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不登校になった小学生の娘からの手紙「学校行けなくて、ごめんね」
(1)娘が突然不登校になった
我が家の娘は小学校1年生の5月、突然学校に行けなくなった。
朝起きると「お腹が痛い」と言う。風邪かな、と熱を測ってみるが、無い。
それでもやはり行きたくないという。
嫌な予感がした。なにか原因があるのでは、と質問をする。
「心配なことあるの?」「学校の授業、楽しくない?」「お友達と喧嘩した?」
すべての質問に、首を振る娘。
それなら、行けるんじゃないかと思ってしまう。
ただでさえ、朝の慌ただしい時間帯。
焦りといらだちと不安が広がっていく。
不登校の児童・生徒が増えていることは知っていた。
しかし、まさか我が家で起こるとはね、と妻と顔を見合わせた。
私たち親の世代は、多少嫌なことあってもなんとか気合いで学校行ってたもんな、と。
そもそも学校に行かないという選択肢すらなかったような。
「どうしたもんかね」
出口の見つからない迷路に入りこんだような気持ちだった。
毎朝起きて、「今日は行けそう?」と期待を込める。
娘は、行きたくないという。
初めは無理やり連れて行かせたこともあったが、どうしても行きたくないというので仕方なく休ませる。そんな日々がしばらく続いた。
日によっては、頑張って遅刻して行くこともあった。
その時は、妻か私が一緒に登校し、教室まで送り届けた。
娘の座席は廊下側の一番後ろ。
遅刻する娘が教室に入りやすいように先生が配慮してくれた。
学校に着いて座席に着くと、「帰らないで」と言う。
先生にお願いして、そのまま授業参観をさせてもらったり、運動会のダンスの練習をグラウンドで一緒に見学したり、教室に入れない生徒が集まる部屋で遊んだり。
しばらく経つ頃には、娘のクラスのお友達の名前を覚えてしまうまでになった。
学校を休みがちな子どもの多くは、欠席することに対して罪悪感を持ってしまうこともあるようだ。
でもそれは違うと思う。
娘は、今たまたま学校に行けないだけであって、それ以外のところで本質はまったく何も変わらないのだ。
学校がなければ、娘は笑顔で元気いっぱいの7歳の女の子なのだ。
そうは頭でわかってはいるものの、この状態がずっと続くのではないかという不安もあった。
折を見て、「学校に行けなくても大丈夫だよ」と励ましたこともあった。
でもその時、本心から大丈夫だよと、言えていただろうか。
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(2)体育の授業で
そして、今でも後悔していることがある。
その日、娘は遅刻して行くという。
私が休みの日だったので送り届けると、たまたま体育の時間だった。
誰もいない教室で着替えをし、体育館に連れて行くと、入り口で突然
「やっぱり行きたくない」と言う。
しかし私は、家に帰ることを認めなかった。
頑張ってごらんと娘を体育館に送り出し、急ぐようにバイクで走り出した。
ミラー越しに後ろを見る。
すると娘が遠くから、内履きのまま、泣きながら私のことを追いかけてくる。
びっくりしたのと悔しいのと、どうしてそんなに行きたくないのか理解できないのと、いろいろな感情がわき上がった。
葛藤の末、私は娘を説得して体育の授業に参加させた。
助けを求める娘の視線。
しばらくの間、胸にざらざらした感覚が残って離れなかった。
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(3)娘が書いた一通の手紙
あるとき、娘がママに手紙を書いた。
ママへ…で始まるその手紙は、覚えたばかりのひらがなで。
「学校に行けなくてごめんね。私も行きたいんだけど、なんで行けないのかわからないんだよ、でもいつか行けるようになるといいな」
そのようなことが綴られていた。
その時に、思った。やっぱりそうだったんだ。
どうして学校に行けないのか、自分でもわからないから苦しいのだ。
理由がわからず、そしてそれをうまく言葉にできないもどかしさの中に生きていたんだ。
はじめてお腹が痛くなった日、なんで行けないの?ってたくさん聞いてしまったこと、体育の授業のとき、無理させてしまったこと。
「学校に行けなくてごめんね」なんて思わせてしまってごめんね。と心から悔やんだ。
親としてわかってあげたつもりでいて、実際は何もわかってあげられていなかった私は、本質的なところで娘の不登校を認めてあげられていなかったのだと思った。
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(4)学年が変わったら登校日が増えた
学年が上がり2年生になった。担任の先生も替わった。
するとどうしたことか、娘は少しずつ学校に行けるようになった。
20代の男性の担任の先生は、生徒から人気で授業も楽しいという。
「今日、○○君が、先生に大きい声で怒られたんだよ~」と楽しそうに話す。
次第に学校の話も増えてきた。
クラスのお友達に誘われてダンスも習い始めた。学校から帰るとランドセルを置いて友達と公園に遊びに行くことも。
定期的に休みたくなることがあるが、それは娘の充電日だと考えるようにした。
そして3年生になった今では、欠席はほぼゼロになった。
少しくらい風邪を引いていても、友達に会いたいからと言って登校する。
先日、娘に気になっていたことを尋ねてみた。
「1年生のころ学校に行けなかったとき、パパが無理やり体育の授業受けさせたこと。あの時のこと、ごめんね」
娘は「そんなことあった?忘れちゃった」と答える。
忘れたふりをしているのかもしれない。
少なくとも私自身は戒めとして、ことあるごとに思い出していきたいと思っている。
理解しているような気持ちになってはいけない。
子どもは私自身ではもちろんないし、子どもは子ども自身の人生を生きているということ。
娘が学校に行けなくなった出来事は、子どもとの関わり方を、改めて考えさせられる機会になった。
子どもが学校に行けなくなったときの対応に、明確な答えは無いかも知れないけど、一緒に見つけて行くんだと思う。
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