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せっしゃかわん(小説)

 わたしの田舎って、もう、ほんとうに、本物の田舎で。レンタルビデオ屋もないし、ゲームセンターもないし、そもそもスーパーマーケットすらなかったんです。軒先の、壊れて灯らない街灯が何年も放置されている、個人商店の隅にあるたった二個の赤いガチャポンの中身なんて、一体何十年前の? ってくらいに色が褪めていて、半分腐っているような消しゴムがカプセルにへばりついていました。
 ペットボトルのジュースはこれが定価なんだろうなって値段で埃を被ったまま売られていて、そこいらに賞味期限切れの商品が散らばっていて、でもみんな気にも留めずに買っていくような。だってこの田舎に、商店なんてここ一軒しかないんですもんね。コンビニエンスストアなんて遥か遠く、山の向こうにしか存在しませんでしたから。

 休みの日には、車で何十キロ以上も離れたスーパーやドラッグストアに行って、日用品を買い込むんです。お米や野菜なんかはほとんど物々交換みたいな感じだから、買うのは調味料とか、お菓子とか、レトルト食品だとか。あと全然可愛げのない文房具とか、ただの真っ黒いヘアゴムだとか。
 今考えれば、インターネットであれもこれも注文したらよかったんでしょうけれど、なんせわたし、そこまで頭が回らなくて。だって、周りではだれも、オンラインで買い物なんかしなかったんです。
 この田舎にはなんにもない。それが当たり前で、それは覆せないものだって、そう強く思い込んでいたんです。実際、半分くらいはそれが正解でしたし。

 どの家も年寄りばかりだからプライバシーなんて概念はないし、だからわたしの初潮がきたときには五軒隣までお赤飯を配られました。もう、恥ずかしいとかそういうのもわからなくなるくらいの強烈な屈辱で、でもあのとき、あれがあったから、やっとわたし、何が何でもこの田舎を抜け出るんだって決められたんです。
 こんなみっともない場所にいたら、わたしまでみっともなくなっちゃう。 そんな気がして、そしたら急に怖くなって。
 ああ、こんなにも嫌な場所なら逃げ出したらいいんだ。
 そう気づけたんです。

 *

 せっしゃかわん。

 *

 街は一日中明るかった。
 人々は夜になれば「もうすっかり暗くなったね」なんて話すけれど、皆本物の暗闇を知らないだけのことだ。街灯のない、月も見えない、星も死んでしまったような、完全に“あかり”という存在が世界から消えてしまうくらいの夜を、皆は知らない。この街は一日中、ずっと、ぎらぎらと明るい。飲み屋の灯り、女の人たちのアイシャドウ、蛍族の赤、ねばついた男の人たちの笑み、通りすがる車のヘッドライト、クラクション。うるせえって大声が響いて、そこかしこから一瞬だけの嗤い声が漏れる。
 わたしには似合わない強烈な明るさのもと、わたしは真夜中のコンビニエンスストアで淡々とレジを打っている。ぴ、何円、ぴ、何円、ぴ、何円、ぴ、合計何円になります、アプリの提示をお願いします、ありがとうございます、はい、こちらレシートになります、ありがとうございました、またのご利用をお待ちしております。
 頭を下げる。お客の男性は何も言わず、鞄の中におにぎりやお茶をぐちゃぐちゃに詰めながら店をあとにする。夜の歓楽街のコンビニエンスストア、レジの内側だけが外の喧騒から見限られたみたいに色がない。
 店長は奥で監視カメラを見ているふりをして、きっときょうもいやらしいサイトを徘徊している。

 *

 あー。せっしゃかわん。せっしゃかわん。

 *

 大学には行けなかった。家出同然で出てきた実家には今の住所すら教えていないし、だから金銭的な余裕もそんなにないし、そもそもわたしは頭が悪かった。深夜のコンビニで働いて、ぼろぼろのアパートで静かに暮らして、たまに中古本店で百円の棚にある本を一冊だけ買って。ずっとその繰り返し。何も起きない。
 それでもあの田舎にいるよりここはずっと居心地がよかった。
 ここには何でもある、わたしはその中でそれを選ぶことができない。何もないから選べもしない、ではないのだ。それはずっと心に優しい。

「深夜だけシフト、入れてるんですか?」
 商品のバーコードを読み込んでいると、嫌に顔の白い男から、カウンター越しに話しかけられる。わたしは温かい缶コーヒーをカウンターにそっと置きながら、
「はい」
 と答えた。
「へえ、一緒ですね」
 俺も、向こうの居酒屋で夜だけシフト入れてるんです。お姉さん、大抵の夜にいるから、この時間帯だけなのかなーって思って。ああ、いきなり話しかけちゃってすみません。
「……四百三十二円になります」
「あ、じゃあpaypayで」
 ぺーぺい、と間抜けな音が鳴って、男がスマートフォンをポケットにしまう。缶コーヒーとチョコレートやガムなどをリュックサックに詰めた男は、
「それじゃあ、お互い頑張りましょ」
 と、軽い口調で言って、振り向きもせずに店を出て行った。馴染みの客は多くいるが、わたしにクレーム以外の会話を求めてきたのはこいつが初めてかもしれないな、と思いながら、その背を見送った。

 *

 金のないわたしも、部屋ではニンゲンを一人飼っている。
 同い年の、一応は大学生の男なのだが、一日中スマートフォンでゲームに明け暮れて授業へ向かう様子はない。ときどきバイトを始めては二、三日で辞めてくる。実家からの仕送りは家賃と生活費名義だというが、わたしのアパートに居ついているから家賃はかからないし、生活費はわたしのほうがうんと多く出している。わたしはバイト先へ行く前に電子レンジで温めた白ごはんにふりかけをまぶしてかっ込むだけだけれど、ニンゲンはわたしに隠れて、わたしが働いている夜間に飲み会へ行ったりしている。

 こんな奴ならいないほうがマシだと思う人のほうがまともな感性をしていると思う。
 わたし自身、このニンゲンを見ていると、ほんとうに腹が立つのだ。何もせず、何も改善しようとせず、何も進化せず、何かを変えてやろうだとか、自分だけが勝ち抜いてやろうだとか、そういう強かさを何一つ感じられない。
 それでも、わたしはこのニンゲンを傍で観察していると、腹が立つと同時、ひどく安心してしまうのだ。わたしはコレとは違う。わたしはわたしの力で田舎を出た。これは自分の力を使おうとしない。わたしに寄生して、わたしに依存して、わたしを掌の上でコントロールしていると思い込んでいる。わたしに熾烈な好意を抱かれていると勘違いしている。

 馬鹿馬鹿しい。わたしはこんな物、好きじゃない。
 コレは過去の自分の逃走劇を肯定するための、一つの目印だ。ただそれだけだ。
 わたしは、コレが、大嫌いなのだと思う。大嫌いで、だから、近くに置いている。
 飼っている。

 *

 せっしゃかわん。せっしゃかわん。せっしゃかわん。

 *

 ニンゲンの名前はハルタというらしい。ハルタは時間ごとにわたしに世話を求める。忙しいときは適当にあしらうし、時間があれば飼い主としての務めはそれなりに果たす。
「真希さあ、きょう一緒に飯行こうよ」
「何時から?」
「んー、晩飯だから……七時くらい?」
「バイト前までならいいよ」
 よっしゃーやりー、前から気になってた店あったんだよねー。イタ飯なんだけどいいよね? ハルタがわたしに何かを話しかけていて、わたしはそれを適当に、あしらうみたいに肯定する。どうせ他の女との食事前の視察といった具合だろう。わたしは飼い主だから、ハルタの食べた餌代は支払う義務がある。わたしもハルタから肯定感をもらっているのでギヴアンドテイクだし、ハルタへの愛情はないのでコレが他に何人の女を囲っていても別にどうでもいい。
 仮にハルタがわたしの前から消えることになれば、わたしはまたべつのニンゲンを飼うつもりでいる。どうせハルタだって、そしてわたしだって、代替品はいくらだっているのだ。わたしを財布としか見ないニンゲンの雄を、わたしはわたしの自己肯定のために常に一匹だけ囲っておきたい。

 *

 せっしゃかわん。

 *

 実家から手紙が届いたとき、あ死んだ、と思った。
 ゲームオーバー、タイムアウト、脱出失敗。実際父から送られてきた文面はそれに準じていて、そんないい土地で働いているのなら金にも余裕はあるのだろう、近所の目もあるのだから多少の仕送りでもしておけ、とのことだった。
 他人を気にしているようなカス共ばかりだからわたしはお前らから逃げたんだ、という言葉を飲み込み、手紙を強く握り締める。少し離れた場所からニンゲンが「どしたん」と鳴いている。どうもしないよ、実家から手紙きただけ、と返す。ふうん、よかったじゃん、とニンゲンが鳴き返す。ニンゲンは何もわかっちゃいない。そもそも何も教えていないから仕方ないけれど。どうせこのニンゲンに何を言っても無駄だ。何も考えちゃいない。
 父親らに金をくれてやるのが嫌なのではない。奴らと関わりを持つことが強烈に不快なのだ。住所はどうやってバレた? なぜバレた? どうして今更? わたしが家を逃げ出してから二年以上も経っているのに。田舎では結婚だのなんだのの話題が持ち上がるような年齢だからだろうか? では次は愛だ恋だの話が連なった呪いみたいな手紙が届くのか?
 わたしはニンゲンを飼っている。それで別にいいだろう。愛も恋も好きも大切も、何も手に入れるつもりはない。この、田舎から縁の切れた何も起きない毎日が、できるだけ長く続くことだけを何より願っていたのに。それすら過大な望みだったとでも? 何もわからない。
 誰か、誰も答えをくれないのか?

 *

 せっしゃかわん! せっしゃかわん! せっしゃかわん! あー! せっしゃかわん!

 *

「ねえお母さん、せっしゃかわん、って、どういう意味なの?」
 母の口癖は『せっしゃかわん』でした。父も、祖父も、祖母も、近所の奴らも、母の言葉の意味を知りませんでした。知ろうとすらしていなかったのかもしれません。
 母は二十九のころ父の田舎に嫁入りしたんだそうです。見合いでした。母は結婚する気がなかったらしいのですが、母の両親は娘の行き遅れを何より恐れたのだといいます。それを旧い価値観だと嗤っていたのは、あの田舎でも母だけでした。
 せっしゃかわんについて、母は、
「お母さんの地元で、ごめんなさい、って意味の方言かな」
 と言いました。それが嘘であることを見抜いてほしがっていることは、さすがに母の表情を見ていれば娘であるわたしには充分に伝わってきました。

 謝罪以外の意味を持つ、方言らしき何かを、母は何かにつけて発していました。
 例えばそれは父が理不尽に怒鳴ったとき。祖母からのひどい嫌がらせ。祖父の、わたしを見るねばついた目線。近隣のくだらない噂話。これらが田舎特有なのか、あるいはこの地域特有なのか、それはわかりませんでしたが、とにかく不愉快な出来事の多いこの田舎で、母はまるでその言葉に縋るようでした。
「ああ、すみません。せっしゃかわん、せっしゃかわん。許してくださいね」
 だから、わたしの身体にその言葉が浸食したのは当然のことかもしれません。母ならきっとここであの呪文を呟くのだろうな。そういったシーンで、きょうもわたしは心の中で唱えています。
 せっしゃかわん、と。

 *

 母はわたしが十四のときに家を出てしまった。我慢の限界だったのだと思う。わたしのことは連れて行ってくれなかった。半分は父の血が流れているわたしは、母にとっては敵だったのかもしれない。離婚が済んでいるのかどうかは興味もない。
 母が写った写真やビデオは父が全て燃やしてしまった。わたしの中の母の顔はほんのりと靄がかかっていて、今どこかですれ違ってもわたしが母を母と認識するのは難しいかもしれない。どちらかが、せっしゃかわん、とでも呟けば気づけるだろうか。謝る気のない、謝罪の形をした偽物のあの一言だけが、わたしと母を繋ぐ微かな一本線だ。

 ニンゲンはきっときょうもわたしの稼いだ金でどこかの女と食事かホテルにでも行っているんだろう。田舎ではどうやってわたしから金を引っ張り出そうか、いつわたしを連れ戻そうか話しているんだろう。バイト先のコンビニにはきょうも中途半端に明るい夜とアルコールに狂った馬鹿共が何人もやってきて、わたしに罵声を浴びせるんだろう。

 母は今どこにいるのだろう。どの街で、どんなふうに暮らしているのだろう。
 せっしゃかわん、なんて呟くことはなくなっただろうか。
 その癖は、わたしが引き取ってあるよ。
 いつか、奪い返しにきてよ。

 *

 ねえ、お母さん。
 わたしはあなたにもそう思っているよ。

 *

 せっしゃかわん。せっしゃかわん。せっしゃかわん。



(「せっしゃかわん」23.12.14)

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