見出し画像

なんでわたしに聞いてくれないの?

ずっとあこがれていた。
ことばで人の心を包み込んでしまう人を。

迷ったり、立ち止まって動けなくなると、私は本屋に向かう。
どうにも動けなくなってしまった時、
「私を導いてくれることば」や「背中を押してくれることば」「包み込んでくれることば」を求めているのだとおもう。

とにかく、
いまのわたしに共感してくれることばたち
をすがる思いで本屋に探しに行っているのだとおもう。

だから、そんなことばがあった本を見つけて読み終えると、わたしは本そのものではなく、作者にあったかい気持ちを抱いてしまう。

わたしを分かってくれたうれしさ。
わたしの背中を押してくれたうれしさ。
わたしに新しい世界の見方を教えてくれたうれしさ。

つまり、つまらない言い方ではあるけれど、ファンになってしまうのだ。

だから、ファンになってしまった人の考え方を知りたくて、その人の本を買い集めて、しばらくその人の世界に浸ることもよくあることだ。

そんなわたしの前に現れたのが、幡野広志さんだ。

なにがきっかけだったのかはもうわからない。
Facebookに流れてきた誰かの投稿だったかな?
とにかく、瞬時に引き込まれてしまった。

幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。写真家・幡野広志さんは、2017年に多発性骨髄腫という血液のガンを発症し、医師からあと3年の余命を宣告されました。その話をcakes.mu

その日の夕方、ムスコの塾の送迎のあいだに、本屋を三軒まわった。
どうしてもすぐに読みたかった。

それから夢中で読んだ。
びっくりした。
わたしからは出てこないことばのオンパレードだった。
ちょっとつめたいな…と感じたすぐあとに、
まるで羊水に包み込まれているような、泣きたくなるような安心感を残す。
もちろん、羊水の中にいた記憶はないけれど、きっとそんな感じだったんじゃないかとおもう。

いつもは絶対に行かない渋谷までひとりで出掛けて、ほぼ日曜日で開催されていたことばと写真展にも行った。
写真のことはよくわからなかったけど、とにかくものすごくホッとしたじぶんの感覚を鮮明に覚えている。

写真展や本にある幡野さんのことばたちに刺激されて、「わたしだったらなんて答えるかな…」とじぶんというものを考えるきっかけをもらって、いつも以上にひとりで悶々と考える時間がふえた。
そうやってじぶんのことばを探していると、気づいちゃいけない本音に気づいた。

書きたい!
だれかに読んでほしい!
共感しあえるひとがほしい!

文才があるわけでもないし、
エッジの効いた経験があるわけでもないけれど、
わたしもことばでだれかを安心させることができたたら、どんなにうれしいだろう。

わたしだって、だれかの役に立ちたい!

得意なことも、好きなことも、これといってない。
だれかに求められなければ熱くなれない。
じぶんを楽しませることが苦手。

そんなじぶんのことをいつもどこかで残念におもってきた。

40代になって、穴のあいた風船みたいにどこかから空気が抜けていくような、あつくなれないじぶんを持て余していた。
そして、どんどん自信もなくなってきて、動けなくなっていた。

でも、やっぱりわたしだって、だれかの役に立ちたいのだ!
ものすごい影響力なんてなくてもいい。
だれかひとりにでも、わたしのことばで安心してくれるひとがいたら、とてもうれしいだろうとおもう。

まずは下手なりに、凡人なりに、「じぶんのことばを書く」ことをしていこう。
そして、だれかの背中を押せる人になって、いうんだ。

「なんでわたしに聞いてくれないの?」って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?