配られたカードで勝負するしかないのさ。~カンボジアで学んだこと~
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言葉との出会い
この言葉はアメリカのチャールズ M.シュルツの描いた「ピーナッツ」というコミックでスヌーピーが話した言葉です。
私がこの言葉を知ったのは20代の頃でした。
当時この言葉を知った時には雷に打たれたような衝撃を受けました。
その当時、私は自分と周りを比較して世の中は不公平だと不満ばかり言っていたように思います。
もっとも、今では違うかと言われれば口を噤むしかありませんが、当時よりは幾分マシなのではないかと思います。
彼女は首を振った
その時は
「そうだよな。ぐちぐち言ってて手も仕様がないよな。」
くらいに考えていました。
その後、思うところがあってアジアを1か月放浪しました。
その中で当初予定になかったカンボジアへ行くことになります。
カンボジアは当時、独裁から解放されたものの、まだ各地に地雷が埋まっており、人々も貧しい状態でした。
10歳にならないような子どもでも働かざるを得ない状況であり、彼らは物乞いや物売りをして暮らしていました。
私が物乞いの子どもにお金をあげようとすると、途中から一緒にカンボジアへ行くことになった女性が首を振りました。
お金をあげれば次から次へと子どもたちが集まって収拾がつかなくなりますし、お金を渡せば良いということでもないのでしょう。
彼女にはそれがわかっていたのだと思います。
カンボジアでその言葉の意味を知る
当時、世界2位の経済大国であった国の日本人から見たら可哀想だと映るでしょう。実際、私も行くまではそう思っていましたし、今でも子どもが働かざるを得ない状況はなくすべきだと考えます。
しかし、現地で目にした子ども達には悲壮感はありませんでした。
彼らは自分がお金を稼ぐこと、そのお金で家族を養うことに誇りを感じているように見えました。日本の子どもの方がよほど元気がなく、どちらが幸せなのか一概には言えないのではないかと感じました。
また、彼らはより多く稼ぐために英語や日本語を観光客から学び、当時、日本で流行っていた一発ギャグを覚えて観光客とのコミュニケーション手段に使っていました。
彼らはその場所、その境遇に望んで生まれたわけではないのです。
彼らは、生きるために今の境遇で出来ることを精一杯やり、そしてそれを楽しんでいたのです。
彼らは、まさに配られたカードで勝負していました。
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