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ほんのり安心できる「大石神社」の紹介


大石神社(山梨県甲州市塩山赤尾)
場所:https://goo.gl/maps/PuievQANArvPXYkH6

ひっそりと氏子を守ってきた小ぶりな神社

 山梨県甲州市塩山赤尾に鎮座する「大石神社」は、JR中央線特急かいじ号停車駅である塩山駅から、徒歩5分程度の場所にある。
 特急かいじ号と言えば、東京駅や新宿駅を始発点とする中央線を代表する特急であるが、新宿駅から塩山駅までは1時間半程度の道のりだ。
 また、赤尾バイパスを挟んで向かいには、美味しいほうとうを提供することで有名な「完熟屋(https://goo.gl/maps/hDXtqb5TLxoUy6KZ8)」がある。店の前には、毎日のように行列ができるほどだ。
 アクセスも良く人通りが多いにもかかわらず、昔から変わらずひっそりと、鎮守の森の中から地域を見守り続けているのが、この神社である。
 境内には磐座や本殿下の陽石がみられ、古くから続く岩石信仰の先にこの神社が存在していることをうかがわせる。
 境内社として、大神社、三峯社、稲荷社、地神社、山神社、道祖神があるらしい。ただし、地元の人々によって古くから継ぎはぎのように発展してきた神社であるので、これらの境内社が敷地内に点在しているのは面白い。 
 御利益は、商売繁盛、健康長寿、病気平癒、厄除け、交通安全、家内安全、勝負運、五穀豊穣とさまざまであるが、地域の氏神であることから「家内安全」が強調されることは興味深い。ちなみに私の場合は「勝負運」でお世話になっている気がする。
 専属の宮司さんはおらず、社務所もない。御朱印も記録には見当たらない。しかし、隣接する地域の集会所に「社務所」の文字があったため、過去には宮司さんがおられたのだろう。
 神社を紹介するうえで重要なことであるが、御祭神は「大山祇命」「可美真手命」である。

大石神社の社記

 社記には以下のようにある。

雄略天皇御代海部直赤尾物部兎代宿祢奉勅勧請、鎌倉将軍守邦親王深く崇敬あり。寛永十九年八月徳川家光社領高四石五斗餘寄附。元禄二年正月正一位を授る。宝暦十三年九月社宇再建。明治七年三月村社に定めらる。
(山梨県神社庁:https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/2017)

 雄略天皇と言えば古墳時代の登場人物であり、物部氏により勧請されており、守邦親王は鎌倉幕府最後の将軍、さらに江戸幕府三代将軍徳川家光から社領を賜り、江戸時代には神位のうちの最高位である正一位となっている。
 御祭神の一柱である「可美真手命」は物部氏の祖であり、一説には物部神社と称されたこともあるという。
 なんとも由緒正しそうな神社である。

大正時代の記録「社寺台帳」

大正六年に七里村(現甲州市)によりまとめられた寺社仏閣の情報

 大正六年現在では、確かに現在に見られる社記と同様の内容が読み取れた。さらに「社二定メラル一二物部神社ト称ス」とまで言及されており、神社として重要な地位を占めているように見える。
 平安時代に編纂された「延喜式」では甲斐国に「物部神社」ありと言及されており「大石神社」が「物部神社」であったとしても不思議はない。
 ただし、公正を期すために記すが、山梨県内には「物部神社」とされる神社が複数存在しており「大石神社」はその論社(可能性の一つ)という位置づけである。

イベント情報

 大石神社の例大祭は、十月十五日と定められており、地域の子どもたちが神輿を担いで練り歩く。もちろん、拝殿では神事が行われるが、宮司さんや氏子総代たちが出席するのみで、部外者が入ることは基本的に無いらしい。子どもたちの健康的で元気な声が町中を動き回り、塩山に活気をもたらしながら、暑い季節の終わりを告げる。
 一月には「どんやっせ」と呼ばれる行事があり、やはり子ども達が地域の家々を回り「福神入れて、悪神追い出せ~」と、一年の家内安全を祈願するのである。
 同時期には、正月飾りなどを焚き上げる「どんど焼き」が行われる。だるま状の餅を針金にぶら下げアルミホイルで巻き、境内で行われる焚火の周りにおいてこんがり焼くのである。
 この風習は日本各地でみられるが、この地域特有のものもある。

大石神社境内の丸石道祖神

 「大石神社」の境内には「丸石道祖神」が祀られており、その周りに簡単なやぐらを組むのである。
 「丸石道祖神」はこの周辺地域の土着信仰であり、同様の遺跡が縄文時代の地層から発掘されていることからも、最も古い信仰の形であると言えるだろう。
(金生遺跡:https://www.hokuto-kanko.jp/guide/%E9%87%91%E7%94%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1)

 この地域は中部高地と呼ばれ、縄文時代には多くの集落が点在していたと考えられている。中央高速道の工事現場からも、多数の縄文土器が発掘された。(釈迦堂遺跡を参照)
 その頃の名残が今なお、地域の行事に溶け込んでいるのである。
 古典的な信仰の形を残した独特な行事であるため、ぜひとも足を運んでご覧いただきたい。
 地域住民による甘酒の配布もあり、一月の寒空の下で体をほんのり温める。これも楽しみである。

大石神社を一言でまとめると?

 「地域住民によって大切に守られてきた文化が息づく憩いの場」
 地域を守る性質の強い神社であるため、地元住民が稀に参拝する様子が見られる。ボランティアで草むしりをしている方もおり、地元住民から大切に思われていることは明白であろう。
 観光地の神社のような煌びやかさはないが、人々により脈々と受け継がれてきた文化と信仰が、質素な境内では肌で感じられる。
 春には境内で桜が咲く。その下で、地域住民と共に一休みするのも良いかもしれない。


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