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「一日生きることは、一歩進むことでありたい」

そのまんまです。

noteで記事をまいにち書くのは、このことばが原点なのかもしれない。このね、最後のね、一歩進むことで「ありたい」ってとこがいい。もし「一日生きることは、一歩進むことである」だったら、ちょっと暑苦しいというか。あ、うん、まーそだね、知ってるけど。くらいに受けとっちゃう。

いまや一日一日は大切に生きべきということも、一日一日の積みかさねが大事ということも、分かりきってる。

分かってるけど、なかなか継続できなかったり、つらかったり、不安になったりするわけですよ。やれる日があれば、やれない日もある。

そんなときに「がんばらなくても、いいんだよ」という「ひとやすみ」ができることばありがたい。ありがたいけど、いつまでもやすむわけにはいかないし、がんばらない人生が欲しいわけでもない。

いくらやすんでも、結局、ただ消化するだけの毎日を生きることを、わたしはできない。どうせ生きるなら、悔いなく生きたい。成長したい。ここは絶対なわけですよ。

ここがジレンマというか、継続することの希少価値を知っているからこそ、こそ、悩みくるしむ。

だからこそー。

この「ありたい」って表現が、ぴったりなんだよね。
今風にいうと、継続することを「ゆるっと」応援してくれる。

なんというか、結局ぜいたくなんだよね。
やさしく癒されることばも好きだけど、こうやって前を向いて進もうとする自分に並走しようとしてくれることばも好き。

もうがんばって、疲れきって、それでもまだまだ終われない、やらなきゃいけないってときに、春の風が吹く丘の上か原っぱかなんかでさ、町並みを見渡しながらでもさ、サラーッとだれかに言って欲しい名言のひとつかも。

あーもう、そんときに額を通り抜ける春の風が気持ちいーこと。前髪もファッサーとさわやかになびくね。

noteの住人にはとてもやさしい、このことば。

物理学者でノーベル賞受賞者、湯川秀樹さんのことばです。


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