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エッセイを書きつづけると、行動力も育ちます。

エッセイを書きつづけると決めた人には、日々かんがえごとをして生きることが求められると思う。

エッセイが日記やブログと大きくちがう点は、自分の出来事を書くだけではなくて、「わたしはこう思う」みたいな自分のかんがえかたを添えて、他人様の喜怒哀楽に文章を届ける行為だ。

毎日投稿なんてしていると、最初のうちは自分のなかの秘めた想いをつぎつぎと書きつらねることができるが、次第に、一時的ないわゆる「ネタ切れ」のような状態に陥る。

そのとき、パソコンに向かってもまったく筆はすすまない。

何度かそういう経験をくり返しながら、何十日と書きつづけていると、まるで漫画家や作家のように、朝の通勤から帰り道まであちらこちらでネタさがしをはじめる。

ネタ、というと味気なく聞こえるが、エッセイを書きつづけたい、と思っている人は、なにかしら「テーマ」さえあればわたしは無限に文章を書けるぞ、という人がほとんどだと思う。

このネタだの、テーマだのをどうするかでとにかく悩むのだ。どんな語彙で、どんな文脈で、どんな量で書くのかは、実はさほど問題じゃない。

だからそんなとき、会社から「他県へ出張に行って欲しい」なんて言われると、いつもなら「え〜〜〜〜〜〜」と、なんとか断れないかジタバタするが、「なにか新しい発見があるかも」「脳への刺激にちょうどいいかも」「いいネタが拾えるかも!」なんて思って、快諾したりする。

おかげさまで4月から1ヶ月間、出張になった。
なんと東北から山口県まで旅立ちます。
飛行機、乗り継ぎです。
俄然、みんなが行きたがらないなかで立候補という快挙。

毎日「書く」ことのすばらしさは、あらゆるnoteの猛者たちがいろいろなメリットを提言していますが、毎日投稿166日目という、どの角度から見ても中途半端なタイミングで、わたしも自分の変化を体感しました。

まいにち書きつづけると、その義務感で、行動力がオートで育ちます。





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