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5:大谷庵

レーズンとオウムとミイラのワルツ_



 二週間の休みをもらっても、私には何をすべきかわからなかった。
 新入りのアルバイトでしかない私の長期休暇はなぜか“有給”扱いになっているらしい。有給四日目、恐る恐るバイト仲間のイマイさんに電話をかけると、彼は、
「いいっす、いいっす。人間、身体が資本っす。茜さんはおいしいもんいっぱい食べて、ゆっくり休んてください。ちょうど俺も貯金したかったとこだし、出勤増やせてラッキーだったくらいっすもん。俺の彼女、三周年記念に温泉旅行行きたいってうるさくて」
 おそらく彼の声色に嘘は含まれていなかった。ごめんなさい、今度ご飯でも奢らせてもらえたら、と伝えると彼は、
「じゃあコンビニで一番高いカップアイス、二つ買ってください! 彼女と食べてえんす」
 とけらけら軽く笑い飛ばし、「ではお大事にー」と向こうから電話を切り上げた。
 無音のスマートフォンを耳に宛がいながら、私は彼の高純度の“いい人らしさ”にぞっとしている。もはやこれは恵まれているというレベルを超越してやしないか。神さまという名の虚像は、これらを用いて私が父にされた仕打ちを帳消しとするつもりなのかもしれない。
 彼の発した「コンビニ」という言葉から、ようやく私はいまだ朝食を食べていなかったと思い出した。冷蔵庫は空っぽだし、インスタント麺の類は食べ厭きてしまっている。どうせ夕餉の買い出しにも行かなければならない、私はルームウェアのまま小汚いスニーカーを引っかけ、長財布だけを片手に近所のスーパーへ向かった。
 よくある、地元密着型のスーパーだった。大抵のものは鮮度が悪いし、値段も高い。普段なら少し余分に歩いて大手のチェーン店に行くのだが、先日倒れたばかりだし、なんとなく億劫で結局こちらにきてしまった。
 入口でサーモンピンクの買い物かごを左肘に引っかけると、簡単に食べられそうな野菜をぽんぽん放り込んでいく。白菜、にんじん、えのき茸、大根。肉売り場では一番量の少ない薄切りの豚バラを取り、豆腐と糸こんにゃく、あとはチルドのうどんを拾うとそのまま一直線にレジへ向かった。適当に切り刻んで煮ておけばこれらは鍋料理となり、数日間は食べられる。
 カウンターにかごを置き、小さな声で「お願いします」と呟いてから財布を開く。何枚かのお札と小銭、あとは病院の診察券が二枚入っているだけだった。私を育てた叔父は昔から現金での支払いに強くこだわる人で、その影響もあるのか、私もクレジットカードやモバイルマネー、ポイントカード等を好まない。レシートは必ず受け取ることにしているが家計簿などつけた例がなく、もらってもその日の終わりにはすべて屑かごに放り込む。明確な理由はないが、なんとなく安心するのだ。自室でレシートを一気に破棄するとき、私はその日が無事に終わってくれたことを正しく認識する。
「×××円です」
 じゃり、と小さなトレイに小銭を置く。店員はそれを手に取り、丁寧に数えると、
「ちょうど頂戴します。レシートはいかがなさいますか」
「ください」
「はい」
 高速でレジが叩かれ、数秒後、じー、とレシートが吐瀉される。私がそれを受け取ろうとして右手を差し出した途端、
「あの、さあ……茜ちゃん、だよね?」
 店員の声に私はぱっと顔をあげた。
 男の顔をじっと見る。何も湧いてこない。名札を見る。おおたに、と平仮名で書いてあった。おおたに。おおたに。おおたに?
「あのほら、小二のとき隣の席だったんだよ! 俺、大谷庵……って、いうんです、けど……あはは、あー、人違いでしたかね。すみません」
 彼が、ありがとうございましたまたどうぞ、と言いかけ実際に、ありが、までを発音したところで私が、
「……いおり君?」
 そう呟けば、いおり君は、あーほらねやっぱり! と、嬉しそうに笑った。


(続く)

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