いろんな友人に会い、どうでしょうの凄みを実感、そしてラジオを聴きまくる(日記 3月24‐31日)

二〇二〇年 三月二十四日(火)

 お昼、久しぶりに人混みのなかへ出て、友人とラーメンを食べに行く。外でラーメンを食べることなど滅多にないので楽しい。友人の行きつけのお店で、わが家の近所にあるのだが私は初めて訪れた。一方で友人のほうは今日だか明日だかに引越しをするらしく、これが最後の訪問になるとか。なんだか後を任されたみたいだ。
 無事、歯医者に行くことができた(なにが「無事」なのかは前回記事参照のこと)。
 夜、別の友人ふたりと飲みに出かける。

三月二十五日(水)

 何ひとつ予定通りに進まなかった。
 夜、(昨日ラーメンを一緒に食べた)友人が家に来る。先週の『水曜どうでしょう』を観たり、近況を喋ったりし、一時間半ほど滞在して帰ってゆく。四月からお互い、というか主に向こうが忙しくなるので今後はなかなか会えなくなるねえ、などと別れ際に話したりしたのだが、その頃はまだ比較的暢気だったのだ。〔註:しばらく日記をサボっていたため——いちおうメモ書き程度のものは残していたけれど——この箇所は四月十九日に書いています。〕その後、会うことはおろか2メートル以内の距離に近づくことさえ憚られるようになるとは思ってもいなかったはずである。
 『水曜どうでしょう 2019新作』最終夜を観る。

どうでしょうはとんでもない番組であった。
(衝撃が大きすぎたせいで太字のうえ中央揃えになった)

 なにをどうしたらあんな番組ができるのだろう……。
 小池百合子が「感染爆発 重大局面」といったフリップを掲げて記者会見をした。急にこんなことを言い出したのはきっとオリンピックの延期が決まったからだろうね。さっさと中止にすればいいのに。

三月二十六日(木)

 わが家に友人が——私の語彙不足のせいで誰も彼もみな「友人」になってしまうね。ええと、この人は仮にBちゃんとしておこう——が訪れる。Bちゃんはいつかの日記に書いた、蔵書を安くで譲ってくれる人です。今日はその本を携えてきたのだ。全部で8冊、いちいち書くのは面倒だけれど仕方がない、書くか。

 ガブリエル・ガルシア゠マルケス『族長の秋 他6篇』〔鼓直訳、新潮社、2006年〕
 ——『予告された殺人の記録・十二の遍歴の物語』〔野谷文昭・旦敬介訳、新潮社、2008年〕
 ——『コレラの時代の愛』〔木村榮一訳、新潮社、2006年〕
 ——『生きて、語り伝える』〔旦敬介訳、新潮社、2009年〕
 アレホ・カルペンティエル『この世の王国』〔木村榮一・平田渡訳、叢書アンデスの風、1992年〕
 アドルフォ・ビオイ゠カサーレス『モレルの発明』〔清水徹・牛島信明訳、水声社、2008年〕
 マリオ・バルガス゠リョサ『チボの饗宴』〔八重樫克彦・八重樫由紀子訳、作品社、2010年〕
 ウラジーミル・ナボコフ『ナボコフ全短篇』〔秋草俊一郎・諫早勇一・貝澤哉・加藤光也・杉本一直・沼野充義・毛利公美・若島正訳、作品社、2011年〕

 これだけ貰って支払ったのは6000円。へへへ。ずいぶんいい買い物をした。最後の『ナボコフ全短篇』なんか、定価は税別7800円(つまり税込だと8580円!)、古書価格を調べても5000円はするのだ。これだけでも儲けものである。ふふふ。しかしBちゃんはこの価格でとても満足してくれた。よかったよかった。
 久しぶりにJRの電車に乗る。車中、京極夏彦『文庫版 鉄鼠の檻』〔講談社文庫、2001年〕の続きにとりかかり、読了。面白かった。

三月二十七日(金)

 別にプレミアムフライデーとは縁のない生活を送っているのだが、今日は穏やかな一日であった。
 特に書くこともないので雑感を記すことにする。
 この日記もそうなのだけれど、「二〇二〇年 三月二十七日」という表記のしかたはどうも気持ちが悪い。「二〇二〇年」と書くなら「三月二七日」にすべきだし、「三月二十七日」ならば「二千二十年」にせねば辻褄が合わないだろう。でもどっちも読みづらいよね。どうしても「二〇二〇年 三月二十七日」になる。落ち着かない。
 だが「令和二年」と書くのは絶対に嫌だ。なぜならば計算ができないから。大正九年っていま(令和二年)から何年前? と訊かれてあなたすぐに答えられますか。答えられるなら凄い。尊敬します。私はできない。令和元年が平成三十一年で、平成元年は昭和六十四年、昭和元年が大正十五年だということは辛うじて知っている(ただし大正十五年は不安だったので書いたあとで調べた)が、しかし知っているからといって計算ができるわけではない。紙とペンを用意して時間をかければどうにかなるだろうがそんなまだるっこしいことはしたくないし、計算結果はたぶん間違っている。自信はない。まあ兎にも角にも元号はめんどくさく、実用に向かない——と私は考えている——のだ。
 ちなみに大正九年は西暦でいうと一九二〇年。いま(二〇二〇年)から百年前である。ものすごく簡単である。
 京極夏彦『文庫版 書楼弔堂 炎昼』〔集英社文庫、2020年〕を読みはじめる。

三月二十八日(土)

 こんなご時世だが、法事へ行く。といっても内輪の親戚だけのごく小規模なものである。ぎりぎりまで行くかどうか悩み、結局行くことにしたのだ。私が法事に出たせいでホトケが増えることになったらどうしよう——などという不謹慎極まりないギャグを思いついたのだが発表するところがないのでここにひっそり書いておく。
 福山雅治が「JET STREAM」というラジオ番組の新しいパーソナリティ(この番組では「機長」と呼ぶらしい)になるとのこと。楽しみである。
 夕方からYouTubeライブで沼野充義の最終講義を観る。東大では学内での集会が全面的に禁止になったためこの最終講義も急遽オンライン生放送になったのだとか。最後の質疑応答が良かった。小学校6年生の視聴者(!)からの質問「おすすめのロシア文学はありますか」に対して、「不倫だの殺人だのが扱われたりもするから小学生に薦められるのはあまりない……けれど、薦められなくても読みたい本には自然と手が出るはずです。人に強制されて読むものは——国語の教科書がそうだったように——往々にしてつまらなく感じるので」との回答。これは素敵だと思った。

三月二十九日(日)

 福山雅治30周年ライブのグッズをポチる。完全受注生産の申込締切が今日だったのだ。まあチケ代も返金されることだし、WOWOWで放送したスタジオライブは赤字だったらしいし、買って後悔することはなかろう。
 夜、やりたくないので抛っておいた案件がどうにものっぴきならなくなってきたので無理やり処理。ついでにこちらも抛ったらかしになっていた日記もまとめて整理する。

三月三十日(月)

 志村けんが死んだ。が、驚くほど実感がない。
 午前のうちに、のっぴきならない案件その2をやっつける。
 片づけるべきものを退治したので、その後は比較的のんびり過ごす。
 夜、「JET STREAM」〔TOKYO FM〕福山雅治新機長の初回を聴く。一日の終わりにふさわしく、うまいこと眠気を誘ってくれるいい番組である。

三月三十一日(火)

 日中、とりたてて書くほどのことはなし。
 夜、ラジオを聴く。火曜日は聴く番組がたくさんあるし、さらに今日から新しい番組も始まるので大変。早めに入浴を済ませて万全の態勢を整え、午後11時からラジオ聴取開始。だいたいこんなスケジュールである。

 23:00 - 23:30「ひだかくま」〔文化放送 超!A&G+〕
 23:30 - 24:00「佐倉としたい大西」〔文化放送 超!A&G+〕
 24:00 - 25:00「JET STREAM」〔TOKYO FM〕
 25:00 - 25:30「洲崎西」〔文化放送 超!A&G+〕

 声優ラジオばっかりである。まるでオタクみたいだ。
 その後、午前1時半から「佐倉としたい大西 反省会」〔インターネットラジオステーション〈音泉〉〕を聴く(ただしこの番組は配信なので1週間以内ならいつでも聴くことができる)。これが10分~15分くらい。
 というわけで都合3時間弱ぶっ続けでラジオを聴くのだ。まあ聴きながらちょっとした作業(本棚の整理とか)をするので時間は有効活用できている。できているはずだ。できていると思う。たぶん。

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