の辛い経験を通じて、人はどう生きれば良いかをずっと考えている人ではあると思います。

現状の大学生活は、さまざまな機会が不足しているといえます。
例えば、学外に出て新しいことに挑戦する機会や、大学生活をどう過ごすかというガイド役に出逢う機会などです。澁澤塾は、全く新しい大学生活を提案する団体です。

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