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3.初孫の誕生日に「金貸して」はマジで終わってるよ

最初に

一度マイラブひなちゃんへのお手紙を挟みまして、このブログのテーマである「切り捨てたい過去」のテーマに戻ります。

今回は母方の祖母の話です。祖父と祖母は話を分けて書くことにしました。
どちらも良い人ではありません。
「身内にこんなやべー奴がいるんだよね」くらいの軽い不幸自慢を聞かされている感じで、流し読みして頂けたら嬉しいです。

私はできちゃった婚で若い両親のもとに生まれたので、両家にとって初孫でした。

私の父方

子供も多いけどまあまあ余裕のある家庭です。
祖父母はどちらも教職をしていました。私がアラサーになった今でも、時々会うと、生まれたての赤ちゃんみたいにかわいがってくれます。
祖父母は耳や足腰を悪くしながらも私を見るとニコニコと笑顔を浮かべていて、それだけで私はとっても嬉しいです。そして、とにかく家にある食べ物を沢山持たせようとする姿は涙が出るほど嬉しいです。
しかし私が「ちょっと多すぎるよ」と言っても全然聞いてくれません。誰にも止められません。
唯一止められるのはその場に居合わせた叔父・叔母・父達だけです。

あと、私がローカルでちょっとだけ自慢できる学歴を持っているせいか、滅多に会わない姪っ子達も「頭がいいおねえさん」のていで接してくれます。優しすぎませんか? 私はただの鬱病休職おねえさんです。あなたたちへのお年玉は、きっと傷病手当金から渡すことになります。
でもお金はお金だからね、大事に使ってくれると嬉しいです。皆大好きです。

私の母方

現在一家離散状態です。
貧乏なのに多産DVで子供がたくさんできてしまいました。
彼等のおかげで、私は10代半ば頃まで吉野家をわりと高級な飲食店だと思っていました。
祖父は大工や工務店などで働き、祖母は清掃のパートなどをしていました。そのくらいの稼ぎならきっと子供2人くらい養えたでしょうが、子供の数はその倍以上いました。
DV、ネグレクト、セクハラ、アルハラ、家父長制による支配、長男崇拝、新興宗教、とにかく「毒親」と呼ばれるゆえんが全て詰め込まれている家です。
こちらでも私は初孫でしたが、祖母が産んだ最新版の子供がまだ4歳だったので、初孫扱いは一切されませんでした。
どちらかというと、末っ子扱いです。

母方のなかで一番ヤバいのは祖父です。
祖父は幼少期、親が再婚したのち、連れ子として虐められていたと聞いています。アダルトチルドレンの役割で言うところの「ロストワン」「スケープゴート」でしょうか。
その時の経験が身に沁みてしまったのか、自分の妻、子どもたち、孫たちにも暴力を振るうようになりました。自分が昔浮気したときの話が武勇伝の人でした。
釣りやアウトドアが好きな人だったので、子供たちが夏休みに入ると無理やりキャンプや海などに連れて行ってくれましたが、今は離縁されて老人ホームにいます。

そして祖母もヤバいです。彼女だってネグレクトをしていましたから。
子供や孫がどんな仕打ちをうけても「やめて」と口で言うばかりで、何も助けてくれませんでした。
子や孫に対しては無関心な人でしたが、お菓子作りが趣味の人でしたので、一緒にお菓子を作らせてくれるときがありました。
性格が終わってる身内って、記憶を辿っていくと、夕暮れに光る金星のような、僅かな良い人エピソードがありますよね。
ただ、それすら覆す祖母の激ヤバエピソードがあります。

祖母、誕生日に我が家へ凸事案

私の母はスナックで働いていました。
当時は高校を出ただけの母子家庭の母親が、昼の仕事だけで人並みの暮らしをしていくには大変厳しい状況でした。

ですので、母が働いている夜、私は祖父母の家に預けられ、明け方になると母が迎えに来て帰宅する生活をしていました。
私が小学校高学年になって1人で留守番すると言い出すまで、この状況が続いていました。

そして私が小学校高学年になった頃、誕生日です。秋でした。
母親と二人で私の誕生日を祝っていると、祖母が我が家を訪問しました。
びっくりしました。
祖母は今まで一度も我が家を訪れることが無かったし、孫の誕生日ということもあって、「もしかしてサプライズでプレゼント持ってきてくれたのかな?」とすら思いました。

ドアを開けて「どうしたの?」と家へ招き入れようとする私達に対して、エレベーターの無いアパートの階段を登ってきた祖母は息切れしています。
「家に入ったら?」と私達が言います。しかし祖母は「いい、いい」と断って、「お金貸してくれない?」とだけ聞きました。

時が止まったかと思いました。

祖母「お金貸してくれない?」

2XXX年 私の誕生日 初めて訪れた娘親子の家での第一声


母はピンときたそうです。私を実家に預けるとき、祖母はかなりの頻度で母に「お金貸して」とせびっていました。
当時の母は夜間保育所に託児するつもりで、払えるだけのお金は払っていたそうです。

しかし、実際のところ、祖父母は子供や孫達を奴隷にように扱きつかって家中の家事をさせていました。
祖父は水割りが大好きでしたが、基本的に自分で作りません。全部子供と孫に作らせます。ビールもタバコも子供と孫に買いに行かせていました。祖母のナプキンも私達がおつかいで買いに行きました。
祖父は私が幼稚園児だった頃から、法律が改正するまで近所の酒場までバドワイザーとタバコを買いに行かせていました。真夜中のことです。覚えています。
おつかいは楽しかったのですが、市場の近くだったので、魚や酒の生臭さに釣られた虫達が地面を徘徊しているのは嫌でした。

それで私が自宅で留守番するようになると、当然母が実家に来ることもなくなるわけで、メールや電話で「お金貸して」攻撃ができるようになったとしても、祖母がお金を得られる頻度は減りました。

そこで家に突撃訪問しにきたわけです。しかし祖母にとっては運悪く、私の誕生日でした。
母が呆れて「今日、娘の誕生日なんだよ。この子のためにお金使ったから、もう無いよ」と言うと、祖母は驚いた様子で私を見ました。

祖母「え?誕生日? ああ……おめでとう。じゃあ、帰ろうかな」

2XXX年 私の誕生日を覚えていなかった祖母の気まずそうな一言

そうして祖母は一歩も家にあがることなく帰っていきました。
「なんやねん」って感じですね。
そんなこんなで色々あり、気付いたらもう10年以上経ちますかね。

スナック勤めの母から何度も金を借りていた祖母へ(初孫の私より)

ばーばへ。
最近はあなたへの好感度が下がっているので、「ばーば」はほとんど使わなくなりました。「そういえばヒデコ(仮名)って今どこに入院してるの?」という風に呼んでいます。

あなたはこれまでに何度も脳疾患の発作を起こして救急車で運ばれ、現在は病院でリハビリ入院生活を送っていますね。そのリハビリも泣き言ばかりで全然進んでいないと聞いています。
私はあなたのことが嫌いというか、なんとも思っていません。もし私に孫が生まれたとして、あなたに会わせるつもりはほぼありません。
嫌いでもなく、大嫌いでもなく、心配をしているわけでもなく、ただ、どこかで高額医療費制度を使いながら生き長らえているんだろうな〜と思っています。

それよりも私はあの時のことが許せません。
水商売をしていた母や叔母から、返すつもりもないくせに「貸して」と金を無心していたあなたの行動です。
水商売はそれほど稼ぎの良い仕事ではないと、当事者の娘である私は知っています。SNSの発達でルッキズムがより助長される現代では、美しい女性たちが働く水商売がまるで華やかなイメージのように捉えられがちですが、そんな事はありません。
現代の言葉で言うのであれば店ガチャ、同僚ガチャ、店長ガチャ、黒服ガチャ、客ガチャ、あらゆる要素が全て運に委ねられています。

あなたが母から借りた金は全部でいくらでしたか。
私は、母があなたに一万円札や五千円札を渡す光景を何度か見ました。
貸してと言ったからには返してくださいよ。返せないくせに「貸して」とか言わないでください。
返せないなら、せめてあなたの信仰する新興宗教の力を使って、死んだあとに宝くじを当てさせてください。

私がもしあなたに実際に会うことがあったら、絶対に言うつもりです。
泣き言いってシクシクしてないで、ちゃんとリハビリやってください。
病院から追い出されますよ。

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