ブルーピリオドがアツい
今、私の中でブルーピリオドがアツい。
最近tiktokで登場キャラである鮎川龍二の音源がやたらと流れてきていたのだが、彼の発した
「(男が)女の格好することってそんなに変?可愛く美しくありたいって思うことや男が男を好きになるのが何が普通じゃないの?自分の好きだけが自分を守ってくれるんじゃないの?」
という言葉に、衝撃と、大きな共感を抱き、アニメを見てみることにした。
結果、めっっっちゃくちゃハマった。
1、2話だけお昼ご飯のお供に見ようと思ってかけたつもりが、結局最後までその日のうちに見てしまった。
なんなら次の日に販売中の漫画全巻買った。めちゃくちゃちょろい。
元々、ブルーピリオドの導入部分だけは知っていた。5~6年ほど前にTwitterで読み切りが投稿されており、それを読んで「あ、これ面白いから続き読んでみようかな」という気持ちになったのを覚えている。
そう、分かっていたのだ。読みたいとは思っていたのだが、いかんせんお金が無さすぎて漫画1冊買うのにも躊躇していた為に結局こんな後になってしまい…………あの頃の私を叱ってやりたい…せめて2020年くらいには読み始めろよ………。
まあ今更悔いても仕方ないので、ブルーピリオドの面白さをサクサク語っていこうと思う。
あらすじ
https://afternoon.kodansha.co.jp/c/blueperiod.html
簡単に言えば、見た目不良で中身真面目な主人公が美術を知ることで、初めて「やりたい」「面白い」「楽しい」という感情をもつ経験をして、本気で藝大を目指すという話である。
美術における「天才」とは
まず、主人公含め、「天才」っていう天才はいないということが魅力の一つ。
そもそも天才の定義なんてはっきりしないし、上手い=天才と言えるのか、努力出来るから天才なのか。
そもそも天才と言われる人達はそれを自負し納得して生きているのか、天才は才能と好きが=で結ばれているのか。
美術の世界における、「天才とはなんなのか?」が静かに問われている。
そもそも有名な画家でさえ、昔から沢山描いて描いて、技法や色使いを学んだり生み出したりして世に作品を生み出しているわけだが、その全てが「天才」と当時から言われてた訳では無いのである。
後々世の中が「これ凄い」って認めて画家として、絵としての価値が出てきたり。
ピカソとかもそのタイプ(と作中で出てきた)
主人公の八虎は、高二から美術を始めた為に、努力して得たその技術を無意識に「才能がある」という言葉で片付けてしまいがちである。
そして才能があるから「精神的に豊か」とか「劣等感がない」とか「辛くない」みたいな印象を持っているような節がある。
だからこそ物語が進むにつれて「天才とはなんなのか?」を考えさせられる漫画だと思う。
八虎が天才と称した様々な登場人物がどう考え、どう行動し、そして周りはそれをどう受け止めているのか。天才が本当に天才なのか。
是非作品を読むにあたって考えて欲しい。
主人公の「静かなギフテッド」がないこと
「静かなギフテッド」って言って通じる気は全然してないのだが。
まあよく漫画で見る主人公が「俺皆よりも全然できない…素人で…遅れている…」みたいな事があったとしても読者側から見れば「いやいやでも貴方○○って元々いい能力持ってるじゃん」となるものである。
ハイキューでいうと日向の驚異的なバネ力とか、黒子のバスケでいう黒子の影の薄さとか、僕のヒーローアカデミアでいう緑谷の真のヒーローの心みたいなやつ。(緑谷くんはその後強力個性持ったわけだからそれ自体も静かなギフテッドだとも思うが)
どう活かすかによるが、強い武器が元々特性としてある人だと思ってもらうとわかりやすいと思う。
そういう、「いやいや、いうて君、元々この力持ってるからね?世の中多数がこの力持っては無いからね?」みたいなやつを私は「静かなギフテッド」って読んでる。
主人公の矢虎はそういうのがない。ように思う。
確かにテストの順位等々、皆に「凄い」と言われるものは持ってはいるものの、それは本人の努力によって彼を表すものになっており、元々生まれながらに付与されたものでは無い。
吸収力や諦めず努力できる姿勢などを「才能」というのであればギフテッドかもしれないが……私的にはなんか違う気もしている…。
なんていうか、分かりやすくいうと、コミュ力が高く真面目な普通の人間なのだ。八虎という男は。
元々デッサン上手いとか、色使いがいいとか、構図がポンっといいもの出せるとかない。全部勉強した末に成り立っているものである。
勿論、主人公が元々何らかの能力を持っている話を悪いとか言ってる訳ではなく、それはそれで物語として面白いので大変に好きなのだが、個人的に、平々凡々で特別な才能もなく、それを話が進むにつれて与えられる訳でもない、ただ努力ありきで這い上がっていく主人公って久々に見た気がするな〜という感じがあったので魅力の一つとした。
人それぞれ何かを抱えている
キャラの過去や性格、価値観に仄暗いものもっているのが好きな人〜〜〜〜?????
はーーーーーい!!!!!!(クソデカボイス)
ということで主人公の矢虎含めキャラがどこか皆支えたくなるような、包み込んであげたくなるような過去を持っているのが魅力である。
・見た目に反して自分に自信がなくてビビりな主人公
・自分の「好き」を貫く女装家(というと聞こえは悪いが)に見えて、両親と折り合いが悪く、不安と孤独を抱えて生きている子
・画力としてはピカイチでも自身のはっきり言う性格と、発言が毒親気質な母親を持ったことで言葉を発しないものを愛し他人と壁を作る子
・藝大現役首席合格を姉に持つことでコンプレックスを抱える予備校ナンバーワン
・美術の知識がピカイチでありながら自分と他人の力量を比べてほの暗い思いを抱える子
・自信家な一面を持ちながら死んだ友人のことを引きずっている子
などなど。
もうはっきりいって皆守ってあげたい!居場所を作らせてくれ!という気持ちになる。
どうせ本人たちは望んでいないだろうが。
でもそういう完璧でもなくて、完全でもない「美術」に関わる子たちが「文字」がいらない「美術」を通して自分の主張や思いをぶつけていると思うと、いとおしくて、たまらなくなっちゃうのだ。
美術の知識を知れる
ピカソがなぜすごいと言われるのか?
なぜ皆が評価する絵を描けるのか?
どうしたらよりリアルさを絵に出せるのか?
そんなことをこの作品は教えてくれる。
加えて、皆がいいと思う作品を「いい」と思えなくてもいいと教えてくれる。
絵画がわからなくても、知識がなくても自分の本能的になんかいいと思えればそれでいいと教えてくれた。
橋田悠が言った「芸術は食べれない食べ物であり、好き嫌いがあるのは当たり前」という言葉がとても印象深い。
高級なものが必ず口にあうとも限らないし、産地を聞かなくても美味しいと思うものはある。
レビューが良ければ話題にはなるし、大切な人が作ったものならその人には価値のあるもの。
そう思うと自分が全ての画家の絵をすごいと思えなくても別にいいのだと思える。
私にはピカソの良さはわからない。
もっと言えば美術史なんて美術の授業で習ったことがないので、大学で少し教わった印象派以外何があるのかもそんなに分かってない。
デッサンの書き方も構図もどこがどうなってるのか知らない。
けれどモネやルノワールらの作品は好きだし、初めてムーラン・ド・ラ・ギャレットを見た時の感動は今でも忘れない。
それでいいのだと肯定してくれるのがこの作品である。
学校の美術教科では教えてくれない、正解や答えの選択肢をこの漫画は教えてくれるだろう。
美術という正解がないものに挑戦し続ける若者たちの苦悩と青春を描いた
「ブルーピリオド」
是非一度読んで欲しい。
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