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「家」が教えてくれたもの・① 〜住環境激変に向かって〜

3年半前の9月初旬。
荒れた土地家屋と借金を遺し、父が他界

これまでの記事でも何度か触れていますが、この日を境に私の日常はガラリと変わってしまいました。

20年以上ぶりの帰郷、遺産相続。
それと同時に生家を再建(新築)。
長らく住み慣れた町を離れ、生まれ故郷に移り住んではみたものの、僅か1年で自宅と農地全てを手放し、ほぼ同時に墓じまいも決行。
今の場所に居を構え、もうすぐ2年が経とうとしています。

中古物件を購入し住み替えたものが今の自宅ですが、私にとっては2番目の持ち家という事になります。

実も蓋も無い話ですが、最初に故郷に新築した自宅も今の自宅も、私自身が心から望んで得たものではありません。

マイホームといえば夢が膨らむもの、沢山の思いを込めて家族で楽しく造り(築き)上げるもの……というイメージがあるかも知れませんが、少なくとも私には、そのようなワクワクする気持ちや喜びもありませんでした。


もっとも私には、強く望む事や欲しい物など何もありませんでした。

元々が物欲に乏しいという事もありますが、欲しかった物、行ってみたかった場所、挑戦してみたかった事……成人し独立して以後、自分なりにその大半を手に入れ成し得たからなのでしょう。

賃貸住宅で質素ながらも充実した暮らしを獲得し、その生活を手放したくなかった私にとって、マイホームを持つという概念もありませんでした。

そんな私が何故マイホームを所有し、早期に手放す事となったのか。
今現在の自宅をも手放す方向で動き出したこのタイミングで、気持ちを整理する意味でも、改めて一から綴ってみようと思い立ったのです。




相続問題発生、そして更なる問題との対峙


父の死によって相続問題が発生した当初。
私自身、相続放棄の意向しか無く、それは2人の妹達の意見とも合致していた事でした。

ところが、専門家の元へ相談に行ったり調べを進めるに連れ、相続放棄を選択する事によってまた新たな問題が発生するという状況に直面。

先ず、2度の離婚を経て独り身となっていた父には法定相続人となる配偶者が存在しない為、その第1順位である私と2人の妹達が放棄となれば第2順位である直系尊属(親や祖父母)に相続権が移りますが、これに該当する者も居ない為、第3順位である兄弟姉妹にまで相続権が移る事になります。

この第3順位に当たる兄弟……弟(私達にとっては叔父)は存命ながら、精神を病んでおり思うように意志疎通が図れず。

また同じく第3順位に当たる姉(私達にとっては伯母)は既に他界している為、その子である3人の甥と姪(私達にとっては従兄弟・従姉妹)が代襲相続人に該当する事となるのですが、彼らともまた20年以上もの間接触が無く、その所在すら掴めない。

こうした状況を鑑みても、ただ黙って相続放棄の手続きを進めればよいものではないという事になりました。


そして遺された土地家屋の状況。

荒れた自宅敷地の木々は生い茂り、伸びるだけ伸びて互いに絡み合い、隣家の敷地まで侵入しており、その様はまるで手付かずの雑木林のようでした。

農機具が置き去りにされ物置となっていた古い作業小屋2棟もともかく、至る場所で雨漏りし朽ち掛けていた母屋。
そしてその内部はすっかりゴミ屋敷と化し、悪臭が立ち込めているような状況。

更には、全て手放したとばかり思っていた(そう聞かされていた)10箇所以上もの農地も所有しており、それら全てを近隣住民に貸したまま固定資産税を滞納し続けていた事まで発覚したのでした。

一口に相続放棄とは言いますが、このように様々な事情が絡んでいるような場合には、やはり慎重に作業を進めねばならないという助言もいただきました。

仮に相続放棄が成立したところで、土地の管理義務(財産管理義務)は残る事。
それは新たな所有者に引き渡されるまで続く事を意味しています。

つまりは、手放した筈の土地家屋が、物理的には自身の所有物のままという事になります。

そこで一旦相続放棄は保留とし、数週間に渡り妹達と話し合いの場を設ける事となりました。


もし仮に、安易な気持ちで相続放棄を選択してしまったら、それこそ後にもっと問題が複雑化してしまう……。

そんな思いが巡る中、相続放棄を選択する事で起こりうる事象を想定してみました。

先ず第一に、第3順位の代襲相続人に当たる従兄弟・従姉妹らに迷惑を掛ける事となる。

空き家となった建物に不審者が侵入し、犯罪に繋がる可能性が出て来る。
もし仮に放火などされれば、近隣住宅に延焼し責任を問われる事態にもなりかねない。

ゴミの不法投棄、ネズミや野良猫、害虫の繁殖、悪臭……。
ややもすれば、雑草の繁茂と家屋の倒壊以前にこうした問題が早期に起こるであろう事。

また行政代執行に至り、空き家の強制取り壊しがなされれば、問答無用で少なくとも数百万円もの解体費用の支払いが求められる……。

話し合いに話し合いを重ねた結果、少なくとも安易に相続放棄はすべきでないという事になりました。


債務の状況が明らかに


とはいえ、父がどの程度の負債を抱えていたのかが不透明である以上、すぐに相続登記をという訳にも行きませんでした。

そこで知人に紹介して貰った行政書士の元を訪れ、これまでの経緯を話したところ、先ずは債務調査をと勧められました。

信用情報機関(個人が金融機関等からお金を借りた際に借金の履歴を記録しておく為の組織)に開示請求を行う事で債務の状況が把握出来るというものですが、その方法と手順も事細かに説明して下さいました。

私自身もその際に初めて知る事となったのですが、日本には「指定信用情報機関」というものが3社あり、個人の信用情報を取り扱っている機関で、クレジットカードの支払い状況、カードローンの借り入れ・返済・延滞履歴、自己破産など債務整理の情報などが保有されています。

株式会社シー・アイ・シー(CIC)はクレジットカード会社、貸金業者など。

株式会社日本信用情報機構(JICC)は、消費者金融を筆頭に信販会社、流通・銀行、金融機関、保証会社、リース会社など。

全国銀行個人信用情報センター(「全銀協」「KSC」)は、銀行、銀行系クレジットカード会社、銀行系の信用保証協会、農協、信用組合、信用金庫など。

……と、3社それぞれ提携先が異なる為、債務状況を隈無く調べる為には、この全ての機関に情報開示を求める必要がありました。

しかし、これらはわざわざ現地まで赴かずとも全て郵送で調査が可能である事。
この全3社に開示請求を行えば、ほぼ100%債務状況の把握が可能である事(※例外として闇金業者などの情報は得られない事も)
その費用も一律数百円~1,500円ほどで済むという事。

こうした情報を得た私は、すぐさま必要な書類(免許証などの本人確認書類や戸籍謄本・抄本)を揃え、信用情報開示申込書の記入欄を埋め3社に発送。

10日ほど置いて、それぞれの機関から開示報告書が届きました。

実際に届いた封書。書類の性格上、簡易書留にて発送されます。


早速開封し、その1枚1枚に目を通していくと……。

消費者金融やクレジットカード会社、複数箇所からの借入履歴と残債が見えて来ました。


「株式会社シー・アイ・シー(CIC)」の開示報告書。

「(1)登録の有無」欄に「情報の登録あり」と記載。

クレジット契約をした会社名、契約年月日、契約額、請求額、入金した額、残高、返済(入金)の状況が全て記載されています(見方の解らない箇所はガイドを頼りに読み取りました)。


「株式会社日本信用情報機構(JICC)」の開示報告書。

複数の消費者金融からの借入、返済、延滞履歴などが記載。


「全国銀行個人信用情報センター」の開示報告書。

こちらは全て登録情報なし。

つまりは、銀行の類には借金は存在しないという解釈になります。

そして、これらのみならず他に税金の滞納もあった為、この段階でざっと200万円ほどの借金が存在するという事実は明白でした。


次なる案、しかし現実は……?


さて、この200万円という数字。
負債として、多いと見るか少ないと見るか……。

当初、漠然とですが1,000万円ほどの負債が隠れているのではなかろうかと見越していた私自身。
個人的には、予想を大きく下回る額ではありました。

こうした経緯の下、開示報告書他、各所からの請求書や督促状などなど多くの書類を目の前に、今後どのような道を選んだら良いものかと、再び妹達と話し合いの場を設ける事となりました。


おおよそ200万円という、思っていたよりも負債が少額であった事が判明。
当初、相続放棄の方向一択で始まった家族会議でしたが、ここに来てまた風向きに変化が。

複合的に大きな問題を抱えている土地家屋に対し、(表現として相応しいかどうかわかりませんが)たかだか200万円の為に相続放棄というのも、どうも釣り合わない。

ならば一旦、負の遺産もろとも相続し、目の前のこの土地家屋を売却しよう。

……これが第2の案であり、妹達との総意でした。



しかし……。

これもまた、すぐに甘い考えだったと思い知らされる事になるのです。


この段階でなお相続には至っていませんでしたが、決断を下さねばならない時間も差し迫る中、とにかく一か八か出来る事はやってみようと、不動産業者、工務店など何社にも接触を試みました。

荒れ放題となっていた土地家屋。
これだけでも何ひとつ資産価値が無い事は誰の目にも明らかでしたが、それよりもネックとなっていたのが立地でした。

見渡す限り、周辺の景色は田や畑のみ。
最寄り駅までおよそ4㎞弱、最寄りバス停に至っては6㎞ほどの距離関係にあり、自家用車無しでは生活が成り立たぬ限界集落の外れに建っていた私の生家。
先ずこの立地面で門前払い。

更に農地も足枷となり、これを所有している限り買取り不可という業者も。

こうして何処からも見向きもされず、現地調査に至る事すら無く、土地家屋の売却もまた困難な道であるという現実を突き付けられたのでした。


決断の刻


いよいよ相続放棄の期限まで残り1ヶ月。

しかしながら相続放棄が得策とは言えず、土地家屋売却の道も見えて来ない。

暗礁に乗り上げた我が家の相続問題。

まだ他に何か良い案は無いかと模索し続けても来たこの2ヶ月間でしたが、兎にも角にもあとひと月で決断を下さねばならない。
私(私達姉妹)はまさしく人生の岐路に立たされていました。

もうこれ以上、手をこまねいていても仕方がない。
ある時私は、妹達に、そして主人に向け言葉を投げ掛けました。

「我が家の場合、やはり相続放棄は却ってリスクを伴うと思う。ならば私が相続し、帰郷して生家を建て直す事も考えてみようかな」

……実は、生家の再建という考えはそれまでにも脳裏をよぎる事がありました。

とはいえ私自身、生まれ故郷・生家を離れ20年以上もの時間が過ぎ、この集落での暮らしがどのようなものだったかが思い出せないし、そして今現在どのようなものとなっているのかもわからない。
何より、アルコール依存症を患っていた父とはすっかり疎遠になっていました。

そんな父が健在だった当時、家の事を話し合おうと何度も試みたのですが、自分の思う通りにならないと酒を飲んでは暴言を吐く始末で、疲弊してしまった私は、ただ父との連絡を絶つ事しか出来なかったのです。

そしてこれまでに漏れ伝わって来ているのは、在りし日の父が周囲に行って来た迷惑行為の数々と対人トラブル。

更に両親がまだ婚姻関係にあった古い時代まで遡れば、近所での母の悪評まで。
今思えば、何処か発達障害のような要素があったのかも知れませんが、空気の読めない母は、無神経な発言で度々人を怒らせる事がありました。
こうしたトラブルで謝罪に向かうのは、いつも娘である私の役目でした。

そんな状況下、果たして帰郷して良いものなのか。
幾ら両親と私は別人格であるとはいえ、幼少時代から独立以前までの私を知る近所の人達はどのような目で私を見るだろうか。

しかしここには、大好きだった祖母と過ごした幼少時代の優しい想い出もある。
仲良くしていた幼馴染みも居る。
振り返れば、決して悪い事ばかりではなかったではないか……。

こうした思いが交錯する中、主人とも今後の生活に関して何度も話し合いを重ねました。

願わくばこれからも賃貸住宅での暮らしを継続したかった私に対し、元々マイホーム願望が強く、いつか自分の家を持ちたいと言っていた主人。
更には、特に居を構える場所も問わないとも言っていた主人。
それは私の生まれ故郷であるこの地でもまた然りで、こうも言ってくれたのでした。

「折角土地があるのなら、それを活用して家を造るのも悪くはないね」と。


そして……。

「生家の再建・再起に懸けてみよう」

これが、私が最終的に下した決断でした。

こうして生家の再建に向け、私達は動き出す事となったのです。

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