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9月8日にやったこと

 超久しぶりにnoteで文章を書く。8月の初めの頃まで大学のレポート試験がかさみ、もうタイピングをするのがこりごりになってしまった。インターネット上に駄文を載せるにもリハビリ期間のようなものが必要なのかもしれないな。もうすでに自分でも何言ってるかわからなくなってきたぞ。

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 今日の昼に食べた毒。ちゃんと毒だと自覚して食している分ほかのヤツよりはエラい。美味しい毒が生物を殺すのに一番いい。

 今日は映画をいっぱい観たから感想などを書いていくぞ。おそらく後半になったら詳しいことを書くのがめんどくさくなるから、より薄っぺらい駄文が載ることになるぞ。あとついでに血抜き(献血の意)もしたぞ。

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 一本目の『ようこそ映画音響の世界へ』。立川シネマシティで観た。この劇場はなんか文化人が通うような雰囲気がある(と思いこんでいる)ので行くと楽しい。結構な頻度で足を運んでいると思うが会員にはならない。なぜなら毎回「どうせそんなに来ないし…」と考えてしまっているから。

 本作はタイトルの通り映画音響に焦点を当てたドキュメンタリーである。劇中に有名な作品のワンシーンが流れてそれについて音のプロたちが語っていくので楽しい。そういった知識としての紹介だけでなく、収録時の苦労や名だたる映画監督や音響スタッフの音に対する持論を展開したりする。テーマとして「映画の半分は音である」が本作の根底にあるので映画音響に情熱を捧げた人たちはみな自分の仕事に誇りを持っているのだと実感できる。こういう情熱とプライドを持って清々しく仕事をしている人の姿を見ると泣いちゃうんだよな。
 最近はやけに涙腺が弱い。

 まずオモシロイと思ったのは映画冒頭に人間が五感として捉える音、つまり聴覚を印象づける語りの中の一言。「生まれるとき人間はまず音を認識し、それをたどって知覚を手にする。」うろ覚えでおそらくこの言葉自体は正確ではない。
 人間は知覚がまずあり、それに準ずるような形で五感を得るのではなく、生命としての人間はまず胎内で音だけを認知するので聴覚が知覚に先立つのは言われてみれば当然のように思える。自分が胎内にいるときのことをはっきり覚えている人は多くないだろうし、仮に覚えていたとしてもその知覚は聴覚に先立ってのものであったか分かる人はまずいないだろう。

 私は大学で映画の音響について少し学んでいたので今作は大変面白かった。別に知っておかねばならないようなことはないので誰でも見られる作品ではあるが、少しでもそこに興味のある人ならばより楽しめると思う。ちなみに大学で何時間もかけて教わることをこの映画では約1時間半でわかりやすく見せてくれる。これは大学での私が無能であったのか、それとも…

 音というのは映画の持つ強みの一つだ。ここで言う映画とは映画館で観るもののことで、映画館でしか出せない音があることを今作は観客に知らしめる。マルチ・サウンド・システムはそのいい例だろう。簡単に言うと劇場内に三次元的にスピーカーを配置し、音を移動させる技術だ。この説明を聞くのに映画館ほど身にしみて理解できる場所もないだろう。劇中、声や音を実際に移動させまくりながら説明を行うため、否が応でもその効果を実感させられる。
 今の時代は動画配信サービスが流行していて映画館で映画を観ないという選択もできるようになったが、映画の音を流すために作られた映画館という施設で観るということを完全に再現できていない。だからこそ、映画館で映画を見ることが特別な体験であることを再確認できる。

 ある人物が自身の仕事について「鳥肌が立ったら完成だ」という場面がある。これはとてもいい言葉だと思う。自分の仕事に自身と誇りを持ち、それはうぬぼれという形でなく作品に対して妥協しないストイックな姿勢があることがこの一言に詰まっている。

 とにかく一回でも映画を観て感動したことのある人は観て損はない。その感動のために映画を作る人達の情熱を感じてまた感動できるから。私が観た回では上映終了後に拍手が起こっていた。

 もう書くのが面倒になってきたぞ。

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 二本目『ファナティック ハリウッドの狂愛者』。

 ある一人のハリウッド俳優のファンが狂気的なストーカーになるさまをジョン・トラボルタが演じる。怪演が見事。

 主人公はどう見てもヤバい人なのだが、そんな彼を救ってくれたのが映画であり、それにのみ拠り所を見出していく姿には単に「狂い」とは言い切れない共感であったり悲しさを感じる。主人公は「ファンだから」といって異常な行動に正当性をもたせようとする(客観的に見たらむちゃくちゃであることは言うまでもない)。そのセリフは都合のいい自己肯定のための言い訳のように聞こえるが、劇中に彼が一言だけ発する「映画が好きなだけだ」の言葉には我々のような人種には単なる言い訳とも取れないような深みを感じるのではないか。

 たった一つの心の拠り所すら失いかけてしまう人をただ単に狂人と切り捨てていいものか。本作の主人公がまさにそれだ。『ようこそ映画音響の世界へ』では、ある人物がノイローゼになったときの克服方法として家族と交流を深めたと言っていた。彼は「仕事以外にも片足を突っ込んでおくことが大切さ。」とも言っていた。映画というものにファンとして両足を突っ込んでしまった、いや両足を入れざるを得なかった主人公を悲しくも怖くも感じる面白い一本だった。

 エネルギーが切れてきたことが分量から読み取れるな。

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 三本目『#生きている』。韓国のゾンビパニックもの。『新感線 ファイナル・エクスプレス』を見てから韓国のゾンビが出る映画はそれと同一の世界線上のものだと勝手に思ってる。

 ゾンビが出てきた世界で団地の一室に引きこもる主人公の物語。ストーリーとしてはベタで多くの人が先の展開を予想できるだろうけど、韓国のハイクオリティな技術で飽きさせないように撮り方だったりを工夫しているので飽きることはないと思う。

 また描写も現代的な物が多くてその点は斬新だった。ドローンを飛ばしたりワイヤレスイヤホンがどうたらこうたら…。ワイヤレスイヤホンにフォーカスを当てたゾンビものって初めてみた。

 偶然にも外の世界でとんでもないことが起こり家に引きこもる主人公の姿が今の我々の状況に重なる。主人公はずっと「家にいろ」と促すニュースに飽き飽きし、その合間に挟まれるラーメンのCMに「こんなときにもCMを流すのか」と呆れる。完全に”今”じゃん。制作側が意図していたことなのだろうか、韓国の映画撮影の事情は全然わかんないけど家にいる時間が多くなっている今の人々の状況とマッチするような場面が多く出てきたので家でNetflixで観るというのはこの作品にとっては最適なんじゃないかと思う。まさかこれまでみこしてNetflixで配信なのか?これは裏に隠された大きな力を感じる。怖っ。

 久しぶりにこんなに文章を書いた。家にこもりがちな今の状況と書いてけど自分はバリバリ立川に映画見に行ってるわ。最低のカス。

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 Amazon musicの「見つける」と「ALEXA」をいつも押し間違える。多分これはApple musicを使っていたとき、検索の位置が同じなのと普通にマークがややこしいからだろう。なんでアレクサのマークが丸なんだよ。デザイン段階で誰か指摘しなかったのか?

 こんな無駄な話をするのも少しでも文に展開をもたせようとする悪あがきなのかもしれない。
 結局血抜き(献血)の話は書く気がおきんな。いずれ書くかもしれない。

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