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選んだものが正解

これまでの人生の中で、自分自身の確固たる意志で決断したといえる場面は果たしてどれだけあっただろうか。


進学や就職は、状況に流されるがままに決めた。
恋愛においては、相手の好意を受けて自分も好きになることが多かった。
二度の休職も、自分で決めたというより医師からストップがかかったので仕方なく、という感じでスタートした。

そんな風に流されるがまま生きてきた私としては、時々「この選択で良かったのだろうか」と考え込むことがある。

もっと勉強を頑張っていい大学に進学していたら。
あのとき、元彼と付き合っていなければ。
今の職場に就職していなければ。
いや、むしろもっと頑張って仕事ができる人間になっていたら。

私の足下に蠢く、無数の選ばなかった選択肢。
その選択肢たちを眺めていると、なんだか今の自分が無性にしょぼくれて見えるような、選ばなかったことを責められているような、そんな気持ちになってしまう。


特に上記のような話をしていたわけではないのだが、友人から別件の話題の中で「結局は選んだものを正解にするしかない」という発言があった。
その言葉を聞いたとき、私の足下の選ばなかった選択肢たちの纏う雰囲気が優しくなった気がした。

これまでの選択だって、正解だったんだ。
選ばれなかった選択肢たちも、それを責めているわけではない。今の私を応援してくれているんだ。
そんな風に考えると、ふっと気持ちが軽くなった。


私は今、人生の岐路にいる。
仕事をこのまま続けるか、別の道を模索するか。

彼女の言うとおり、どの道を選んだって正解にしていくしかないんだから、自分の気持ちに素直になって選ぼうと思う。

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