ダイアナ妃の記憶 | 王室に立ち向かった英国プリンセス
英国ダイアナ妃。その美しい容貌と慈愛に満ちた精神、そして若過ぎる死は世界中の人々に鮮明に記憶された。英国の名門貴族スペンサー家の令嬢として生まれ、英国王室に嫁いだプリンセス。世界で最も写真を撮られた女性。それだけ聞けば、誰もが羨むような経歴だが、実際の彼女の心は常に孤独だった。今回は、そんなダイアナの人生を追いながら、生きるヒントを探していきたい。
ダイアナはメディアを利用して英国王室にたった一人で立ち向かった勇気のある女性だった。だが、英国王室はダイアナに名誉と威厳を傷つけられたと憤慨。その後、ダイアナは国王エリザベス2世から息子のチャールズ王子と早急に離婚するようにとの手紙を受け取った。英国王室のしきたりでは離婚はできないはずなので、女王からの手紙にダイアナは驚いた。
事はそれだけ重大でエリザベス2世は本気だった。英国王室にとってダイアナは凄まじい危険要素だった。王室の安寧と繁栄を願うエリザベス2世はダイアナを排除すべき存在と判断した。女王からチャールズとの離婚を要求されたその年のクリスマス、ダイアナは二人の息子にプレゼントに何が欲しいと訊いた。
息子二人は揃って「母さんたちが昔みたいに仲良くしてくれること」と言った。ダイアナはその言葉を聞いた後、一人になると号泣した。この時、まだ小さな息子たちが家族の不和を強く感じ取っていたことに改めて気づかされた。両親の離婚によって家族と疎遠で幼い頃から愛情に飢えていたダイアナにとって自分と同じ道を息子たちには歩ませたくないという強い思いがあった。だが、夫チャールズとの間に愛はなかった。夫婦関係は完全に破綻していた。愛のない生活は、ダイアナには耐えられなかった。一方、チャールズは愛があるだとか、ないだとかの話しかできないダイアナに甚だうんざりし、退屈していた。チャールズはダイアナにそうした話題だけではなく、もっと教養を身につけて欲しいと幾つもの本を与えていた。だが、ダイアナにはそれが自分は顔だけが取り柄の教養のない女と見下されているように映った。
チャールズのダイアナに対する複雑な態度は、彼女への嫉妬心から来るものもあった。エリザベス2世の王子として誕生したチャールズは、常に国民から大人気のスーパースターだった。だが、ダイアナの登場によって、その人気が次第に奪われていく。女優やモデルを凌ぐ容姿端麗なプリンセスに人々は強く心を奪われた。ダイアナは各地を訪問したが、その度に熱狂的な声援が上がった。ダイアナはチャールズと並んで各地を訪問したが、取り囲む民衆はチャールズ側だった場合は落胆して「ダイアナ、こっちに来て」と叫ぶ光景も見られた。そうしたダイアナ人気がチャールズの嫉妬心を煽っていった。
ダイアナは一番の味方で相談相手であるはずの夫との関係が上手くいかず、精神を病んでいった。そして、何よりもカミラの存在がダイアナを不安に陥れていった。カミラはチャールズのかつての恋人で、とっくの昔に別れたはずだが、結婚後もその関係は続いていた。そして、なぜかいろいろな王室関係の秘密をカミラの方がいつも先に知っている。カミラへの嫉妬がダイアナをより精神不安定に追い込んでいった。そうしてダイアナは息子たちを守りながら、どうやって王室と渡り合うか考え抜く日々を送った。
チャールズとの離婚が成立し、ダイアナは多くを失った。だが、住まいのケンジントン宮殿と息子たちの親権は何とか守り抜いた。そして、息子ウィリアムの「心配しないで母さん、ボクが国王になったら、母さんが失ったものを取り返してみせるから」という言葉に強く励まされ、離婚後も気丈に振る舞った。それからダイアナは、以前から力を入れていた慈善活動により力を入れるようになった。
離婚後、ダイアナはハスナット・カーンというパキスタン出身の心臓外科医と恋に落ちた。二人の出会いは、ダイアナが友人の夫の見舞いに付き添った時だった。その時の友人の夫の担当外科医がハスナットだった。ダイアナはハスナットとの結婚を望んだが、彼はメディアに晒されることに強い抵抗感を持っていた。仕事人間のハスナットはダイアナを愛してはいたが、メディアに追いかけられることで仕事に支障が出ることを恐れていた。結局、二人はお互いを嫌いになったわけではないが、どうやってもゴールがないことに絶望し破局に至った。その後、ダイアナはハスナットを嫉妬させるため、最後の賭けに出た。
それはエジプト人の富豪モハメド・アルファイドの息子ドティと抱擁するツーショット写真だった。これは、実はダイアナ自身が意図して撮らせたものだった。ダイアナは別れたハスナットに未練があり、彼を振り向かせたい一心だった。ドディとのツーショット写真は世間を騒がせ、パパラッチは二人をどこまでも追いかけるようになった。
そして、運命の悲劇の日が訪れる。ダイアナはドディと共にパリで休暇を過ごしていた。だが、ここにもパパラッチの追手が現れる。パパラッチを巻くため、ダイアナたちを乗せた車は信号を無視してコンコルド広場を駆け抜け、セーヌ川沿いの道を走ってアルマ橋のトンネルに入り、そこで中央分離帯に激突。
ドディと運転手のアンリ・ポールは即死。ダイアナにはまだ息があったが、車はぺしゃんこで彼女の救出に1時間も掛かった。だが、病院に運ばれた時には既に心肺停止、その後間もなく亡くなった。英国王室の命令による暗殺が噂されたが、完全な事故だった。運転手アンリ・ポールの飲酒運転が原因だった。
1999年8月31日、午前4時。36歳の若さでダイアナは亡くなった。英国名門貴族スペンサー家の令嬢として生まれたダイアナは、チャールズ王子の心を射止めて妃の座を手にした。そこまでは夢物語だった。だが、その後の彼女の人生は常に苦難に満ちていた。
ダイアナの生き方から得られる、生きるためのヒントは多いように思う。そして、そう思えるのは彼女が人間臭く、同時に尊敬されるような人間だったからだ。人の弱さを抱えつつ、それと向き合って前に進み続けたダイアナは、いつの時代も人々に勇気を与えてくれる。だから最後は、彼女のこの言葉で締めくくるとしよう。
「私の人生は、きっと私が幸せになるためではなく、誰かを幸せにするためにあると思うの___」
Shelk 🦋