「17歳で笑えていたことには一生笑えるのではないか(※安定メンのウチらに限る)」2021年1月3日の日記

・実家に帰ってきたのは昨日の夜中のこと。会社を出るのが予定より遅くなってしまい、ほぼ最終電車で帰ってきた。
・そして今日はほぼほぼ1年ぶりに実家で過ごす1日。家族で出かける予定もなく、こたつのある和室で家にいる時間の80%を過ごした。


・そのこたつにいる80%の時間の内訳はほとんど、本を読むこと。
・こちらにいる間に読もうと、私は帰ってくるときに持ってきた本をずっと読んでいる。

・先々週、大阪へ行った時に念願叶い伺った、絹谷幸二さんの美術館で目にした自伝。表紙には絹谷さんが留学先のイタリアで訪れたヴェネツィアの太陽を描いた「ヴェネツィアの日之出・希望」の壁画が装飾されている。

・この自伝が初版されたのは2015年、絹谷さんが73歳の時。
・77歳になられた現在も現役で制作活動と教育活動に取り組まれている。


・この自伝がすごく面白い。
・まだ全体の7割程度を読んだところだけど、戦後間もない時代、仏閣に慣れ親しんで過ごした幼少時代。わんぱくながら美術と野球に真摯に打ち込まれた少年時代。東京藝大時代と、現在の奥様との出会い。”片道切符の新婚旅行”とご自身でも仰っていた、新婚旅行も兼ねた奥様とのイタリア留学時代。そして現在につながるまでの様々な出会いと発見に満ちた画家としての生活の日々がみずみずしくユーモアあふれる文章で書かれている。”書かれている”というより、”描かれている”という方が正確かもしれない。
・素晴らしい文章に加え、たくさんの写真により、読者の頭の中でその風景が明確に思い描くことができる。


・全部読んだらまたまとめて感想などを書こうと思います。


・夕飯は中高時代の友人たち4人で食べた。
・私は中高一貫校に通っていたので、中学と高校で学年のメンツは変わらない。多感な時期を6年ともに過ごし、大学受験という人生の大きな転換期も乗り越えてきた友人たちなので、みんなで会うのは2年ぶりくらいだったけど、集まれば「よっ」とだけ最初の挨拶を済ませて、その後は一瞬で7年前に戻ることができる。


・私たちの知る限りでは、女子も男子も含めて、まだ中高の同級生で結婚した人はいない。(婚約はいる)
・なので20代も半ばになったとはいえ、結婚やお互いの恋愛の話は全く話題に上らず、当時と変わらないまさしくとりとめのない思い出話に花が咲いた。


・まだ10年も昔のことではないのに、なんで昔の話ってこんなに面白いんだろう。普段こんなに笑うことはない、こんなに笑ったのはほんとうに何か月ぶりだというくらいに始終みんなでゲラゲラ笑っていた。
・今でさえこんなに楽しめるのに、20年、30年経ってお互いそれぞれの生き方が形になってきた頃に同じ話をしたらどうなってしまうのだろう。
・それこそおじいさんおばあさんになってからやろうものなら、笑いすぎて入れ歯を外すかもしれない。そんな未来にはさすがに”入れ歯”以外のソリューションがあるのでしょうけど。


・私のクラスは、クラスの人数もおそらく世間の平均から見れば少なく、男女の仲も非常に良かった。クラスメイト同士はおそらく(仲が良いという意味で)女子は男子を”異性”として意識していなかったし、男子もまた同様に女子を異性として意識していなくて、言いたいことを言い合い、楽しむべき学校のイベントを楽しんだ。


・例えば文化祭などの行事もはぐれ者なく、みんなでやりたいことを決めて、みんなで楽しく実行して、終わった後には広いお庭を持ってるクラスメイトの家でクラス全員でバーベキューの打ち上げをした。


・まぁ、もちろん高校卒業以来、全員と連絡を取れているということはなく、実際に今の状況を詳しく知っているのは特に仲の良かった数人程度だけど、それでも中高時代、特に高校時代に共有した時間は、こうして10年弱の時間が経ってみると、当時思っていた以上に私たち同士の精神的な関係を深めていたのだと今になって気づく。


・当時の友人たちと再会するたびに昔話をしてしまうのは、最も出しやすい共通の話題がソレだというのもあるだろうけど、それに加えて、当時共有した”楽しい”感覚の琴線が、今もお互いに17,18歳だったころと同じコマの位置、同じ張力で張られていることを確認して喜び合う作業なのかもしれない。

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