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自分を褒めてもいいじゃないか

1ヶ月半程前から、自分を褒めることを日課にしている。

具体的には、毎日「本日のいいことリスト」というものを記録している。
例えば、ご飯が美味しかったとか、風呂に入れたとか、些細なことでもひとつひとつ拾い上げるとなんだかちょっと嬉しくなる。

また、併せて「今日も生きててえらいシール」をカレンダーに貼っている。
たとえいいことがあろうとなかろうと、生きているということそのものが素晴らしいんだという発想で、毎日カレンダーにシールを貼っている。
この作業が意外と楽しくて、これだけで生そのものを肯定されている気になる。

4月の生きてて偉いカレンダー。全部揃うと嬉しくなる

これらを毎日続けてきたおかげか、日常生活でも無意識に前向きな発想ができるようになった。
例えば「今日も洗濯できて私偉いなあ」とか、今までなら「出来て当たり前」と思っていたことにも前向きにとらえることができるようになった。
他にも、「天気が良くてよかったなあ」「花が綺麗だな」など、今までならスルーしてしまっていたことにも気がつくようになった。
自分に施していた枷が外れ、世界の解像度が上がっていく感覚だ。


「本日のいいことリスト」「今日も生きててえらいシール」の他に、日記やnote執筆も1月以上続けられている。

日記は、病気の影響で記憶力が落ち、前日のことすら思い出せない状況であったため、少しでもその日何をしていた覚えておけるように記録を始めた。
医者に説明できるよう、睡眠時間やその日の気分なども一緒に記録している。

note執筆については、とにかく毎日文章を書く習慣をつけたくて始めた。
元々デスクワークだったこともあり、そういった意味でもリハビリになっているような気もしている。


私はこれまで、1月以上連続して何かを続けることができなかった。
新しく始めることは大抵3日坊主で終わるし、処方薬ですら1/3くらい飲み残しを発生させてしまう。生活習慣も当たり前のようにぐちゃぐちゃで、とにかく継続力のないだらしない人間だった。
そんな私が人生で初めて自主的に物事を継続できている事実に、我ながら感動している。
他の人にとっては瑣末でも、私にとっては革命だ。

気負わず「続かなくてもそのときはそのときだ」と考えているからこそ、かえって習慣が身についたのかもしれない。
これからも気負わず、楽しみながらこれらの習慣を続けていきたい。

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