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PBL教育者の考える5教科学習の必要性

noteを書き始めてこれで30本目になりました。
週1-2に1回という少ないペースで。拙い文章に乏しい発信力にも関わらず、毎回読んで下さっている方もいるみたいで。嬉しい限りです…。

さて、そんな感じで今回もnoteを書き始めた頃と今で、教育に対して大きく考え方が変わったことがあります。

それは5科目に対する考え方です。特に何か大きなきっかけとか、この人の考え方に影響を受けたということではありません。
ただ、仕事で5科目に関わることがあるだろうなあと漠然と考え始めてから徐々に変わっていきました。(←まだ5科目に関わる仕事はしていません笑)(コロナによる社会変化の様相は少なからず思考に影響を与えている可能性は高いです。)

5科目いらない説

以前は5科目の勉強はいらなくなってきているのではないかと考えていました。もちろん全くいらなくなることはないと思っていました。最低限の読み書きそろばんはそりゃいるだろうと。

ただ、実際に社会に出て5科目の学びが直接役立つかと言えば…。そりゃ書道家にとっては漢字の知識は役立つだろうし、海外で仕事をする人にとっては英語の知識は役立つ。けど、多くの仕事は5科目が直接役に立つことは少ないわけで。
かつ、社会の変化によって好きなことを仕事にしやすくなった。やりたくないことや面倒なことは機械に任せていればそれでいい、みたいな話をよく耳にするようになり。
それより、論理的思考力とかコミュニケーション能力とかプログラミングスキルとか?
というのには実はそこまで引かれることなく、自分の好きなことから問いを見つけ、実装するというP-PBL教育が今後の教育のあるべき姿の全てだという思考にあったのがちょうど半年前です。
こんな感じに。

P-PBL教育について改めて考えて見た

5科目いる説

でも、今は5科目教育めちゃいるなあっていう考え方になりました。かといって思考が180度変わったわけではないです。あくまで延長線です。

なぜか。

5科目って確かに無駄っちゃ無駄
なんです。
けど、無駄だから価値があるなあと思うようになったんです。
もう少しかみ砕きますね。

大人になると仕事に追われますよね。いや、追われるほどまでいかなくても、無駄を味わったり、無駄なことに時間をかけることは少なくなりますよね。役に立たない歴史のお勉強や数学の問題を解いている大人の人はまあ少数派でしょう。
だから小中高という、お金を生む使命があまりない間に無駄なことを味わっておけば?時間をかけておけば?というお話です。

無駄だから、いらないんじゃないかというのが自然な思考ですが、無駄がないとつまらないんですよね。ここは何となく理解して頂けるのではないかと。

5科目がなかった時代とある時代

もう1つ。
昔は逆に言うと5科目とか習わず、すぐに社会で活躍するためのスキル、例えば農家に生まれた子は農作物の育て方や、商人の家に生まれた子はお商売のやり方を身につけていました。
彼らと、約10年無駄な5科目教育を受けた人どちらが、社会に対してインパクトのある仕事をし、かつ本人も幸せに生きていけるでしょうか。

結局この無駄なことの積み重ねが、新しい価値の創出の源になっているんですよね。無駄がないと”飛躍”が生まれないですから。(もちろん例外は常につきものです。)

微分とか積分とか、日本の地形とか、平安時代はどんな時代だったかとか、仮定法過去完了とか、モルとか位置エネルギーとか。それらがどう役に立つかは説明できませんが、意味があるものだと考えるようになりました。

教育をこね、延ばす


あ、でもだからといって今の教育のままでいいとは微塵も思っていません。思いっきり変えようとも思っていないのですが。

ただただいらない部分をそぎ落とし、新しいものを付け足していく。そんなことが必要だと思います。5科目はいらないかいるかで言うといる。けど全て残していたらパンクします。

無駄の中にも無駄があるんですよね。無駄中の無駄。下の下みたいなやつです。
これはもう捨てましょう。時間は有限なので。出来事の順序を把握する必要はありますが、何年まで覚える必要はないでしょう。あとは何が無駄の中の無駄なんだろう…。
無駄中の無駄を見つけてそぎ落とす。これが今教育で必要だと私が考えていることの1つ目。
(これめちゃ難しい。創るより難しい…。あと、どうせ学ぶなら削る+外発的でも内発的でもいいから5科目を少しでも楽しく学べるようにしたい。)

そして、そぎ落として初めて新しいことを加えるスペースができます。そのスペースに新たな無駄を生んでいく。これが今教育で必要だと考えていることの2つ目です。いわゆる新しい教育と呼ばれるものですね。

“問いを見つける”“自己決定する”あたりはやはり無駄の中でも必要でしょう。P-PBL教育って今の社会フェーズにはやはりマッチしていると思います。

均一とバラバラ

あと、全員が同じ教育じゃなくていいですよね。5科目の割合が9の人もいれば、1の人がいてもいい。
ただ、これも歴史を振り返ってみると、バラバラだった教育を先人が頑張って均一化してきたのに、再びバラバラにしようとしているというなんとも無駄なことをやっている気にもなりますが笑 でも無駄だから意味があるんでしょうね。過去のバラバラと未来のバラバラ。同じバラバラでも中身は違いますし。そこに無駄の価値があるんだと思っています。

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