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【短編】転勤ブローカー

 大阪転勤が発令された真っ先に、友人の新居を趣味で仲介し周っているという、とある転勤ブローカーに連絡を入れた。僕たちはかつて鬼怒川温泉旅行の打ち上げで、彼がバーテンダーの店を含む計七軒のゲイバーで朝まで飲み歩いた。ひたすら周囲の露悪的なセクシュアル・トークに付き合い、暴飲とカラオケを加速させていたに過ぎない。ただ、僕が新天地での不安定なライフスタイルを委ねようと思えたのは、まさにその僕たちの一過的な絆であり、過剰で匿名的なバイブスだった。
 転勤に伴う諸費用に加え、家賃補助も余分に出す会社だったので、一つか二つは確実に無駄な要素がある部屋に住もうと考えた。内見は2日貰える。鬱性に満ちた僕の暗い生活を一新する、光が降り込めた栖は見つかるだろうか。手始めに物件ポータルサイトで検索をかけると、大阪市内で云万件、区を指定しても云千件見つかった。埒が明かないので選りすぐった物件のみを掲載するコンセプト型のサイトへ移行した。
 コンクリート打ちっぱなし、曇りガラスの浴室、不必要に高い天井、二階建ての古民家ーー。多少古くて遠くてもやぶさかではなかったので、三十件ものデザイナーズ・マンションをリストアップした。要点も分からず無闇にマーカーを引いている気分だった。
 内見の日、僕は転勤ブローカーと東京駅で落ち合った。東海道新幹線の車内で物件リストを渡すと、彼は仲介業者しか閲覧できない営業用サイトにアクセスし、契約情報をリアルタイムで追った。巨大サイトでは反映時間にラグがあるという。彼が手際よく一覧票にまとめたエクセルのファイルには、築年数や駅からの距離、内装や日当たりなどの推奨度合いに応じた「★」が付されている。
「<空きなし>を外したらたったの六件。それにしても君は随分昔の情報を参照していたみたい」
 まず今入居できるか/できないかを調べるのに時間が掛かり、内見の手続きをするのに時間が掛かる。もたつくと物件は埋まるが、また次の空きも生まれている。流動性が高いこの時期は、巡り合わせで物件を選ぶしかない。一部の業者はイチオシ物件を広告塔に、真の非イチオシ物件へ誘う。期待しすぎれば、妥協点を見据えるための消化試合となる。現実のむさ苦しさや慎ましさを示さず、清潔な写真や近くの優良飲食店で夢を抱かせることなしに、僕たちは住まう場所に希望を持てないのか、それが問題だ。
「しかし、この六件も条件が悪い。4月退去で日程が合わないとか、同じ物件のしょぼくて安い間取りとか。家賃補助を十全に消化したいならこれだけ」
 残る一件は無考えにリストに入れたもので、特に拘りはなかった。良くみると水回りが古く駅からも遠いので推奨度は★一つだ。これで僕が数時間掛けて作成したリストは全滅した。
 代わりに他の物件を五件ほど見繕ってくれた。この予算ならピカピカの築浅、オートロック余裕っしょ、と彼の声は弾む。住む上の快適さ、職場への足取り、周囲の遊興場などを鑑みた最適解を、上から並べた五件だった。
「君の不健康な性格なら、間違いなくこういうのが良い。後先考えずに尖った物件を選んだら『まじやばい。大後悔時代だ』とか言い出しそう」
 自虐ネタを酒のツマミにする僕の姿が思い浮かぶ。確かに僕は僕のモチベーションを律せると謎に盲信している節がある。結果、自炊も、掃除も洗濯も、趣味も、友達付き合いも、多くのものを投げやりにした過去がある。後悔していないかを聞かれれば、はい、後悔していますと答える。そう、もう若くない僕は、いかに物件をネグレクトしないか、無味な生活を消費しないかを、真剣に考えるタームに入っているのだ。
 
 結果的に内見は1日で終わった。残り1日と隙間時間は遊んで終えた。実は途中で、家賃補助が予定より3万少ないことが判明した。「独身」と「単身赴任」の扱いを取り違えていた。転勤ブローカーは不満も並べず、それならと一から物件を漁ってくれた。
 ただ、決して振り出しに戻った訳ではない。僕は彼との対話を通じ、住みたい部屋の有り様が明確になってきていたし、彼もその凡そを理解してくれていた。なんば駅から少し南に外れた、新築の十四階建てマンション。白を基調にした眺めの良い部屋で、まだ木や塗装材の匂いが強く残っている。外は大通りと静かなマンション群に面しており、東側に通天閣とあべのハルカスが望める。もうこの物件しかないという気になっていた僕たちは、ベランダで煙草を吹かした。
「家賃には家賃に見合う物件しかない。これは原則だよ」
 彼は話す。バロメーターに乱れはあっても、総合的な戦闘力が釣り合っている。より広く情報を収集し、候補を上げたところで抜け駆けはできない。後は住む人の予算を踏まえ、何を求め/妥協するかを考える。
「新居探しはカウンセリングだ」
 帰り際、彼はさらに語り出す。僕が君の友達になれたのは、その意味において完璧に美しくメリットなんだと思う、と。仲介料が高く、売れ残った物件を効率よく売り捌く必要なんてない。場合によってはいくらか手数料を戻すこともできる。確かに無鉄砲に投げられた物件リストを精査し、朝から晩まで付きっきりで探すのは骨が折れる。でも、過去には五日掛けてやっと決まった友人もいたんだよ? そういう手間を度外視しても、相手の生活の健康について考えて、想って、必要な知識や経験を差し出すのは苦にならなんだ。不安定な社会を生きる、一助になってくれればね。

(秕目)






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