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8月29日、発熱は夏の呪い。

土曜日の朝、10時過ぎに起きたら、身体が熱い。まさかと思いながら体温計を脇に差してみると、38度1分。やってんなあ、やってしまったのかと思い、何をすべきかに思いを馳せる。味覚だ、味覚を確認せねばと、そういえば買っておいたペヤングにお湯を注ぐ。久々に食べたがとてもおいしい。ペヤングを食べるとき、いつもダウンダウンの浜ちゃんの顔が浮かんでしまう。昔、『リンカーン』で浜ちゃんがペヤングが好きで、それをフックにした企画をやっていた気がして、ただどんな企画かはずっと思い出せないでいる。いや、ペヤングの味がして一安心した。ワクチンも2回打っている身ではあったが、何があるかはわからない。解熱剤を飲んで、しばらく横になった。途中で少しスマブラもした。そして、起きたころには完全に平熱に戻っていた。2時間だけの発熱。まあしばらくは殊更引きこもっていようと思うが、そういえば3年前の夏も、一日だけ高熱にうなされたことがあった。

3年前に結婚をして、両親と縁が切れた。厳密には「実家の敷居を跨ぐな」と言われたのだが、そう言われて直後に「一応、結納はしたい」と電話がかかった。一度、「結納などやらない」とドタキャンを食らったこともあったのでその心変わりに唖然としたが、世間体を気にする田舎の両親らしいなと思い、まあこれ以上揉めるのも避けたかった。その電話から数か月語の夏の銀座で、結納は開かれた。いま振り返っても、とてもつらい時間だった。父親同士は妙にハイテンションで会話を重ね、一方でわたしの母は終始、下をむいては指をつねっていた。そして時折、かばんから薬を取り出してはおもむろに飲んでいた。わたしはただ、時間が過ぎることを願い続け、コースを締めるデザートが来たのを見計らって、スマホで店の前にタクシーを呼んだ。会計を済ませ、足早にエレベータに乗り、タクシーの前で両親を見送り、「きょうはありがとうございました」と、接待のあとに取引先を見送るみたいに頭を下げた。

その次の日、見事に熱が出た。妻は「呪いだね」と言って笑いながら看病してくれた。風邪の前に根性論など無風、ということを知りながらも、わたしははやくこの熱を下げたくて、妻がくれた解熱剤を飲み、じっと布団のなかで、汗が出るのを待ち続けた。翌日には復調し、仕事にも行けた。

それ以降、たまに熱がでることを我が家では「呪い」といってやり過ごすことと、自分をいたわるサインだと捉えるようになった。今回の呪いも、きっと疲れていたから現れたにすぎないであろう。たしかに最近、すこし仕事も忙しかったし、とかく思考と選択を迫られる厄災の世である。暮らしのなかで積もるストレスの絶対量もきっと増えている。夏の呪いは、かえって自分を救ってくれている。会えなくなった両親に、すこし思いを馳せた。


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