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私にとって仕事をするとは?

一度無理をすると、無理をするのが当たり前になってしまうように思う。
「無理」をしてたのだから、しないほうが良いに決まっているのに

無理してないから力を出し切っていないような気がする、
みたいな。

または、基準自体が
残業や徹夜をすれば良い、になってしまう
みたいな。


今日はネガティブな話になってしまうのだけど、

そもそも私がnoteを始めた理由は、自分が経験した怒涛の日々を忘れないため、そんな時間を生き抜いた自分を称えるため、こんな話が笑い話になって誰かの「クスっ」に変わったら、私も救われると思ったから。

もし、毎日が辛いと思っている人がいるなら「こんな山の中で頑張ってる人もいるんだな〜ふうん」と思って欲しい。
私のエネルギーがこの言葉たちからも溢れているといいな。

自分で選んだこの道で経験したことは間違ってなかったって、私はめちゃくちゃ成長したし、たくさんのことを学んだって、証明出来るように。

それから、時間に追いつかないこの感情を言葉に変えて整理するため。
今私は何を感じているんだろう?どうしたいんだろう?
そうやって自分と向き合うため。




去年の冬あたりから仕事をするのが辛いと感じる割合が楽しいを上回ってきた。
楽しい瞬間と、心が砕けてしまうんじゃないかと感じる瞬間を繰り返している。


家具職人になって3年目の今年は年明け早々、地獄を見た。そんな始まりだった。


前の案件が当初の予定よりも押しに押しまくっていたので、次に控えていた他の仕事の納期がどんどん短くなっていた。

加えて私たちを苦しめたのは夜間工事。
そして施設の中の工事なので工期も絶対にずらせない。
更にはとても複雑な仕事だったので、一筋縄ではいかなかった。

普通に作っていては間に合わないので、昼間は制作、夜は現場、明け方帰ってきて仮眠を取ってまた制作という生活が続いた。


気が狂いそうだった。


どうしてこんなことをしなければならないのか?ここまでする価値があるのか?これ以外の方法は無かったのか?
色々なことを考えたけれど、やはり答えは無かった。


みんなが励ましてくれて、労ってくれて、手伝ってくれたことはありがたかった。
でも身内のそれはプレッシャーでもある。


逃げ道の前に彼らが立っているように思えた。


『大丈夫。』


という返事を最初から期待している


「大丈夫?」



私が一番嫌いな質問。



多くの場合それは自分を鼓舞する材料になるけれど、本当に追い詰められている時には全く逆効果である。

怒りや苛立ちに変わり、そして皮肉にもエネルギーに変わる。

結果としてエネルギーに変わっているのだから、質問者はオーライかもしれないが過程が最悪だ。


本当に最悪。


私はもうとってもうんざりだった。
何度も納期が短くて苦しんできたじゃない?何度死にかけたら改善しようと思うの?


普通はね、とんでもなく辛い出来事があったら、次に壁にぶち当たった時「あの時よりはマシだ。まだ頑張れる」って思うでしょ?
でもここ最近はずっと、辛さがグレードアップしてるんよ。


おかしいだろ!

ダンジョンしてんじゃないんだから!!

レベルアップしたからって試練のレベルも上げてくんなよ!!!


と、勇者は神様を睨んだ。


何度も同じ失敗を繰り返す仕事のやり方とか、それを防ぐ力のない自分とか、自分が置かれた環境とか。


全てのことにうんざりしていた。


同時に夜中のテンションと同じようにアドレナリンが出まくって仕事ハイみたいになって、現場が完成していくのはやっぱり嬉しかった。


仕事はやっぱり楽しかった。



そしてそんな自分が悲しかった。


私は末端だから、お客さんに感謝されることもなければ、元請けに賞賛されることもなく、ましてやエンドユーザーの声も聞くことはない。


私のドタバタはとても狭い水槽の中の出来事で、その中で竜巻が起きようが、波が立とうが、水槽から溢れることはない。


それを痛感してしまった。


上司に労われても全然嬉しくなかった。
この2ヶ月間の過労をみんな褒め称えたし、会社は賞与も出した。
でも私は全然嬉しくなかったの。


私の仕事が喜ばれたというよりも、
それはなんていうか、
「会社のピンチを救ってくれてありがとう!」
みたいに聞こえたから。


出来上がったものを見ても、『ああ良いものが出来た。頑張って良かった。』って思えなかった。
こんなに頑張ったのに、私の心はどこかもやっとしていて、全然満たされなかった。
それがすごく辛かった。
死ぬ気で頑張ったことは確かなのに、私は自分のことをちゃんと褒めてあげられなかったし、全く満足してなかった。

もっと時間があれば、余裕があれば、もっと上手に出来たはずだ、もっと丁寧に出来たはずだ。
あんな失敗をしてしまった。こんなミスをしてしまった。

そんな反省ばかりが私の頭の中を埋め尽くしていた。



私は気づいてしまった。


ああ、私全然会社の人間になれないんだ。
会社の為に尽くして、一生懸命仕事をして、評価されても、私は嬉しいって誇らしいって思えないんだ。


もしかしたら、大企業で活躍して賞与をがっぽりもらって、昇進して給料も自慢できるほど高くなっていたのだとしたら、


満足できたのかな…?


金額がどこまで私の感情に影響を与えるのか、現段階ではわからないけれど、一向に上がらない安い給料とその半分以上を簡単に渡してきた会社に対して、不信感すら覚えた。


だってこれが終わった後も仕事は詰まっていたし、寝不足になるのは目に見えていたけど、この先も同じように渡し続けるの?


そんなわけないじゃない。



途中私の心は二日閉じてしまって、会社に行けなかった。仕事が間に合うとか間に合わないとかもうどうでもよかった。
責任感とかどうでもよかった。
とても行けるようなメンタルがなかった。
簡単に言えば病んでいたのだけど、感情を言葉にすると、「あーむりむり、全然むり、やってられるか。本当に無理だから、これ以上は。今日は絶対に仕事しないから。」みたいな感じ(笑)
落ち込んでたわけではないの。
でもどうやっても無理だった。
ストライキってやつよ。


申し訳ない気持ちも勿論あったけど、私は生き抜く方法を知っていてそれを実行できる側の人間だっただけ。
仕事で鬱になってしまう人とか過労死してしまう人たちが、こうやって投げ出す術に出会っていてほしかったって、本当に思うの。


正当化するな!とか、正義感たっぷりの私だっているよ。でも正義ちゃんは年々私の中で力を弱めているような気がする。

それよりももっと人生に渇望するものがある。 


生きた心地がしないことなど、絶対にしたくはないのだ。




私の誕生日は2月の初めなんです。
だから小さい頃は11月のハロウィンから、12月のクリスマス、1月のお正月、2月に節分と自分の誕生日があって、バレンタインがある。
3月にひな祭り、そしてホワイトデーの後、桜が咲いて新学期。
このイベントだらけの流れが大好きだった。

昨年から今年にかけてはなんて最悪な数ヶ月を過ごしたのだろう。
年明けからのしんどい仕事は2月の頭まで続き、私は遠方の現場で誕生日を迎えた。
自分の誕生日が知らぬ間に過ぎたことに驚いた。そんなの漫画の中だけだと思っていたのに。
会社の人たちがお祝いの言葉をくれた。
一緒に現場に来ていたお姉さん上司が、コンビニでケーキを買ってくれた。

嬉しかったし、温かい人たちだなあって改めて思った。
一緒に働くみんなはポジティブで向上心があって尊敬している。
みんなのことが好きなのでここで学びたいと思って頑張ってきた。


でもそれだけではやっていけないみたいだ。
別に私はみんなのために仕事をしてるわけじゃないから。

会社の一員として、会社の利益や繁栄のために力を尽くす感覚がわからなくなってしまった。

私が目指しているものと、会社が向かっている先が一致しなくなった。

同じ方向を向いていないことが、本当に辛かったの。
だから頑張っても、報われなくて、労いも喜べなくて、何だかずっと悔しかったの。

私が頑張った意味がそこにはなかったから。


私が作ったものの意味が。


会社に勤める多くの人は、こんなことまで考えていないだろうと思う。
企業理念に心から共感して、社長の言葉に耳を傾けて、自分の仕事が社会に役立っていることを実感したいなどと思う人は少数派なのだろうと思う。

私はそのマイノリティーである自覚があって、だから一緒に働く人と気持ちを共有することは仕事をしていく上で結構重要視している。
それを感じやすいように小さな会社に転職した。
小さなチームの中ではそれぞれの感情が良くも悪くもよく見える。


私は我が強くて協調性も無いんだろうなと最近感じる。そもそも何かに所属して自分のしたいことをするなんてことは難しい話なのかもしれない。きっと私は自発的に行動したい人間なんだと思う。会社勤めは向いてないなあ。



そんなのことを考えながら、恋愛みたいに私の心はちょっとずつ離れていった。
かつては許せていた些細なことが許せなくなったり。
忙しいことや、給料が安いことだけが理由じゃない。
もっと気持ちの問題。
うまく説明できないけどね。



さて、この仕事が終わったら更に辛い仕事が待っていました。
私はどうやって乗り越えたのかな。
また次回をお楽しみに。


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