30代。「何者かになりたい」を手放したら見えてきた、私が大切にしたかったこと。
(1ヶ月間、ポジウィルキャリアでカウンセリングを受けた体験記です。5,000字程度あります。)
2022年は私にとって大きな変化の年だった。
自身の海外駐在を終えてすぐ、キャリアを中断し、夫に帯同して中国へ。それまでは仕事に明け暮れる日々だったので、ライフスタイルがガラリと変わることに不安がないかと言えば大嘘だった。
いいなー人生の夏休み!
あれ、バリキャリと思ってたけど、次は専業主婦?
いい機会なんだから仕事は忘れて子ども作りなよ。
周囲からはそんな風に言われていた。
帯同期間に何をするか、自分の中では何となく決めていたのだが、3ヶ月経っても慣れない中国語に四苦八苦する日々で、実際にはそれ以外のことを考える余裕などなく。
またコウノトリが来てくれることを望んでいたけど、私たち夫婦にとっては簡単でないことも理解していた。まだ20代だった一年間、不妊治療に専念したが、妊娠には至らなかったからだ。
北京に来てから病院を数か所回ってみるも、日本では言われないだろう金額を大雑把に言われ、
「こんなんじゃ一瞬で貯金が吹っ飛んじゃう…。」
なかなかうまくいかない現実に打ちのめされていた。
休職期間に子育てすることもなく、仕事もしていなかったら、未来の自分から一体何してたんだろって思われるだろうな…。
この期間をただのブランクとしないために、今できることは何だろう。
ただただ誰かに話を聞いてもらいたい。
そして、カウンセリングを受けることにした。
私の人物像
カウンセリング受講の決め手
正直なところ、当初はがっつり受けるつもりはなかった。
元々くよくよした悩みを人に打ち明けるのが得意ではなく、何かあると単発型のカウンセリングを利用するのが社会人になって以降の私のスタイルだった。
ポジウィルキャリアは、伴走型のカウンセリング。一度もそういうプランを利用したことがなかったのでやってみたいと思ったが、ためらいなく申込できる金額では、正直なかった。
そのため、まずは一人でできるかやってみた。
noteで公開されている体験談を片っ端から読み込み、推薦図書をkindleで購入。これらをヒントに、今後の人生を見据えた羅針盤が作れるかを超集中してやってみたのだが。
…まあ、頓挫した(笑)というか、これまでの何が今の自分の思考に影響を与えたか、そんな風に深堀りしながら振り返っていくと、葬ったはずのネガティブな思い出たちが蘇ってしまい、気持ちをうまく切り替えられない事態に…。
「ああ、私、まだ乗り越えられていない過去があるんだな。」
自分を知るワークって自分一人で完成させるの難しい(少なくとも私は)。投資の価値あり!そう確信できたので、これも経験と思って申し込みすることにした。
①心の妨害者を知り思考のクセを紐解く
35日間を伴走してくれたのは、山下優紀乃さん。
サッパリしていて波長が合い、時に柔らかな口調でしっかりと突っ込みも入れてくださる方。私にぴったりのトレーナーさんだった。
「一人でワークしてみたら辛くなっちゃって、プロの手を借りたいと思ったんです」
そういう私に、
『なるほど、具体的にどんなことが辛かったですか?』
さっそく質問が返ってくる。
おお、なるほど、そうくるのか!(笑)
一人の場合、辛くなるとそこで思考停止してしまったりする。だが、やさしい一歩を踏み入れてくれることで、現実としっかり向き合わなければならなくなる。本当に自己理解が深まったと感じたのは、そのような環境に自分が置かれてからだった。
私にとって大事だと思った発見は3つある。
一つ目は、心の中の妨害者ワーク。
下記の本の診断を元に、自身の思考のクセを探った。
一番色濃く出た妨害者は「優等生」。
何気なく挙げた3つ上の姉とのエピソードに、着目することになった。
それは、外で泣き叫んでいた幼少期の自分。当時、母からよく「外でキーキー声を出しちゃダメよ」と言われていた。わかった!と元気に外へ飛び出すも、毎回決まって私の金切り声が家まで響いてきたそう。
背景にあったのは、一緒に遊んでいたはずの姉について行けず、どこかで置いてけぼりを食らったこと。もちろん、姉も意図的にそうしていた訳ではないだろう。でも当時は追いつけず、「おねーちゃん、まって!!!」と感情を爆発させて自己表現することが多かった。
『当時、どんな気持ちだった?本当はどうして欲しかった?』
『なんて声をかけてもらいたかった?』
正直、当時の細かな記憶などない。でもそこで諦めずに、あの頃の自分の気持ちに寄り添いながら考えてみたら。ポロポロと言葉が出てきた。
もっと私のペースに合わせて欲しかった。
ついて行けず悔しかった。
置いて行ってひどいね。悔しいね。
少し成長して、弟と私が2人でケンカするようになった頃には、姉が頻繁に弟をかばい、2対1の構図で孤立するようになった。自分の思いを発散しきれず、鬱憤を溜めていった私。我慢することが増え、孤独感を強めた。
そして私は、姉に勝つことに自分の価値を置いたのだと思う。
自分のペースを作らないと、誰かのペースに飲まれちゃう。
自分のペースで生きるには、何かが出来るようにならないと。何者かにならないと。
その生存戦略が学校など外の世界では功を奏で、ある程度のし上がることが出来ていたとは思う。ひとたび目標を定めれば、一生懸命に努力して、結果にコミットできた。
でも、走っても走っても、置かれる場所が変われば新たに現れる強敵。色々と頑張ってはいるんだけど、「これだ」という確信が持てない自分。
『「何者かにならなければならない」という気持ちが強すぎて、純粋な気持ちで事に向かうことが出来ていないかもしれませんね。』
段々と、これまでの私は「勝つことに自分の価値を置き」、「何者かにならなきゃ」と頑張り、環境が変われば振り出しに戻るような気持ちで、ずっと一人で欠乏感と戦うゲームをしていたことに気が付いた。これまで感じてきた葛藤は、形は違えど、実は根っこにあるものは同じで、いつも同じループにはまっていただけだった。
なんだ、とてもシンプル…!
ひとつのケースと共に思考のクセを紐解くことで、他の悩みに置き換えたときも、何を考えどのように決断を下したのか、その解像度をグイッと上げることが出来た。
(※今は兄弟仲良くやっています。笑)
②苦しみの原因は「課題の分離」ができていなかったこと
過去の振り返りが終わったフェーズでも、まだモヤモヤが残っていた。それは、一人でワークをしていた時に、ふと蘇ってきた、もう10年近くも前の人間関係のトラブル。
詳細は書かないが、親密な人たちに裏切られたと感じた、つらい出来事だった。今はもう完全に克服したと思っていたのだが、今回の内省を機にまた苦しい気持ちが蘇った自分に二重でショックを受けた。
『それが起きたのは〇〇さんがどうにかできた問題でしょうか?』
「…いえ、違いますね。」
『そうですよね、彼らの問題ですよね。それは〇〇さんから切り離して良い問題です。他責にして良いんです。』
「でも、私はどうしていまだに思い出してしまうんだろうか…」
『そうです、そこで初めて自分の課題になるんです。』
そして、色々な角度から質問されたのち、課題を分離するとはどういうことか、見えてきた。
これまでは、自分じゃどうしようもなかったことすらも、自分の課題と捉え、悶々と悩んでいた。なぜこれが起きたのか、どうしたら防げたのか…。
そのことが、余計に自分を苦しめていたんだと知った。
そして長い年月が経ったにもかかわらず、まだ痛みを完全には癒やせていない自分。そんな自分を受け入れられず、たまに沸いてくる感情を罰するような気持ちで否定し、無理やり蓋をし続けていた。
でも、否定に否定を重ねても解決には繋がらなかった。そのことに、今回やっと気がついた。痛みを抱えたままの自分のことも丸ごと認めてあげよう。少しずつだけど、そんな風に思えるようになった。
参考になったのはこちらの本。大変なヒット作だが、きちんと読んだことがなかった。今回ワーク後に読んでみて、中身の理解が進んだ。
③目指すのは、掛け算のキャリア
後半は、今後のアクションを考えるフェーズに入った。
しかし、今ある手持ちの駒の中でなんとか収束させようとしてしまい、それに違和感も感じたりして、なかなか順調には進まなかった。
『どんな気持ちに自分があったら将来的に良いのか?
そこから重きを置きたい項目を考えたいですね。』
そこで無視できなかったのは、中学生頃から抱いていた「なぜ人は争うのか」という疑問。祖父が戦時中を広島で過ごした人で、幼い頃からよく戦争の恐ろしさを聞かされて育った。その課題意識から、海外の大学院まで行き、海外での就職も実現したのだった。
しかし、25歳のときに異国の地で一文無しになる。その経験があまりに辛く、自分の自信に影を落とした。
親孝行どころか帰国のフライト代も親にすがるしかなくて、情けなくて申し訳なくて、しばらくは自分の想いなど完全に放棄して生きていた。日本で再就職後、配属希望は通らなかったけど、「今の自分はまだ独立していける力もないから」、黙って力をつけることに注力した。
私、本当は、「自分の内面と向き合う手助けがしたい」。
歴史問題への関心からはじまり、アウシュビッツへ訪問時に感じた「あるものを無くすストレスは人を狂わせる」という個人の心への関心。
欧州でのテロや難民流入を経験したが、目の前で困っている人を前に何も出来なかった当時の自分。恐怖による行為はまた別の恐怖を生むという基本原理を目の当たりにした。
「一人ひとりが自分の整え方を心得れば、家庭内のいざこざから大きな紛争に至るまで、余計な争いを減らせるかもしれない。」
そして昨年アフリカで出会った一人のヨガ講師との出会いがヒントに。今回読んだアドラー心理学、「人は自分で自分を幸せにするしかない」という思想も、腑に落ちるものだった。
一方で、こちらに大きく舵を切ってしまうと、CFO人材としてのキャリアを完全に手放すことになる気がして、悶々とした。
そんな私に一言。
『0か100かで考える必要はないですよ。CFOの経験が0になるわけではない。一つのことを突き詰めることで確立するキャリアもあれば、掛け算を意識してこそ、自分なりのプロとしての場が出来てくるキャリアもある。こちらはまさに足を動かしてこそ出来てくるんです。』
今後の方針が、決まった。
ネクストアクション
やっと、点と点が繋がってきた、という思いだ。
大事にしたいのは、「修羅場体験」と「手触り感」。
最初の一年は種まきの期間と定義した。無理せず少しずつできることをやっていく。今後増えるかも知れないし減るかも知れないが、その時々で手直ししていくつもりだ。
また、4Lワークというものを行ったときに、Loveについてはすでに理想的な状態であると思えた。これ以上、求めるものはないと思えたし、夫とは、子供ありきで結婚したわけでもない。もし子宝に恵まれなかったとしても、私はそれでも夫と一緒に暮らせてよかったときっと思うだろうし、夫にもそう思ってもらえるように、これからも日々を大切に生きていこうと思う。
終わりに
私はポジウィルキャリアの回し者でもなんでもないが、熱量を持って取り組めば取り組むほど得るものも多い、とても意義のあるサービスだと思った。
もちろん悩みは尽きないものなので、毎回プロに頼るだけが解決策ではないと思っている。でも少なくとも今回、納得して自走していくためのコツを心得ることができて良かった。当初の懸念を軽減できただけでなく、一人だと行き詰まりを感じやすいポイントを、壁打ちを通じて理解することができた。担当トレーナーの山下さんはじめポジウィルの皆さまには本当に感謝しています。
あとは、どれだけ行動変容に繋げられるかがカギだと思うので、初心を忘れずに、焦らずゆっくり歩んでいければと思う。
この体験談が、悩みを抱えている方の疑問解消の一助となれば幸いです。
この長文記事をここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました🌹
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