”オタク”と”マニア”の違いに関する私的考察
前回の更新から4年が経っている模様ですが久々に活字的アウトプットがしたくなり更新を試みました(noteもコロナ禍ぶりとかなので本当にログイン出来てよかった…)
そして突然ですが、最近考えていたことがあります。ずばりオタクとマニアの違いとは何か、です。
オタクとマニアの違いを考えるにあたり
ふんわり差異を感じるものの、言語化がなかなか難しいなと思っています。団長も意外に自分を掴む鍵は言語化にあると言っているので、これを機に調べて自分なりの見解を整理しておきたいなと思いました。
この手の考察は既に尽くされているので、以下引用です。
うん、まぁよくわからんですね。言語学的にとかあるみたいですが、興味と集中の違いというには現代のオタクは箱推し、DDなどと関心の対象が1つとは限らない場合が多い。ファンについては出自がはっきりしているのでその意味でわかりやすい。今回はファンについては触れないでいきたいと思います。多分ベン図で言うとオタクと重複していると思うので。
オタクについて
こちらは言わずもがな、昨今の推し活の一般化に乗じてさらに市民権を得たタイトルです。最近ではオタクになりたい、コスパよくオタクになるにはどうしたらいいかというような人までいるような時代。信じられない。
オタクが市民権を得た理由はについても以下に仮定。
アニメ(漫画)の社会的価値の向上
ジャパニメーションよろしく海外でアニメが高い評価を受けて、国内でも再評価される傾向に。そもそも素晴らしいものであったから、改めて触れることで実際にもその価値を再認識。アニメへの偏見が逓減し、ライトファンの増加。それに伴いコスプレなどで女性の中でも人気が向上、コスプレという活動の拡大でTOPコスプレイヤーは芸能活動の一部になった。もはやアニメはサブカルチャーではなく立派なメインカルチャーの1つとなる。アニメ好きは汎用的なタグに。それを受けて上記のようなにわかにオタクになりたい一定層が生まれたのだろうと思う。
マニアについて
私にとってマニアという言葉の最初の記憶は「封神演義」の太乙真人が「私のはオタクではなくマニア」と自身を称したところに始まります。この頃はオタクという言葉が今より市民権を得ておらず、所謂”チェックのシャツにバンダナを巻いて秋葉原にいる人”を指していたと思う。
その意味で、太乙真人がオタッキーな存在としての評価を避けるべく、この言い回しをとった可能性はある。作者の藤崎竜先生はどう考えたのかも気になる(原作小説にはこの表現は当然ないだろうと考えるため)
ちなみにインターネット上ではマニアは好きか嫌いかはといった論点よりは特有のテーマに対し普遍的な知識を有するようなペルソナだというような見解が多いと感じました。なるほど昨今のオタクという言葉の印象からマニアがアカデミックな立場として相対化がされている傾向がみられるらしい。そもそもマニアって最近あまり使わない気がしますが。
私の考えるマニアとオタクの差異
上記前提を鑑みて、私なりに両者の違いについて考えてみました。
個人的な解釈では、マニアって研究者に近い印象で対象に関する知識や情報を収集することはするけれど熱を持って追いかけたりということではない。淡々と研究者のように対象を追求する。
一方でオタクは対象を追いかけ、狂信的な熱を持って執着する。ライブがあれば行くし、グッズがあれば買う。変な考察などは不要となります。例えばアイドルマニアはアイドルに詳しいけど別に好きとは限らない。(あくまで個人的な印象)
マニアとは、対象に対して熱の有無を問わない執着をもつ状態と定義ができるのではなかろうか。そして特定対象のみではなく特定ジャンルに傾倒するイメージ。
マニア:熱量→不問、対象→面(ジャンル)
オタク:熱量→必須、対象→単体(複数あったとしても単体が並ぶ)
結論オタクは狂信者、マニアは研究者。