生活保護受給2年で得たもの失ったもの+今から申請する人へプチ助言
生活保護受給者になって2年。
かなり色々なことに慣れてきた。
ここ2年の総括
得たもの失ったもの
これから申請したい人へのプチ助言
以上についてまとめてみる。
結論からいうと、私は、テレビでやっているような悲惨な生活は特に送っていない。のんびりとマイペースな毎日だ。
(悲惨なギリギリ生活の人がよくメディアで取り上げられるのは、そのほうが面白いからじゃないかなー)
受給者のかた、生活保護に関心があるかたはもちろん、今現在、生活が苦しく生活保護を視野に入れている人にも何かの参考になれば。
受給開始して2年、自分がどう変わったか総括
受給を開始して2年、一番の変化は「自分の道が決まってきたこと」だ。
受給前は、
「毎日1円でもいいから稼がないといけない…」
「こんなにがんばってもお金がない、どうしよう」
強迫観念でいっぱいだった。
生活苦でクレジットカードも止まっていたので、支払いができないことや督促がくることも心が重かった。
ちょっと話はそれるが、負債がある場合。金額によるが、生活保護になる=自己破産しないといけない。
私はそのせいで、なかなか保護の申請ができなかった。
「自己破産手続きしに行ったら係の人とか弁護士さんに白い目で見られたり怒られるんじゃないか」とか、それ以前に「自己破産」という言葉自体がとても恐ろしく思えて、なかなかできなかったのだ。
でも実際は全て杞憂だった。
借金を整理するのは、みんなに等しく与えられている再出発の機会。
係の人や弁護士さんもお仕事なので、いたって淡々とした対応だった。
さて、そういった重い荷物を下ろし、生活苦からも解放されたときに浮かび上がったのは「自分のやりたいことは一体なんだったのか」という問いだった。
物心ついたときから、芸術に親しんできた。
お絵かきや手芸が好きだった。
発達障害、特に自閉的傾向が強い自分にとって学校や集団行動が苦痛。
1人で黙々とものをつくる時間が「心の安全地帯」そのものだった。
2年前に保護を受給後、自然と、文章を書いたりや絵を描いたり、編み物をしていく道が決まっていった。
また最近は、花や植物、きれいな景色など自然が好きなので「環境や人間に負担のかからない材料や画材をつかって創作をしよう」というふうにやりかたもはっきりしてきた。
受給以前の自分は、生活に追われすぎていた。
いつ、足元の床が抜けるかわからないような不安定感。
そういう状態になると人間というのは、自分の興味関心ごとや好奇心、生きている意味も見失う。
自分の心からやりたいことを思い出した…いわゆる「魂の解放」が起きたことが、生活保護による最大の恩恵であり、変化だったと思う。
生活保護受給で得たもの
生活保護受給で得たものは、たくさんある。
ひとつずつ整理しておきたいと思う。
健康
得たものの中で一番大きかったのは「健康」。
生活保護になった後、発達障害と気分変調症の診断を受けた。
そして、自立支援や障害者手帳など公的支援を受けられるようになった。
障害年金は申請手続き中。
生活保護の中の医療扶助によって、医療機関にかかり、生きづらさを医療の面から改善していくフェーズに乗ることができた。
主治医やカウンセラーさんに今の自分の状態を的確に伝える努力
「一般的にいいとされていること」じゃなく、「私が無理しなくていい生活」を追究
がんばっても消耗しかしないのに「みんなもやってるから」としがみついていたことを諦める
こういったことをしていくゆとりができた。
また、先ほど書いた「本当にやりたかったこと」を思い出し、やり始めたことも健康に近づける大きな要因になった。
行政書士や社労士などサポートしてくださる優秀な士業の先生がたとの出会いにも恵まれた。自分にできないことをやってくれる人を見つけるのも、健康でいるためにはとても大切なことだと思っている。
お金を使わない楽しみごと
もともとの私は、結構「金食い虫」だ。
自己破産後は、ある程度の節約もやってみた。
でも、だいたいのお金の流れを把握したらやめてしまい、どんぶり勘定に戻ってしまった。
今でも、やりたいことを先にやってしまい、月末に金欠になって引きこもってることが多い。
何だかんだで質の良いものが好きだったりもするし、芸術鑑賞も好きだ。
とはいえ、ない袖は振れない。
そこで、「お金を使わない楽しみかた」を探すようになった。
例をいくつか挙げてみよう。
先日書いた横尾忠則現代美術館での鑑賞や、その後の読書まででかかったお金は総額150円。
美術館は障害者手帳があると75%オフ。
神戸市は福祉乗車証があれば地下鉄とバスが無料なので、ちょっと遠回りすれば交通費は0円。
図書館へもバスで行けるので交通費はかからない。
…というわけで、全ての費用が150円で楽しめた。
また、9月半ばには大阪で行われたクラシック音楽の祭典「大阪クラシック」に出かけた。
交通費は少しかかるけれど、無料〜数千円までの公演が大阪都心のあちこちで1日中行われる。私は1,000円の公演を鑑賞したけれど、満足だった。
それからファッションやメイク。
Youtubeを見れば、GUやユニクロの世代別コーディネートや新作情報、プチプラコスメに限定したメイクの仕方など色々出てくる。
GUやユニクロはもはや「ファストファッション」じゃないなぁと思う。
アクセサリーも、材料屋さんに行けば初心者でも作りやすいキットなどが売っているので自作できる。
こんなふうに、「お金をかけなくても文化的な生活やおしゃれができるんだー」という発見が私の世界を広げてくれた。
夫婦別居するまでは、お金に苦労したことはなかった。
だから、「お金があるから取れる選択肢」しか経験がなかった。
でも、そこに「お金がなくてもできる選択肢」がプラスされたことは間違いなく豊かさの向上につながったんではないかと。
視野の広がり
X(旧Twitter)で、同じ受給者の人たちと繋がったことで視野が広がった。
「世の中にはいろんな人がいて、それぞれに事情がある」ということを肌感覚として理解することができたのだ。
このことには伏線がある。
まだ生活保護になる前、セーフティネット住宅に住んでいたことがそれ。
山間部の元公団(一般企業が買取り、賃貸として運営)にいたのだけれど、お世辞にも治安がいいとはいえなかった。
山間部なので虫もとても多く、共用部分の掃除などの管理も行き届かない。家賃が安いので、よほどのことでない限り故障の修理もしてもらえない。
自治会費の横領や警察沙汰も時折起きていた。
それまでの私は、お金に苦労したこともなければ、治安の悪い場所に住んだこともない。
そんな、「お姫様状態」だった私。
病気でずっと働けない人や何十年も生活保護のままの人たちと同じ屋根の下に暮らしたことで「これまで自分は、世間のことを何も知らなかったんだな」と思った。
その後、自分も生活保護受給者になり、SNSで繋がった同じ立場の人の1日を垣間見るようになってさらにわかったことがある。
「同じ受給者でも、立場も障害の程度も生活も本当に色々なんだ」ということだった。
例えば、経済状況。
私は一応は日常生活は自分でできる。
だから、たとえ月末に金欠になっていようとも、ある程度ゆったり生活できているほうだ。
でも、身体障害に加えて病気や精神障害など複数の疾患がある人は日常生活に支障をきたしていることが多い。さらに、通院したくても地方在住で交通の便が悪かったり、体調が悪すぎてバス停まで行けないなどの理由で、タクシーに乗るしかない人もいる。
だけど、それが通院にかかる交通費として役所が認めるかというと、ケースバイケース。毎月の保護費から捻出するとなると、それだけで生活がずいぶん苦しくなる。
初めはそういう「障害の程度やそれに伴う生活に差がある」ってことを想像する力がなく「何でそんなにお金がないお金がないと言っているんだろう??(節約したほうがいいんでは?)」と思ったりしていた。
でも、今では「その人の状態なりの事情があるのだろう」と何となく想像できるようになった。
生活保護受給で失ったもの
生活保護受給で失ったものとというと、実はあまり思い浮かばなかった。
でも敢えて「受給者の義務」になるものも含めてまとめてみる。
経済的自由
これは受給者みんなが感じていることだろうと思う。
憲法25条で定められている「健康で文化的な最低限度の生活」をするには十分なものがもらえる。
しかし、それ以上のことはできないのが実情。
X(旧Twitter)の知り合いにはお金を貯めたりたまには旅をしたりしている猛者もいるけれど、私はできないかな〜特にごはんをケチると精神が死ぬので。
また、少額で試せる投資とかそういうので「ちょっと増やしたいなぁ…」と思ったとしても、投資は禁止。
毎年、資産申告といって、持っている全ての口座通帳のコピーを提出するよう求められる。
毎月働いた金額なども申告する必要がある。
控除額以上稼ぐと収入認定され、翌月の保護費から引かれる。
つまり、受給者でいる以上、月々持てるお金は決まってくるという仕組みだ。
とはいえ、これらは保護受給者である限り果たすべき義務であり、あまり深く考えてはいない。
それに…これは私だけかもしれないけれど。
なぜか、マンションの退去費用や士業の先生に支払う着手金など「まとまったお金がいる、どうしよー」となるタイミングで国から給付金が下りるのだ。それも要る分だけきっちりの金額で…
そんなわけで、あまりお金には困っていないというのが実情かな。
偏見の目を向けられる
偏見の目を向けられることがあるのも事実だ。
実際に経験や聞いたことがあるのはこんなかんじのこと。
病院で支払い時に「タダで病院にかかりやがって…!」など他の患者から暴言を吐かれた
SNSで高級そうなものを食べたり外食をした投稿をすると「ナマポ警察」みたいな人が怒りにくる
「生活保護の人お断り」の病院がある
「生活保護の人は訳のわからない言いがかりをしてくる」という偏見を持ってる大家さんがいるらしい(ネットで法律検索してたら出てきた)
身近な人に「かわいそうな人」と思われる
ちなみに高級そうなものを食べたり、外食をして怒られてるのを見たことあるのは「お寿司」「牛肉」「スタバ」「コメダ」などである(面倒なので、食べ物はおうちごはん以外のつぶやきはしないことにしてる)
これまで見る限り、「ナマポ警察」の正体は「身体や精神がつらいのに我慢してギリギリのところで無理して働いている人たち」だったりする。だから「早くあなたも保護の申請してゆっくりしてください」と思う。
あと、大家さんなどからの「生活保護の人は訳のわからない言いがかりをしてくる」という偏見もいたしかたないのかなと思う。色々な人がいるので。
あと、元夫に「かわいそうな人」みたいに見られてしまった。
別に私としては好きなことができて、生活の心配も要らず、適切な医療を受けられるし、家族も安心しているのでそんなにマイナスなことじゃないんだけど…
(母に「勝手にかわいそうな人みたいに言わないでほしいなー」と言ったらたしなめられた)
世間から見ると「生活保護=底辺的な人たち」ということなのだろう。
本当は誰もが明日そうなる可能性があるのだけれど。
これらの偏見は、最初は気にしてたかもしれない。
でも、だんだんと「これも"国に庇護されてる税"なのかな」と思うようになった。
偏見も込みの生活保護受給と思ってるかんじ。
生活のリズム
生活保護になると「毎日が日曜日」になるので、生活リズムが乱れやすくなった。
ゴミの日がないと曜日感覚も薄れてくる。
最近でこそ、参加するようになった読書サークルに朝礼があるおかげで生活のリズムが少しできているけれど。
「何時に起きて何をしないといけない」というのもないので、目標や「これがやりたい」がないとつらいかもしれない。
今日も明日も明後日も同じようにやってきて、同じように過ぎていく。
何もしなくていい。永遠に。
障害があるなら、役所も「働け」と言ってこない。
それが逆に、社会から忘れられていくような、自分が「無の存在」になっていくようなかんじがしてちょっとこわいし、気が遠くなるのだ。
自由である一方、そういうちょっとしたこわさもある。
読書サークルというコミュニティに参加したのには、それも理由のひとつだった。
社会性
私はそもそも子どものころから集団が苦手で消耗していて、ひとりが落ち着く性質の持ち主だった。
でも、生活保護になるとなおさら引きこもり放題になった。
もともと単独行動が当たり前。
経済的な理由で、出かける範囲も地元中心になるし。
発達障害の診断が下ってからはどんどんと色々なことを諦め、仕事を請けるとかもしなくなったので、社会性が…
これも目下、コミュニティに所属して色々な人の文章を読んだり、行動のしかたを観察したり、やり方を聞いたり、実際に失敗したりして学んでいるところ。
放っておくと他人への興味はどんどん失ってしまうんだけれど、本当は人は好きだし、少しずつでも繋がりは持ちたいので。
「自分なりの無理ない社会性」でいいと思っている。
ちょっとずつ殻から出ていこう。
これから保護申請する人へのプチ助言
最後に、これから保護を申請したい人へ、ふたつばかし助言をば…
私は専門家じゃないので大雑把なものになるけれど、経験から重要だなと思ったことだけを書くので参考にしてほしいと思う。
また、あなたの身近に生活に困る人が出てきたら、今から書くことを教えてあげてください。
1日3食ご飯が食べられない状況なら、窓口で相談せず即申請を
まず、福祉事務所に、生活困窮していることを相談しにいくのは時間の無駄なのでやめておくのが賢明。
申請用紙をネットとかでダウンロードして記入。
いきなり「申請します」と持っていくこと。
そうすれば、役所には必要な調査など申請手続きを開始する義務が生じる。水際作戦などで追い返されないためにも、「相談」というワンクッションは挟まないほうがいい。
あと、緊急小口資金や総合支援資金といった社会福祉協議会で貸してくれるお金の借り入れは、勧められても断ったほうがいいと思う。
そういう貸付金の返還は1年後に始まる。
短い期間で経済的自立のめどが立ってるなら良いけど…
いや、やっぱりそれでも後々の生活がしんどくなる。
お金を借りるなら、直で生活保護を申請したほうが生活が早く落ち着くし、立ち直りも早いのでは。
ちなみに私は、役所で言われるまま、緊急小口資金と総合支援資金を借りた。でも、結局クレジットカードの残高と一緒に自己破産のリストに入れてもらう結果になった。
自己破産しないといけない借金があったとしても、手続きの段階で誰かに怒られることはないし、同居してない限り家族にもバレない(私は両親には言ってない。賃貸の保証人になってくれた兄には話したけど)。
今現在、1日3食のご飯が食べられない状態なら、誰でも申請できるので無理せずに。
ちょっと知恵つけないと大変な時もある…おすすめ本ご紹介
生活保護に関する情報は、ネットにあるものは間違いが多い。
一体どれが正しいのか…迷うことがしばしばだった。
本来そういうことはあってはいけないんだけど、役所はこちらに知識がないと思って上手い言い方で、できることをできないと言ってくることもあった。そういう理不尽はあちこちの自治体で一定数起きているらしい。
役所の理不尽に反論したことも、この2年に数回あった。
その際、ある程度の知識をつけて挑むときの支えになってくれたのが行政書士の先生の存在だった。
私は離婚前に夫婦別居状態で保護申請をした。
少々手続きが大変なのはわかっていたし、それまでが無理のし通しで体調も悪かった。
そこで、この本の著者、三木ひとみさんにサポートを依頼した。
生活保護申請のエキスパート的存在だ。
この本は全国の図書館に蔵書されており、買うお金がない人も読むことができる。
Amazonには実名でレビューも書かせてもらった。
ネット上の様々な情報に振り回されてきた経験から言っても、この本1冊あれば、申請から決定後、受給中の困りごとまでカバーできる強い味方になり得ると思う。
周りに生活に困る人が出てきたときにも、ぜひおすすめしてあげてほしい。
人生万事塞翁が馬
夫婦別居開始から7年。
離婚、生活保護になって2年。
ここまでの道のりをふりかえって思うのは「人生万事塞翁が馬」だなぁってことだ。
はっきり言って障害の診断は、お金に困らなければ受けなかった。
自分が障害者だと知ったときはショックだった。
「無理してでもできていたこと」は、実は「できた気になってた」だけ。
そんなことが次々と明らかになり、自分の能力の低さに打ちのめされ、途方にも暮れた。
一方、生きづらさの正体が明らかになり「自分のトリセツ」が少しできた。
これまで普通教育を受け、人生を地図もなしに歩いてきた自分を労った。
家族も長年の「なぜこの子は…???」という数々の謎が解けたらしい。
さらに生活保護で経済的に安定したことで、安心もしている。
本当にやりたいことに向けてスタートを切ることもできた。
好奇心も取り戻し、視野も広がった。
得たものもあれば失ったものもあるかもしれないけれど…
概ね、「自分の人生うまいこといってるなぁ」と思いつつ、これからも歩んで行けたらと思う。
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