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第1章 病室にて


 陽ざしはベットまで注ぎ、カーテンが半分閉められている。
 平成二十年三月下旬、東京近郊の高齢者用リハビリセンター二階の個室。
 忠一がベットに座りテレビを見ている。
 緩やかな、温かい時が流れている。


輝子「お爺さん、今日はどうですか?」

忠一「ああ、婆さん、来てくれたのか。待っていたよ。卵焼きを持ってきてくれたか」

輝子「はいはい、持って来ましたよ。由里子が温かいままで持って行けるようにと、こういうお弁当箱を買ってきてくれたから。お爺さんの大好きな、赤出汁の里芋のお味噌汁も持って来れました。」

 輝子は椅子に座り、ゆっくりと弁当を開け、忠一のベットに付いた配膳台に並べる。
 忠一は味噌汁を口にする。

忠一「ああ……美味い。婆さんの味噌汁は一番だ。」
 次に忠一は卵焼きを食べ、
忠一「ああ、美味いなぁ。婆さんの卵焼きは世界一だ。」

 輝子は立ち上がり、窓の傍に行く。
 窓の外には、ソメイヨシノが満開を過ぎ、花びらが舞うように落ち始めている。

輝子「ここの桜もきれいですね。昨日、由里子と靖国神社に行ったんですよ。花びら一枚落ちない満開でした。」

忠一「そうか……(しばらく無言で、輝子の後ろ姿を見ている)お前に苦労を掛けたなぁ。」

輝子「苦労なんて……お爺さんは何不自由なくしてくださいましたよ。そうそう、この前、デパートに行き、これを買いました。一目見て、気に入ったの。利一が『貯金を全部使っちゃいなさい。』と言うしね。」

 輝子がダイヤモンド一杯の金色の腕時計を見せる。

忠一「良く似合う。きれいな腕時計だ。良かった。元気になったら、もっともっとお前に稼いでやるからな。」

輝子「はいはい、楽しみにしています。」

 二人が笑いながら話しているところに、利一が入ってくる。

利一「母さん、もう来ていたの?美代子と健太や康太は?……あっ!」

輝子「あら?皆来るの?」

利一「また買ったなぁ!!すごいのを買ったなぁ。」

 輝子は腕時計を外し、利一に渡す。

利一「重いなぁ……五百万はするだろう。」

 輝子は笑いながら、

輝子「あなたに貯金を使っちゃえと言われたから。私はね。デパートで買い物をする気分が好きなの。フラッと見ていて、きれいだなぁと思って、欲しいなぁと思ったら、その場で買う気分が好きなの。値段交渉するのも面白いし。」

利一「でも一人で行って、これ買うか?」

輝子「お爺さんが良くなって、もっと買い物をさせてくれるって。」

利一「母さんはいつだって、買い物してきただろう。俺だったら女房にこんなに金を使わせないよ。親父がおかしいんだ。」

輝子「昨日、靖国神社に行ったわ。由里子と華子と。桜がきれいだった。」

 輝子は窓の外の桜を眺める。美代子と健太と康太が病室に入ってくる。

利一「母さんがまた凄い時計を買ったぞ。」

美代子「あら、お母様は時計だけじゃないわ。バックや靴も、いつも最先端のファッションを身に付けておられるわ。」

輝子「美代子さん、よく分かってくれたのね。男の人は気が付かないのよ。」

健太「お婆ちゃんが買い物をしなければ、お爺ちゃんは蔵を建てているぞ。」

康太「父さんからお婆ちゃんがお爺ちゃんのボロボロの長靴を捨てて、お爺ちゃんはそれをゴミ置き場から拾ってきて履いたと聞いたよ。」

忠一「利一、健太、康太、俺は、婆さんに買い物をさせるのが好きなんだ。婆さんは、婆さんのお父様から俺が頂き、ずっと俺に付いて来てくれた女だ。付いて来てくれた女を精一杯幸せにするのが男の甲斐性なんだよ。」

輝子「(ニコニコ笑いながら)もっともっと買い物をして、健太や康太のお嫁さんや華子に、素敵な時計や指輪を残すわ。」
 
 病室内に笑いがこみあげている。

第2章 昭和18年東京

 賄い付きの学生用下宿の個室部屋。6畳部屋に机があり、
 デッサン用レリーフが置かれている。
 それを見つめ続ける青年(大岡)同じ下宿の友人が、部屋に入ってくる。

友人「俺の部屋にまで、お前のため息が聞こえるぞ。」

大岡「えっ?」

友人「真剣に受け止めるなよ(笑)。冗談だよ。彼女に打ち明けたのか?」

大岡「……」

友人「一応、お前の気持ちだけでも伝えて見ろよ。俺たちだって、戦争に行くかもしれんから。」

大岡「だから悩んでいるんだ。戦死したら、彼女が可哀想だ。」

友人「彼女が、『はい』と言う自信があるなら、さっさと打ち明けろ。毎日、その彫像を見つめていないでさ。」

大岡「そうだなぁ。」

 大岡は笑った。

友人「結婚すればいいよ。さっさと国のために子供を作れ。それも俺たちの役目だ。」

大岡「従兄が昨年戦死した。結婚して二年目だった。子供が二人居るのだが、下の子とは会えないままだった。」

友人「国の為だよ。お前、そんな事を人に言うな。非国民だとぶち込まれるぞ。」

大岡「ああ……」

 大岡はレリーフを見ている。

大岡「彼女と話がしてみたいなぁ。」

友人「話もしていないのか?」

大岡「ああ……声も知らない。」

友人「それで未亡人にしたらと悩んでいるのか?」

大岡「ああ……」

二人は大笑いをする。

友人「まず話して見ろ。」

大岡「どうやって?」

友人「手紙を手渡せ。」

大岡「……」

友人「いつ、どこで、何時に待っているとだけ書いて、渡してみろ。お前ほど、かっこよければ、来るって。来なければ、諦めろ。」

大岡 「……」

 大岡は、一点を見つめて考えている。すぅっと立ち上がり、
 友人の肩を両手でポンとたたき、

大岡「明日、お前、付き合ってくれ。仕事が六時に終わるから、俺の仕事場の東京駅前丸ビルに来てくれ。」

 友人が困りながらも、真剣に、

友人「俺が手紙を渡すのか?」

大岡「違うよ。」

 大笑いする大岡。

大岡「親父が東京に来た時に、行く店がある。今やっているか、分からんから、行ってみたいんだ。」

友人「いいけど、どこだ?」

大岡「銀座だよ。旨いもん食わせてやる。」

友人「お前は芦屋のボンだからなぁ。」

 大岡はすっきりした様子になり、

大岡「明日も彼女に会える!」

友人「話もしていないんだろうが。」

大岡「見ているだけで幸せなんだ。どんな声で話すのかな。彼女の前で、俺、話ができるかな?」

友人「この彫像に似ているのか?凄い美人だな。」

大岡「もっとかわいい。彼女を見て、これが似ていると思って買ったんだ。
もう半年になる。勤労奉仕の女学生だろう。始めの頃は、女学生の制服だった。二、三日したら、私服を着ていた。丸ビルで女学生の制服は、返って目立つからな。」

友人「半年のため息か。事務職で勤労奉仕だと、成績は一、二番だな。よし、明日は俺が彼女になってやる。俺を彼女と思い、話をしろ!」

 友人は女らしいしぐさをし、大岡を見つめる。大岡は大笑いをしながら、

大岡「彼女と話をすると思うだけで、心臓が張り裂けそうだよ。でも断られたらと思と。……」

友人「未亡人にしたらと考えていた自信家はどこへ行った?」

 大岡と友人は、お腹を抱えながら笑った。

第3章 昭和18年 輝子の家

 昭和18年6月、東京杉並区阿佐ヶ谷駅に近い住宅街。
 戦時中と思えない静けさである。
 紫陽花が咲いている。アメリカ軍の攻撃は、本土には到達せず、
 B29の攻撃を知らない庶民は、空爆に怯えることもほとんどなかった。
 夏至の頃、夜七時に近くてもまだ明るい。

輝子「お母様、お母様、……ただいま帰りました。」

 輝子が、息を切らすように駆け込んで帰宅し、
 母のいる台所に飛び込むように入って来た。
 輝子の目は、嬉しさに満ち溢れ、はちきれんばかりに輝き、
 頬はほのかに赤くなっている。

清子「お帰りなさい。どうしたの?そんなに慌てて?」

 母はいつもの輝子でないことをはっきり感じた。
 こんな輝子を見るのは初めてであった。

輝子「お母様、これをいただいたの……」

 輝子のきれいな白い指の中にギュッと握られた、
 四つ折りにした白い小さな紙がある。
 ずっと握り続けてきたのであろう。紙は手の蒸気を帯びている。
 輝子の指の形の付いた白い紙を、母は開いてみる。

『明日、銀座の日劇前で1時に待っています。大岡基良』

清子「どうしたの?これ……」

輝子「いつも丸ビルで、良くすれ違う方に渡されたの。今日のお昼にエレベーターに乗ろうと待っていた時に、サッと手に握らされたの。どうしましょう。」

清子「お父様にご相談なさい。でもどういう方なの?このようなことをするなんて。」

輝子「とっても、とっても素敵な方なの。口をきいたことは無いけれど、お昼休みに、丸ビルの1階で、良くすれ違うの。お友達の横田さんと『素敵ねぇ。』と話していたの。」

清子「お父様に……」

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