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妊娠記録〜発覚から悪阻最盛期〜

妊娠が発覚したのが2020年11月末
夫の異動で関西から関東へ引っ越した直後。
仕事どうしよっかなぁ、
と呑気に求人誌読んでいたもののあえなく中断。

来年の今頃には我が家に人が1人増えてるのか。

そんなことを漠然と考えていて
夫婦ぐーたら生活も終了のカウントダウンが始まり
2月に新婚旅行でイタリアに行って
「今年の秋には台湾行こうね」なんて話も
コロナの大流行で頓挫した。

次2人でのんびり旅行するのも子育て終了後。
そう思うととても切なくなって
1人泣くこともあった。

あれこれ干渉に浸っていた12月初旬。
夫と近場のラーメン屋に行った時
美味しい美味しいと言いながら食べていたのが
突然止まった。

本能的にこれ以上食べたら吐く。


食べ過ぎによるものではなく
今まで経験したことの無い感覚だった。

そこからはかなり早かった。
白米が食べられなくなり、次にパスタ、パン。
温かい食べ物、匂いのキツいもの
何もかもがダメになった。
食べられたものは、

冷やし蕎麦、冷ましたおかゆ、蒲鉾、
玉子豆腐、中華春雨サラダ、納豆巻き、トマト、苺

飲み物はキンキンに冷えた水
週替わりでレモンティーやサイダー

このルーティンが2月頃まで続いた。
飽きたというレベルはとうに過ぎていた。
年末年始から1月中旬までは上記の食品すら吐き
水すら飲めない時期が続いた。
毎日ベッドとトイレの往復のみ。
1ヶ月で7キロも落ち、体温調節機能が狂って
真冬に超薄着だった。

慢性的な頭痛の存在、
そして風呂の湯気で吐き気が誘発されたおかげで
まともに身体を洗う事も出来ず
1人で入るのは到底不可能。夫の介助は必須。
全身の痛みも常にあり寝れず。
毎日大泣きし、精神は崩壊していた。

実母でさえも理解できない領域にいたようで

「悪阻は病気じゃない。」
「私は吐きながらもご飯作ったよ」


というクソリプみたいな発言も受けた。
(今も根には持っているけど一旦忘れることに。)

こんな事で家事も何も出来なくなった自分は
クズ人間なんじゃないだろうか
子ども育てられるはずがない
という気持ちが頭を占めるようになっていった。

もう赤ちゃんいらん。諦める。
死にたい。殺してくれ。

という言葉が口癖になっていたので
夫もかなり疲弊していたと思う。

神様があと少し私に体力を残していたら、
近くの高速道路にかかっている歩道橋から
飛び降りていた自信がある。
限りなく0にしてくれた神様と赤ちゃんには
少しだけ感謝している。(笑)

何も食べていなくても吐いていたある日
ついに夫が「病院行こう。点滴して貰おう」
と言って診てもらっている産婦人科に連絡し
半ば強制的に病院に連れて行ってもらった。
2時間程の点滴。金額は800円。

終わった後、久しぶりに空腹感があった。
あれ?お腹すいた。
そう言って向かったのはラーメン屋。
シンプルな汁そばを頼み。
乗っていたお肉は夫にプレゼントしたが
なんと完食できた。
凄く嬉しかったことを今も鮮明に覚えている。

そこからは少しずつ起き上がれる時間も増えた。
まだ食生活は改善されずだったが
吐く回数が格段に減った。(10回ほどが5回ほどに)
だんだんと気持ちも前向きになって
死にたいという気持ちも消えた。

たった800円でこんなにも改善されるなら
もっと早く行っておけばよかった。
以前から病院行こうよと促していた夫の話を
もっと真面目に聞けばよかった。
2人目以降あかんかったらすぐ行こうね。

我慢しない、無理しない。


それが夫婦のお約束になった。

次のお話のテーマは
「OK Google! 安定期ってなぁに?」です。(笑)

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