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「レビュー」はただしく使いましょう。

なんだかホテルの部屋がくさい。

出張先のビジネスホテル。ウッド調の室内に観葉インテリアがあったりと、それなりに洒落ている。清潔感もある。なのに机にすわっていると、ほのかに異臭がする。なんだか、吐瀉物のようなにおいがうっすら漂う。

はじめは風呂場やゴミ箱からにおうのかと思ったがそうでもない。においの原因を探したが分からずじまいでいまに至る。

こんなとき「部屋を代えてください」と訴えるような生き方ができていればよいが、そんな豪胆さを持ちあわせていない。

なにをするかといえば、つい、レビューをのぞいてしまう。

もし、楽天トラベルなどの口コミに「なんだか部屋がくさかったです」などと、いまのわたしとおなじ不平不満を持つ人を見つけることができれば、その時点で「うんうん、そうだよな、やっぱりそうだよな」と勝手に納得して溜飲が下がる。問題は解決。

この心理、なんなんでしょうね。

たとえば、飲食店でもそう。
同僚のあいだでウマいと評判のラーメン屋を勧められ、行ってみたものの味はたしかにおいしいが、テーブルやメニューが汚かったり、店員さんの対応があまり良くなかったとする。

ウマいよと勧めてくれた同僚には「味よりも他に気になることがあってわたしはダメだった」とは言えない。じっさいに店は繁盛していて、まいにち大勢のお客さんも並んでいるわけだし。

そんなときは、レビューの出番だ。

「みんな、味が良ければあとはどうでもいいものなのか!?」とわだかまりを持ちながら食べログのレビューを見渡し「おいしいがテーブルをもっとちゃんと拭いて欲しい」「味はいいのに、店員さんの接客に疑問」など、同意見を見つけるとそれだけで不満は解決してしまう。

なんでしょうね、この人間の性(さが)。世界で自分ひとりだけが抱えていると思っていた不平不満を、他人さまも同様だったと分かるだけで、重さが5分の1ほどに軽くなる。

でも、世の中に「レビュー」なるものが生まれたのはここ数年のことだよね。レビューの前は「掲示板」がその役目を果たしていたのかもしれない。

しかしそれだって、20年前がいいところで、それより前は、人は自分が抱えている不平不満をかんたんに分かちあうことさえもできなかったんだね。

レビューって、まちがった使い方をすると誰かを傷つけることができてしまうデリケートなシステムだけど、こういうときは、ありがたい存在だなって思ってしまうなあ。




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