苦手な人の良いところを見つけるのは、かんたんなことではないよね。
noteには、しごとのイヤなことや、苦手な人のことを書いた記事は無数にある。
そんな「こころの澱(おり)」を、そっと吐き出す場所でもあるのだ、noteは。
わたしがなんとなーく思うに、noteのそんな記事たちは、ただ悪態をついているだけではなく、前向きな自己解決に着地する記事も少なくない。
その内容が自分のこころの内とシンクロすると、なんだか救われたような気分にもなる。
人間、社会ではたらいていれば、かならずと言っていいほど、ウマが合わない同僚とエンカウントするからね。これはわたしも同じだ。
今日読ませてもらった、なつっこりーさんのこの記事。
ときおり、この方の記事には、いわゆる「苦手(きらい?)な上司」が登場する。
今回は、苦手な上司さんの苦手な部分をしこたま書いたあとに、
…愚痴で終わらせるのは、ちょっと気の毒なので、
野郎さんのいいところも書いてみたいと思います。
と、上司さんの「いいところ」を書きつらねていらっしゃった。
そこには、たしかに上司さんのことはイヤで、キライで、腹が立つんだけど、それでもおなじ職場でながい時間を共有するひとりの人間にたいし、理解を示そうとする、前向きさとやさしさがあった。
野郎さんにはイライラするし、
「こんなにイラつく人は、初めて!!」と心から思うけれど、
いっぱい笑わせてくれるのも、野郎さんです。
とてもおおきなマイナス点があるのに、なんとか他のプラスの部分で、バランスが保たれてる。
プラスとマイナスのいったりきたりで、安定感はなくても、それでもギリギリのラインでバランスを取れる力や考え方が、会社勤めには大事だったりする。
でも、マイナス100点の人に、プラスの評価を見つけてあげるのは、かんたんではない。
誰もができることではないからこそ、この記事には惹かれたんだと思う。
たぶんだけど、わたしだったら、本当に、まったく関わりたくないくらい苦手な人のことは、記事にも書けない。
記録に残すと、それが視界に入るたびに思い出してしまうからだ。そこに悩んでいることでさえ、書けないかもしれない。
きらいなものはしょうがない。でも、まだ相手のプラスの部分を文字にして書けることは、すこしうらやましくも思った。
相手のプラスを見つけ、バランスを取る・取らないの選択をするのも自分自身だ。
それができている筆者さんを、素直にすごいとも思った。
そしてそれは、なにより自分自身を大切にすることでもある。
きらいな人間をたくさん作ると、自分の世界はせまくなる。周りとの調和は、なにより自分の世界を守るためでもあるのだ。
記事の終盤は、前向きに終わる。
読み終えたあとは、ほろにがいレモネードを飲みきったような爽快感でした。
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