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山梨県甲州市塩山赤尾にある「大石神社」について調べています。境内の磐座や陽石、丸石道祖…

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山梨県甲州市塩山赤尾にある「大石神社」について調べています。境内の磐座や陽石、丸石道祖神など、古典的な神道の雰囲気に魅せられました。延喜式では甲斐国に「物部神社」があり、ここも論社となっています。大石神社の良さを皆様に知ってもらい、足を運んで頂ける雰囲気を醸成していきたいです。

最近の記事

七里村の「物部社」

明治期に山梨県が認識していた「物部社」明治24年に記された「山梨県市郡村誌 七里村誌」によると、七里村(現甲州市塩山)内に大石神社は登場せず、代わりに同位置に「物部社」の記述を見ることができる。  「村社社地東西四拾間南北拾間面積四百坪本村ノ当方ニアリ祭神可愛◼️手命(◾️不可読:おそらく「可美真手命」)大山祇命鎮座年月未詳」  明治期に村社となっていることを含め、祭神や境内の規模も山梨県神社庁の記録とほぼ一致する。  これまで挙げてきた資料はいずれも「七里村」規模の記録であ

    • 複数の物部神社

       近現代の文献によると、大石神社が物部神社と呼ばれた時代があったように思われる。  実際、大正6年の社寺台帳では「一ニ物部神社ト称ス」とある。社寺台帳は「永久保存」と但し書きされた七里村役場(現甲州市)の公式文書であり、全くの出鱈目を書いてあるとは思いづらい。  ただ、宝暦二年の赤尾村諸色明細張には「四石五斗余 大石大明神領 神主神おそ村土屋石見」とだけ書いてあり、四石五斗は前記事で触れた通りに徳川家光によるものだとしても、それ以外の情報が見当たらない。  何らかの基礎となる

      • 雑記

         フィールドワークに出かけて気づいたことがある。  この神社の尖った陽石(?)は本殿の真下に鎮座しており、あまり見かけない構造であると思う。  地元の寺院のご住職の話によれば、こういった作りは大変古い神社に見られるもので、享保(江戸時代)の水鉢や、社記に登場する守邦親王(鎌倉時代)どころではなく、さらに昔から信仰の対象であった可能性があると言うことである。  実際、境内に見られる丸石(道祖)神は、同様のものが縄文時代の遺跡からも発掘されていることから、土着の岩石信仰の場に、後

        • 大石神社の調査

          文献調査 上の写真のように、塩山駅前では、大石神社に祀られているのと同様な丸石道祖神が見られる。やはり、この地域に広く分布する古典信仰の対象なのだろう。  さて、神社の歴史を探るため、最近の文献から紐解いていきたい。  1967年に編纂された「甲斐国社記寺記」には、前の記事にあった大正時代と同様の内容が記載されている。  「明治三十四年九月従来ノ祭日九月十五日ヲ十月十五日二変更ス」とあるが、明治五年十二月(旧暦)に日本はグレゴリオ暦(太陽暦)に改暦しているため、祭日を月後れ

        七里村の「物部社」

          今後の予定

           現地の考古学関係研究者の皆様と「大石神社」の歴史や今後について、調査・検討を行っています。  新情報が得られ次第、記事として投稿いたしますので、ぜひご覧ください。  今後ともよろしくお願いいたします。

          今後の予定

          ほんのり安心できる「大石神社」の紹介

          ひっそりと氏子を守ってきた小ぶりな神社 山梨県甲州市塩山赤尾に鎮座する「大石神社」は、JR中央線特急かいじ号停車駅である塩山駅から、徒歩5分程度の場所にある。  特急かいじ号と言えば、東京駅や新宿駅を始発点とする中央線を代表する特急であるが、新宿駅から塩山駅までは1時間半程度の道のりだ。  また、赤尾バイパスを挟んで向かいには、美味しいほうとうを提供することで有名な「完熟屋(https://goo.gl/maps/hDXtqb5TLxoUy6KZ8)」がある。店の前には、毎日

          ほんのり安心できる「大石神社」の紹介