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【短篇】水族館の廃墟

 やがて森に埋もれてしまいそうな錆びついた階段を降りて、落ち葉で覆われたけもの道のような石畳を踏み歩くと、木と木の間、狭い湾を隔てた向こう側にその建物は見える。空と、空の光を反射した海から眩しい日射しが差し込むときでさえ周囲は薄暗く、鳥や虫の鳴き声がしてもそれらはすぐに鼓膜を突き刺す静けさの一部になった。建物の壁面の青い塗料は剥がれ落ち、ところどころひび割れたコンクリートは中の鉄筋をさらけ出していて、すりガラスの窓は内側から汚れてくすんだ色をしていた。近づけば近づくほど目に入る細部ははっきりとしているのに、一歩引いた建物と湾全体の風景はなぜかぼんやりとしていて、でもそれは霞んでいるのではなくて、眩しさに目を細めているから見えないのだった。私はそんな明るい翳の差す風景を思い出して立ち止まる。思い出の中の私も同じように立ち止まった。

 私の姉は人生のある時期、水族館の廃墟に住んでいた。姉には住む場所を頻繁に変えて、人々の前から姿をくらます習性があった。シチリアの浜辺の絵ハガキが届いたことさえあったから、海外に住んでいたこともあるのかもしれない。そして、住む場所を変えるたびに、というか住む場所を変えるよりも高い頻度で仕事を変えていて、あるときは花屋、あるときは旅館、あるときは病院で働き、またあるときは遊園地のスタッフ、プログラマー、アイドルのマネージャー、コンビニ店員、プログラマーとして勤めた企業の清掃員、映画監督、介護スタッフ、地方公務員と、年々職歴を増やしていたから、姉が今どこで何をしているのかを正確に知っている人は、家族はおろか姉の親しい友人たちの中にもいなかった。姉自身でさえちゃんと憶えているか怪しいものだ。ただ、それでもごく稀に、なぜか家族の中で私だけに、自分の居場所をこっそりと教えてくれることがあって、彼女が水族館の廃墟に住んでいたのはそんな時期のうちの一つだった。

 水族館は好きだった。昔から動植物には全く興味がないし、生きものに触れるのは苦手だから動物園はむしろ嫌なくらいだったのだけれど、水族館は分厚いアクリルの向こうにしか生きものがいないから安心できた。しかも、魚たちは水槽の中でしか生きられず、逆に見ている人間たちは水槽の中では生きられないという隔たりが、そしてそんな隔たりがあるにもかかわらず世界中の海から動植物を集めて並べてしまうことの、もはや傲慢さと呼ぶには壮大すぎる人間の営みが面白かった。人は動物園や美術館に本当は人間を見に行っているのだ、というのはよく聞く話だけれど、水族館は特に、水槽で隔てられているからこそ、覗き込んでいるときに覗き込んでいる自分たちの姿を、つまり覗きこまれている水の中からの眺めを想像することが多いから、次から次へと部屋を移り、階段を上ったり下りたりしているうちに、想像の中でいくつもの視線と空間が溶け合う感触があって、頭の中がだんだん重たい青色で塗りこめられる気がして、それが快楽のようでも憂鬱のようでもあった。

 でもそれは、生きている水族館の話だ。突然姉から送られてきた住所へ、海に向かう電車とバスを乗り継ぎ、立入禁止のチェーンをくぐってたどり着いた先にあった水族館の廃墟は、そんな場所ではなかった。空っぽの水槽、割れた強化ガラス、足元に散乱する電源ケーブルや崩れ落ちそうな天井を見た私は、真昼なのに身体の深い所が底冷えするような気がして、思わず逃げ道を探してしまったほどだった。自分の目線の先に何もいないことが恐ろしかったのだ、と気が付いたのは後になってからのことだった。廃墟なのだから、いるはずのところに誰もいない、あるはずのところに何もないのが当たり前なのだけれど、その欠落が私に深い穴を覗き込ませるようで、でもその深い穴に実体はなく、ただここには裂け目があるのだという感覚だけが付きまとうのが怖かった。私は怯えながら水族館の廃墟の回廊をつまさき立ちで歩いた。だから、回廊を抜けて広い場所に、姉が生活と仕事をしているという広い空間に出たとき、ちらちらと照り返す三月の海を背景に、コンクリートの円柱と円柱の間に表情もなく、椅子に座って、真っ白な人型のようにこちらを見ていた姉の姿が、自分の視界ではなくて、紙やスクリーンに定着された架空の世界のように思えたのだった。姉から私はどう見えていたのだろう? 回廊を抜けて、青ざめた顔をして立ち尽くす自分自身の姿を思い描こうとすればするほど、一瞬の印象でしかなかった姉の姿がはっきりと浮かんでくるようで、自分の姿は彼女の記憶の中にしかなく、そして彼女の姿は自分の記憶の中にしかないという当然のことが、ものすごいことのように感じられた。例えるならばその瞬間の私たちは向かい合う壁に掛けられた二つの絵画のようだったのかもしれない。あのときほど姉のことをいちばん近くに、そして同時に果てしなく遠く感じて、あれが姉なのだ、あれが姉の存在なのだ、と強く思ったことはなかった。

 それから私たちはしばらくの間、交換日記をすることになった。理由はよく憶えていないし、私と姉はそれなりに仲のいいきょうだいとはいえ、小さい頃を振り返ってもそういうことをした記憶は全くないから、今思えば奇妙なことだった。しかも交換日記とは言ったものの、それはノートや日記帳に書くのではなくて、姉が住んでいた廃墟がまだ開業していた頃に作られた水族館のホームページの掲示板に書き込んでいた。建物はとうの昔に立入禁止になっていたのに、ホームページはなぜか閉鎖されることなく残っていたのだ。そもそもそのことを面白がってこんなことを始めたのかもしれなかった。交換日記は三か月ほど続いて、姉が水族館を立ち去る頃に終わった。三か月も何をそんなに書くことがあったのかよく分からないけれど、途中から普通の日記に飽きて、私が姉に、姉が私になりかわって、その日の出来事をお互いに捏造して書いていた時期があったことだけは憶えている。

 この前、ふと懐かしくなってその交換日記を見ようと思って、苦心して水族館のホームページを探り当ててアクセスすると、水族館とは何の関係もない怪しい広告サイトになっていた。特にアーカイブを取ったりはしていなかったから、おそらくあの頃掲示板に書かれていたことは全部消えてしまったのだろう。廃墟もだいぶ前に取り壊されたので、あそこに姉が住んでいたことも、私が何度か遊びに行ったことも、もはや私たちの記憶の中にしか残っていないようだった。本当は姉が憶えていることも確認してみたいのだけれど、例によってどこで何をしているのかが全く分からないので、あわよくば何かのきっかけで姉がこの文章を読んで、私にまたこっそりと居場所を教えてくれることがあれば良いのに、と少しだけ期待している。

(ざくろ)





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