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(7)丁寧な暮らし―4

 洗濯物を干す。ピンチに靴下やタオルを挟み、ハンガーにトップスを裾から通す。服が伸びたり傷んだりしないよう、最新の注意を払っている。一つ一つ、綺麗に皺を伸ばす。ベランダに干す。弱く風が吹いて、Tシャツが揺れる。

 壊れた、と自覚した自分を直す術を、私は暮らしに求めている。仕事と恋愛のために乱暴に扱ってきた私生活を、とにかく丁寧に、丁重に扱うこと。いわゆる、丁寧な暮らし、とやらを行うこと。市販品で済みそうな食べ物を自分で作り、地球や社会に優しい商品を選び、自分を傷つけない程度の行動パターンで暮らす。ぼろぼろの生活で壊れた襤褸切れみたいな心を、清潔な暮らしで少しずつ癒していけないか。そう考えた。
 自分の心を守るには、暮らしを守らなければならない。暮らしは、非常に簡単に崩れて壊れていってしまう。夜更かししたり、深酒したり、四角い部屋を丸く掃いたり。そういった適当なことを排除して、さながら見本のような人の暮らしをすれば、壊れた心も、歪にでもくっついてまた別の形を成すのではないか。そう理想を描いた。

 少なくとも私は、好きで丁寧な暮らしをやっているのではない。
 心を守るために行っているのだ。
 また心が崩れ落ちてしまわないように。崩されて、本当のおしまいに達してしまわないように。パターン化された、丁寧さを従順に守ることで、自分を癒している。
 今の私がまた新たな刺激を受けないように。新たな刺激を受けて、取り返しのつかない場所に戻ってしまわないように。

 ベランダの戸を閉める。薄いカーテン越しに、洗濯物が見える。等間隔に並べられた衣服。決められた距離感。私と社会との繋がりのような、風通しのよい、まともには触れ合えない距離感。
 陽光を斜めに受けながらスマートフォンを覗く。偽名でやっているSNSには、似たように丁寧な暮らしを「好き好んで」やっている人たちがたくさんいる。羨ましいな、と思う。皆はこの丁寧で、面倒くさく鬱陶しい暮らしを楽しみとして行えているのだ。彼らにとってそれは自己表現の一つであって、生きるために唯一残された手段ではないのだ。なんて羨ましいことだろう。スマートフォンを閉じる。買い物へ行こう。外の空気を吸おう。



(続)

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