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「マイ・フェイバリット・反抗期」

会社の20代の子たちと学生時代の話で盛り上がり、そのまま自分の「マイ・フェイバリット・反抗期」は何か、という話になった。

「マイ・フェイバリット・反抗期」とは、親には申し訳ないけど、今だから「そんなころもあったなあ」と、懐かしみと共に笑って話せる自分のしょうもない反抗期の思い出のことだ(もちろん造語)。

とりあえず、先に若手たちに話させるのもアレなので、わたしから話すことにした。

あれは高校受験前、中学3年生の12月ころだったと思う。

志望校に受かるには、もう怒涛のごとく勉強をしなければいけない時期だった。

当時のわたしは、なにも深く考えないまま市内でいちばん頭の良さそうな高校をなんとなく目指していた。

そんなあいまいな意思で勉強していると、ある日とつぜん勉強がいやになった。

親はもちろん「いまさらなに言ってるの」と怒る。そりゃそうだ。

しかしその日から、急に勉強をしなくなったわたしと「いまさらなに言ってるの」の攻防が4~5日つづいた。

その応酬にストレスがマックスになったわたしは、とつぜん進研ゼミの冊子をボールペンでびりびりに破り「うわー!」と叫びながら、窓を開けて投げ捨てた。

そして、そのまま「バーン!」と玄関を飛び出して自転車に乗った。

それから「知るかーーーー!」と喘ぎながら、ひたすら全力で自転車を漕いだ。隣の隣の隣町を目指し、4時間くらい走りつづけた。

到着したあとは「もう家には帰らない」と決めた。

11月なので、外は5℃とかそういう寒さ。

4時間も自転車を漕げば身体は暑い。
もう夜中の23時くらいだった。

電話ボックスに入り、今日はここで寝ようと座り込んだ。

しかし1時間もすると、身体の芯から冷えて耐えがたい寒さに襲われた。

「ももももももう家には帰らないぞ」「ガチガチガチガチガチ」

というか、帰ろうにもここは自転車で4時間かかった隣の隣の隣町。

凍死するほど寒いが、何も食べてないので自転車を漕ぐ体力も残っていない。

戻るに戻れないのだ。

寝てしまおう、寝て朝になれば日が出て少しは暖まるはず。

ZZZ...

....

....

「寒い!」「ガチガチガチガチガチガチガチ」

寒さでまったく眠れなかった。
歯のカチカチを止めようとしても、まったく止まらない。初めての体験だった。

中学生ながらも、

「死ぬ!」

と死期を悟ったわたしは、震える身体で自転車を漕ぎ、近くの警察署にお邪魔した。

すでに時間は夜中の1時。

警察署の扉をあけると「ジリリリリリ!」とベルが鳴る。

「なんだなんだ」

と、奥から寝間着を着た宿直の警察官が出迎えてくれた。

事情を話し、親に連絡をしてもらう。

殺風景な待合室に通されて、ストーブの前で温まりながら「(ああ...ぜったいに怒られる...)」と、なんにもおもしろくない。

1時間もすると、ブチ切れた母親と「しかたねえなあ」とあきれた親父が車で迎えに来た。

セダンのトランクにママチャリを積んで連れ帰られるわたし。

それから数日後、いろいろ話し合った結果、志望校を3ランクくらい下げた。

今でもその選択は間違っていたと思う。

それがたぶん、わたしの思春期の「マイ・フェイバリット・反抗期」だ。

この話をすると、若手たちから、

「1番目にそんなの話されたら次、話せないですよ...」

と言われ、盛り下げてしまった...。

すまない...。

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