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教育の力ってなんなの。

教育に大切なことって何だろう。
そんなことをボーッと考える機会が増えました。

自分の目の前の出来事について、
子どもの力なのか教育の力なのかがわかんねぇです。
これって家庭でもありませんか。

自分(親)のしつけによって、
目の前の出来事が起きているのか。
子どもの力によって起きているのか。

もやもやを書き綴ります。


何のためにしているの。

子どもに対してこんなことをしていませんか。

早く〇〇やりなさい!
△△ができないと困るよ!

これって誰の何のための言葉なんでしょうか。
結構いろんな場で聞く気がするんですが。
大人の都合があるなぁと思います。
よくよく考えて使っている言葉なのかな。


これって学校でもあるあるなんです。

例えば、黙食。
例えば、校則。
誰の何のためにしているんでしょうね。

教育方法にはいろんな形があると思うのですが、
その中の思想を失うと形骸化していくように思います。

子どもたちが問題と出会って、
考えて、考えて、話して、考えて・・・。
そうやって出てきた方法ならば、
とても価値があるものだと思うのです。
子どもたちが納得しているかが大切ですよね。

子どもたちからしたら、
とことん困った上で行っている方法なので、
黙食でも校則でも、
ある一定の成果があるはずです。
きっと出てくるのは何でもええんだと思います。

そうやって目的と方法が一致して、
納得した上でできていれば良いんですが。

大人が特に考えずに、
これまで上手くいったことと同じことを、
たださせていては効果が薄まっていくんじゃないの。


いいからやりなさいはオワコン。

黙食しなさい。
校則を守りなさい。
早く宿題やりなさい。

こんな感じで子どもに強制的にさせても、
いいことがなくなっているように感じます。

給食の完食をした方がいいクラスになった。
だから翌年も完食を目指した指導をする。
しいたけはこんな感じで指導したことがあります。
そして完食を求め続けていった結果、
給食を食べられない子が出てしまいました。

詳しくはかけませんが。
相当ムリさせていたと思います。

毎年子どもは変わるのに、
自分は変わっていなかったんですね。

そこからは徹底的に考えるようになりました。
物事の本質はどこにあるのか。
完食を続けられたってのはあくまで方法で。
本当に自分がしたかったのは、
子ども1人ひとりが幸せになって欲しかったんです。

大人になったときに、
せめて教え子だけは困って欲しくない。
自分がいろいろ困ったから。

そんな思想と方法がたまたま一致したのが、
給食を完食するという形だっただけなんです。
給食を完食するといいクラスになるんじゃないです。
幸せになるかどうかは別なんです。

そのことに気づいていなかった。


教師が何かを強制させることや、
子どもから方法が出てくるまで待つこと。
どれかが最も良いものとは思いません
そんなものはきっと存在しません。
あればこの時代、すぐ広まっているはずです。

だからこそ何のためにこれをと問うのです。

ちなみにこれを、
目的方法相関的方法選択の原理っていうらしいですよ。
(苫野一徳さんより)


そもそもの問いが間違っているかも。

よくやってしまいがちなんですが、
何かをすると全員に効果があると思ってしまいます。

校外学習とかね。
ただ行って体験するだけで学習した気になる。

遠足とかってとっても忙しい4月に
すぐに日程を決めてしまうので、
行くことが目的になってしまいがちなんです。
みんなでいければええやんってなりがちです。

ここで立ち止まって考えてみると、
何のために校外学習や遠足に行くのか。
ここがはっきりとしていないと。

今のしいたけなら徹底的に調べ学習をします。
そして調べるものがなくなって、
あーーーもうあとは見るしかねぇ!!
ってところまで子どもたちがいくような。
そんなアプローチを考えます。

そして徹底的にリフレクションをします。
事後指導ってやつですね。
そこまで考えて行事を企画していきます。

少なくても学年で決められることは、
そうやって考えていくようにしています。

体験を経験に変えるために、
ふりかえり(事後指導)をするのが大切。
岡村健太さんより

体験・・やったという事実のみ。
これだと教育というよりかは、
おそらく子どもの力が大きいですよね。

経験・・今後生かしていくものにする。
体験に意義づけや意味づけをしていく。
これにはやっぱり教育の力がいると思います。

ただ全員が同じふりかえりやリフレクションを
すればいいってものでもないと思います。
時にはともだちと対話したり教師が声かけしたり。
適した方法は個別に違うと思います。

いろんなものを引き出せるといいですよね。


まとまっていないまま書きました。
けれども書いてよかったです。

これからも本質的なことを、
考える癖を持ち続けたいです。
またね。

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