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しあわせな犬。

ふと、むかし飼っていた犬のことを思いだした。

今は亡き、ポチとムクに捧げる。
さようならをムクに、ありがとうをポチに捧げる。

***

「オン、オンオン」
ポチの吠える声は野太い。おばあちゃんの家の犬。白くてでかい雑種。
おばあちゃんはひとり暮らし。おじいちゃんは、20年以上前に亡くなった。おばあちゃんがひとりになって、保健所からもらってきたんだって。

ゴールデンレトリバーと、柴犬の中間くらいの大きさ。頼もしげなポチ。筋肉質で、でかいのに毛が長くて、シャギーもかかってる白い毛だからちょっとおしゃれな狼のようだった。

「ワン、ワン、ワン」
ムクの吠える声は甲高い。わたしの実家にいた犬。14歳のときに近所の家からもらってきた雑種。中型犬。
毛は短くて耳がピンと立ってて、白い毛と茶色い毛がまだらに生えてた。

もうどっからどうみても雑種。迫力もないし座敷犬のような愛らしさもないし。元気に吠える声と、アホみたいにご飯にむしゃぶりつくトコはかわいかったかな。

2匹の歳の差はたしか3歳くらい。ポチのほうが先におばあちゃんの家にやってきたと思う。

おばあちゃんの家は近かったから、散歩ついでによくポチとムクは顔を合わせてた。

はじめて2匹が出会ったとき、ムクはアホだから自分よりも大きくて白くて貫禄のあるポチにビビりまくってた。ポチのまわりをグルグルまわりながら甲高い声でワンワン吠えてたけど、ポチはぜんぜん平気な顔でムクを見てた。そのうち、ムクはポチの落ちつきはらった態度に吠えるのをやめ、なんかいつのまにか仲良くなってた。

相性が良かったのか、逢うたびにじゃれあってた。
ムクがひとりでキャンキャンはしゃいで、それをポチがよしよしってする。ポチは本当にいつでもどっかりと構えていて、からだも器量もでかい犬だった。

たまに知らない人がおばあちゃん家の前を歩くと、ムクは黙っていられない。びびって、びびって、ワンワンワンワン吠えまくる。あまりうるさいから、おばあちゃんから「静かにしろ」ってよくこづかれてたっけ。ポチはスッと構えてオン、オンと威嚇するだけ。

***

ムクはむかしっから、ワンワンワンワン吠える犬だった。
わたしが14歳のときに、子犬としてやってきたので、ちょうど成犬になるころに、わたしは高校受験だった。

わたしが欲しがってもらってきた犬だったから、毎日のさんぽ係はわたしだった。夕方、家に帰ってきて受験勉強をしていると、ムクの鳴き声がうるさくて勉強にならない。

「さんぽつれてけ、さんぽにつれてけ」とあたりかまわず鳴き散らす。だいたいあとこのぐらい勉強したら連れていこう、と決めているのにも関わらず、ひたすら鳴きまくる。

近所迷惑なので「しずかにしろー!」と叱ると、いったんシュンとして静かになる。でも静かになるのは一瞬だけで、5分もすればまた鳴いていた。

結局、勉強を中断し、ため息をつきながらさんぽに連れて行くと、ここぞとばかりのはしゃぎっぷりがなんだか憎たらしいときもあった。

高校に入ってからはムクのさんぽ係がオヤジになった。
通学に時間のかかる高校へ進学したので、中学の頃よりも帰りが遅くなってしまったからだ。

***

ムクは寝ているときが一番かわいかった。
夜、眠たそうにして、おとなしくしているときが一番かわいかった。

高校の放課後にバイトをしていたわたしは、だいたい夜の10時頃に帰宅する。

帰宅後、完全に寝ようとしてるムクを「ただいまぁ~」といってグシャグシャに揉む。

するとムクは「・・・・・」と無表情の無抵抗で揉まれまくる。ひたすらこちらが飽きるのを待ち、ブスーッとなすがまま。ムクはこのときが最高にかわいかった。

あとはキャンキャン吠えてるか、ガツガツご飯食べてるか、せっせと発情してる場面しか覚えてない。いつもアホだなあと思ってたけど、なんだかんだいってかわいかった。

それから高校を卒業して、家を出てひとり暮らしをした。だから社会人になってから、ほとんどムクと会う機会は無くなってしまった。

たまに帰省すると「ムクはオレのこと憶えてるかなあ」なんて、母親に冗談を言っていた。結局、すこぶる憶えていて、玄関を開けるとタタターって走ってきて、むかしと変わらないワンワン、という甲高い声で出迎えてくれた。

おばあちゃんの家に行くとポチも元気そうだったし、相変わらず落ちつき払った態度でねそべってた。

ウチの飼い犬であるムクを、あたたかく迎えてくれたポチには、わたしも感謝していた。そしてこのあと、ムクが早すぎる死を迎えたときも、ポチはムクに最期までやさしかった。

***

さらに月日がすぎてわたしは25歳になった。
千葉に住んでいるときだった。
ある日、実家から電話があった。
ムクが病気になったらしい。
あれだけワンワンワン!と、やかましかったムクがまったく吠えなくなり、ご飯もあんまり食べなくなったという。

獣医に見せたところ、内臓に腫瘍ができてしまい、お腹に水が溜まってしまったというのだ。いわゆる「がん」のようなものだ。

「手術とかで治らないの?」と聞くと、オヤジは「ムクの体力的な問題とか、腫瘍の位置の悪さとかで手術はできないみたいだ」と答えた。それからオヤジは続けて「あと3ヶ月くらいの命らしい」と言った。

それを聞いたとき、やっぱり悲しかったと思う。
ムクがこの世に生まれてからちょうど12、3年目くらいでの出来事だったから、中型犬にしてはやや短い一生だ。

その電話が11月くらいだったから、正月には実家に帰ることにした。帰る予定はなかったけど、ムクが死んでしまうというのだから、やっぱり帰っておくべきだなと思った。

1月、実家に帰って見たムクは驚くほど痩せこけていた。
雑種の中型犬とはいえ、筋肉で締まっていた身体はごっそり肉がそげてあばらが浮き出ていた。茶色い毛並みはつやを失い、首も前足も後ろ足も全部細くなっていた。もうひとまわりとかそういう次元じゃない。
腹水が溜まっているせいか、腹だけはポッコリ膨れてる。
さすがに驚いた。そして驚いた後、落胆した。

そして、ムクがわたしに気づいたのは、部屋に入って1m以内に近づいてからだった。

1年2年帰省しなくても、玄関先まで行けば、跳ねるように出迎えてくれたムクの面影はすっかりなくなり、わたしに気づくと頬のこけた顔をこちらに向け、力なく立ちあがって近づくのが精一杯。

憎たらしいくらいに走りまわってた面影もない。ただなにかに疲れたように無表情で立ち尽くしてるだけだった。

ご飯もほとんど食べやしない。あれだけご飯が大好きでご飯を食べるためなら首がちぎれるくらい鎖をひっぱっていたムクが、食べるとほとんど吐いてしまうらしい。
オヤジにかかえられながら、昔の10分の1くらいの量のご飯を必死に食べていた。

たまにか細く鳴き、それがまるで「もっと食べたい」と訴えているようで余計にかわいそうだった。

後日、定期検査で病院に行くと、獣医が「思ったより悪化が遅く、3ヶ月以上は生きるかもしれない」と言ってくれた。

それでも、元気なムクの姿をもう一生見られないと思うとすごく悲しくなったのを憶えてる。

獣医が言ったとおり、それからムクは6ヶ月くらい生きた。
毎日家でおとなしく横たわり、外でどんな音が聞こえても知らない誰かが来ても、もう昔のように吠えることもなく、ただ食べられるだけのご飯を食べて、そして吐いて、毎日それを繰り返した。

そしてある朝、そっと何事もなかったように動かなくなって死んだらしい。

ちょうどその時は家に母親しかいなくて、母親からは泣きながら電話がかかってきた。

母親は「今まで生きてきて、こんなに悲しかったことはない…!」と声を詰まらせて泣いていた。その悔しそうな声はいまでも忘れられない。電話越しのわたしは、何もできないまま泣くしかなかった。

だけどムクは、しあわせな犬だ。絶対、しあわせな犬だ。
ムクのクセに、なんてしあわせな死に方をするんだろうと思った。

それはなぜか。

***

ポチだ。
ポチは、ムクの死ぬ一週間前に、突然死んだ。

なんの前触れもなく、なんの病気にかかることもなく、ある朝、おばあちゃんがご飯をあげにいったら突然死んでいたという。
獣医に見せたら、獣医も突然死と判断していた。

わたしは思う。
きっとやさしいポチは、怖がりのムクを安心させるために一緒に旅立ってあげたのではないかと。

ムクは、3ヶ月で死ぬって言われていたのに、それよりもずっと長く生きた。

単に病状の悪化が遅くなっただけなのかもしれないが、生きていても、ただ痛くて苦しい救いのない毎日のなか、臆病なムクは、死ぬのが怖くてなかなか覚悟ができなかったのかもしれない。

そうやって生きているムクはずっと苦しかっただろう。
だからそんなムクを知り、ポチは先に天国で待ってくれていたんだと思う。
ポチはいつも臆病なムクにやさしかったし、よしよしってしてあげてたし、仲良しだったから。

だからムクはしあわせだったと思う。
天国にいるまっ白なポチを追いかけて、ムクは元気に走っていった。

ムクが病気になってから、わたしはムクの走る姿を見ることができなくなってしまったけど、ポチを追いかけて走っていく姿は思い浮かべることができた。

最初から最後まで、ムクにやさしくしてくれて、そしてわたしにも元気なムクの姿を想わせてくれたポチにありがとうと言いたい。

だからムクにはさようならを、ポチにはありがとうを捧げる。

この2匹が死んでから、もうおばあちゃん家も実家でも犬は飼っていない。

ある人は言ってた。
動物も笑ってるんだよ。でも人間にはそれが分からないだけ。

人間には分からないだけで、動物にも心はある。ってことらしい。
ポチとムクが2匹一緒に死んでから、今はそのことばも信じられるようになった。


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