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カタカナ語は麻薬。

「このコンサルのバリューとしては…」
「まずはベンチマークを決めないと…」
「ティザーとしてこのクリエイティブを先に投稿しませんか…」

広告PRでミーティングをしていると、あたりまえに飛び交うカタカナ語。

マーケティングの渦中で仕事をしていると、みんな別にかっこつけてるばかりで使っているわけでもない。カタカナ語には使い勝手の良さもある。

カタカナのほうが文字数が少ないケースもある。
PV(ピーブイ、ページビュー)なんかは日本語だと「閲覧数(えつらんすう)」と6文字なので、「ビュー」と言ったほうが早いしね。なんか響きも早そうだし。
マネタイズもそう。収益化(しゅうえきか)だと6文字なので、5文字のマネタイズに軍配が上がる。

お互いがことばを理解しあっているのなら、効率的に伝わるワードを瞬時にセレクトしながら会話をするのは、優秀な一面をもち合わせているといえる。

でもなんでだろうね、そんな高尚な話の前に、まわりのみんなが(とくにデキる人が)使っていると、わたしも!と、とにかく使いたくなる。

「あの企画、ローンチしたのは7年くらい前でしたっけ…」

ローンチ?
迅速に検索して「公開、立ち上げ」と知る。
「ああ、そうですね…」と相づちをしながら、これは次から自分も使えそうと、さっそく語彙の引き出しに入れてみたり。

ミーティングでうまくカタカナ語を使って発言できると、とーてもが気持ちいい。カタカナ語を使って言いたいことが伝わると、それだけで仕事をしている気分になる。これは、ぜったい脳内でエンドルフィンが分泌されていると思う。ていうか、カタカナ語にはそういう作用があるのだ、きっと。

具体性のない理想論を述べているだけでも、カタカナ語を使いこなせる人は、それなりの発言権が持てたりする。カタカナ語の語彙力が高いと、それだけでその場のイニシアチブを取っていたりもする。

カタカナ語は、世界での自分の存在意義を強めてくれる。ような気にとてもさせてくれる。クセになる。やめられない、止まらない。まるで麻薬のような依存性を持っていると思うよ。

あとどうしてだろう、知らないことばでも、なんとなーく「ええ、はい」と聞き流してしまうの、なんでだろうね。自分がカタカナ語を使う側になったら、まわりのみんなも知っているだろうと思いこんで、遠慮なく使ってしまったりするよね。それでまたみんな「ええ、はい」と聞き流していたり。

そこで「◯◯ってなんですか?」と訊ける人は、麻薬におぼれていない、芯のあるかっこいい大人だなあ、と本当に思うよ。



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