小説 介護士・柴田涼の日常 62 イマイさんの便ショック、サトウさんの怒りを買ってしまう

 ショートスリーパーのサトウさんは、二十三時頃に寝て、四時には起き出してしまった。これはもう臥床を促しても寝ないと思ったため、更衣をしてそのまま起きていただくことにする。見守りがしやすいように、いつもとは違う席に移動して塗り絵の準備をし、色鉛筆を握っていただく。塗り絵の本は四冊くらいあり、ほとんどの動物だったり果物だったりが単色で塗られている。それでも、ライオンの絵だったらたてがみと足しか塗られていなかったりして塗り残しがある。そうした部分を塗ってみるように促しをする。すると、いつもはなかなか集中力が持続しないが、今日は調子がいいようで、どんどん色塗りが進む。これで動き回る心配が少しは減ったところで、五時の排泄介助に出発する。

 夜勤の夜明けはあっという間にやってくる。朝方は起き出しもあるためバタバタとしてしまう。起きたいとコールで呼ぶ人もいれば、ご自身で起きてくる人もいる。その前までに出来ることはすべて済ませておくのが望ましい。といっても、夜間帯にはあまりこまごまとした仕事はない。なるべく体力を温存し、いざというときに動けるようにという配慮なのだろう。

 イマイさんはここのところ朝起きたらすぐにトイレに連れて行くことになっている。この方は、軟便もしくは泥状便の失禁があることもあるので、起こす前にオムツの中を見て、便失禁がないようであればそのままトイレに連れて行くが、便失禁があればベッド上でキレイにしてからトイレに連れて行く。イマイさんは恰幅がよく、ずっと立位を保っていることが難しいため、泥状便で汚れてしまった場合はベッド上でキレイにしたほうがよいと間宮さんから教わった。

 この日はイマイさんの離床拒否が強く、少し迷ったが、この方はいつも「いいの、いいの」と言って拒否することが多いため、この日もいつものことと思い、そのまま離床しトイレに連れて行った。しばらく座っていてもらい様子を見に来ると、便は出ていたが、声かけに反応もなくよだれを垂らして寝ておられた。こんな状態ははじめてのことなので、早めに来ていたFユニットのリーダー青山さんにヘルプを頼むと、まずはバイタルを測定するようにと言われた。バイタルに異常は見られない。次に、この状態では立てないので、青山さんに手伝ってもらってイマイさんを車椅子に乗せ臥床対応する。そして当直リーダーの木村さんを呼び、状況を報告して、ナースにオンコールしてもらう(木村さんが当直のときにお世話になるのはこれで二度目だ。僕が早番の独り立ち初日のとき、朝食の食事カートを取りに行っていたら、脱衣行為がひどいためキッチン脇に移動してもらっていたセンリさんが車椅子から転落してしまい左腕と額に擦り傷を負ったが、そのときに当直だったのが木村さんで、いろいろ対応してもらった)。呼びかけに反応はないが、こめかみや胸のあたりをつねると痛覚反応が見られたので、様子観察の指示となる。その後、出勤してきたナースの小宮さんに診てもらうと、イマイさんには笑顔が見られ、一眠りしてすっきりした表情をされていたので、離床して朝ごはんを食べてもらう。小宮さんによれば、「便ショック」のようなものではないかとのことであった。排便により、血圧が低下するために失神することを「便ショック」と言うようだが、イマイさんはこれまでこのようなことは一度も見られなかった。離床拒否が強いときはしばらく寝かせておいたほうがいいのかもしれない。

 夜勤日誌にこのことを記録しておく。

 夜勤日誌は、普段とは違った行動が見られた場合に、その出来事をそのまま記録する。尿汚染により衣類を交換したり、足が痛くて眠れないという訴えがあったり、起き出しが頻回にあったりした場合にも記録する。簡潔にわかりやすく書くように努める。

 塗り絵に集中していたサトウさんを、いつもの席に移動していただこうとすると不穏になってしまい「朝食なんかいらない」と臍を曲げられてしまった。席は移動せずともその場で召し上がっていただいたほうがよかったのかもしれない。こうした予期せぬ怒りを買ってしまうというのが一番堪える。しかも夜勤の一番疲れが溜まっている時間帯だったので、余計にキツイ。最後の最後でこういう目に遭ってしまうと気持ちよく上がれなくなってしまう。それが残念でならない。

 全員の離床介助が終わり、朝食の配膳が終わって、食事介助に入るとぐったりと疲れていることに気づく。もう眠くてしかたがない。昨日、夜勤に入る前に一睡もしなかったことが響いている。普段なら少しは寝てから来るが、昨日は寝ずに映画を見てしまった。〇時を過ぎたあたりから眠気が襲ってきた。休憩は三時から四時までを申請していた(当直リーダーが夜勤者の休憩回しをしてくれる)が、眠れて二、三十分といったところだ。少しでも仮眠が取れると違うが、それでも身体への負担は大きい。夜勤明けで帰ってから朝食をとり、お風呂に入って布団に入ると夕方まで起きることができなかった。今度からは夜勤前はある程度眠っておこうと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?