乗り越えられなさの可能性 ––小泉明朗《縛られたプロメテウス》––

映画やドラマなど、映像メディアには主観ショットと客観ショットと呼ばれる撮影技法が存在する。主観ショットとは登場人物の視線と一致したショットを指し、客観ショットとはそれ以外を指す。前者は人物の肩越しのカメラの視線、後者は登場人物の会話を映すカメラの視線などが該当するだろう。映像表現における主と客。しかし、これらは常に第三者的視点(神の視点)からなり、基本的に全て客観ショットからなる。つまり、私たちは映像内で起きている事象と確実に距離を持ち、実際に接触することはない。旧来的な「映像を見る」という体験には、見る者と見られる者の間に隔たりが存在し、そこに身体は介在しない。
 一方、VR(Virtual Reality)装置を介した映像体験には客観ショットは存在しない。ヘッドマウントディスプレイで視界を覆い、鑑賞者の視線、動きへの同期が可能なこのメディアによる体験には主観しか存在し得ず、身体(主観ショット)が映像(客観ショット)を乗り越えることを可能にする。実際に起こっていない仮想現実を視覚情報で体験することにより、私たちはあたかもそれを体験した気になることができる。
小泉明郎のVR演劇《縛られたプロメテウス》は、舞台(仮想現実)を客席(現実)から眺めるという演劇の構造にVR技術を持ち込むことで、身体の乗り越えられなさを強調する。アイキュロス作のギリシャ悲劇「縛られたプロメテウス」––人間に火(技術)を与えたことでゼウスの怒りに触れたプロメテウスは、岩山に縛られ、鷹に内臓を食われ続ける罰を受ける––から着想を得た本作は、前半と後半に分かれて上演される。
 はじめに観客は天井の高いホールに通され、ホールの中心に描かれた円を囲み、ヘッドマウントディスプレイを装着する。徐々に変化する視界とともに、空間には機械的な声が響く。その声は、次第に体が動かなくなっていき、いつか話すことすら出来なくなってしまうことに恐怖を抱く「誰か」のストーリーを語る。ディスプレイ越しの視界には旋回するキューブや無数の光の明滅が映りその光景に没入した私の身体は失われていく。身体を失ったことで、誰かのストーリーと私のストーリーは境界線をなくす。
 映像と音声が消え、前半が終了する。ヘッドマウントディスプレイを取り外し、後半の会場へ移動すると、細長く薄暗い空間には椅子が用意され、その前には大小のモニターが設置してある。ヘッドホンを装着し、モニターの映像を見る。映し出されるのは車椅子に乗る男性だ。男性が語り始めると、先ほど私たちが聞いていた、私たちの体験に混ざり合っていた「誰か」の悲しいストーリーが、この時初めて彼のものだとわかる。自由に動かすこともままならない彼の口から漏れ出す呼気や唾を飲み込む音がヘッドホンを通し身体の芯に響く。
 ある時モニターの背後にあるカーテンが開く。そこからはヘッドマウントディスプレイを装着し、虚空を見つめる人々の姿が見える。「演者」である彼らの身体は拡張した知覚とは裏腹に、その場に留まっているように見える。そしてそれは先ほどまでの自分自身の姿であり、見ている私も見られていた私も、同じ「現実」の地平に立っている。
 空間に響く声が車椅子の彼のものであることは、彼の姿を見た私たちには自明だが、目の前で展開される視覚トリックに身を委ねた「盲目」の私たちには、その声が誰のものであるか分からない。ここに至っても、声の持ち主が武藤将胤(むとう・まさたね)という名前であることや、彼がALS(筋萎縮性側索硬化症)[1]を患っていることも知ることはない(この事実は終演後に手にしたハンドアウトによってやっと明らかになる)。[2]
 超常的な視覚体験への没入により消えたと思われた身体は、その場に縛り付けられ、誰かに成り代わることのできなさを知ることとなる。
 小泉が明示した身体を乗り越えることの不可能性。この絶望的な現実の中にあっても、身体が個々にあることで可能になることはある。シアターコモンズ ディレクターの相馬千秋は言う。

演劇は、もともと人の話を聞くための装置でもあったはずだ。(中略)人の話を一切聞かずに自分の主張ばかりする者たちが分断を煽るのであれば、私たちはまず人の話を聞き、「わかり合えないもの」同士が互いを聞き合う回路を発明することによって、分断を乗り越えていくしかないのではないか。[3]

誰も他者の痛みを引き受けることはできない。しかし、その痛みを想像し、声を聞くことはできる。進歩したテクノロジーによって、私たちは他者と交わることが不要になり、情報の中で完結できるようになっていく。そうしてさまざまに発生する分断を乗り越える術を、小泉は演劇という「聞くための装置」を通して私たちに問いかける。


[1]ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、筋肉の動きを支配する脊髄の運動ニューロン(運動神経細胞)が侵され、からだが動かしにくくなったり、筋肉がやせ細る病気。詳しくはALS疾患啓発委員会によるALSの疾患・治療に関するプログラム、Live Today for Tomorrowを参照。
http://www.als.gr.jp/

[2]武藤氏にALSが発症したのは27歳の時であり、現在彼はALSの周知、支援などを目的とする一般社団法人 WITH ALS」を主催している。
https://withals.com/post/?id=70&navi_category_id=1

[3]シアターコモンズ ディレクターで、相馬千秋によるディレクター・メッセージ「聞くことのポリティクス––分断と不和を乗り越えるために」より引用。
https://theatercommons.tokyo/about/

シアターコモンズ ’20
会期|2020年2月27日(木)〜3月8日(日)
会場|東京都港区エリア各所

主催|シアターコモンズ実行委員会
台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター
ゲーテ・インスティトゥート東京
在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
オランダ王国大使館
特定非営利活動法人 芸術公社

共催|
港区 令和元年度港区文化プログラム連携事業
慶應義塾大学アート・センター
パートナー|SHIBAURA HOUSE
助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

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