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おとなになると「感性がにぶる」わけじゃなくて、みずから感動を減らしているだけ説。

おとなになると「感性がにぶる」とよく言われている。

でもじっさいは、おとなはたくさんの経験があるし、たくさんの音や、ことばや、絵や、人に出逢って生きている。ほんとうであれば、それらかずかずのメモリーは、クリエイティブな現場において「若さ」だけでは作れない色の深みやあざやかさを演出できるはずだ。

それなのに、若い方々(10代とか、20代とか)の着想や切れ味にはかなわないと思うことは多い。だいたい、自分自身にたいしても「20代のころはもっとキレがあった」と感じるくらいだ。

それはなぜか。
それはおとなになると、なるべく心が波立たないように生きてしまうからだと思う。

若いころ、感情のままに人と接し、仕事をこなし、その結果がプラスにはたらいたこともあれば、想像もしなかったマイナスをまねいてしまった経験。

その経験則が、周囲の人間や日々の仕事にたいし、踏みこみを浅くし、みずから無難な位置に下がって1日を生きてしまう。

得られる結果としては、穏やかであたり障りのない1日。
そしてもうひとつ。こころの動きが少ない1日。感動がない1日。

おとなになると、同じまいにちが嫌にならない日がくる。「同じまいにちを生きられるって、しあわせなことなんだよ」と、感情の起伏がすくないフラットな1日の過ごし方がとても上手になる。

すると、とたんに「感性がにぶる」。
こんなまいにちから、他人さまがシビれるようなアイデアは生まれない。
こころが動かないと、感動しないと、よい文章も書けなくなるものだ。

だからといって、若いころのように、いまさら「向こう見ず」に生きることはできないよね。ここなんですよ。

分かっているものの、どうしたものかなあ。




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