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小説 | DOOMSDAY OF ARK

 そうして人類は永遠の眠りについた。
 スペースコロニーが軌道上を離れ、わずか数代を経てのことだった。
 人類が宇宙に憧憬を抱いて、何世紀の時が流れただろうか。天動説を崇拝し地動説を唱える者を焚した時代も、国同士が宇宙開発国力を競い合った時代も去った。影響力のある個人に金が集まり大勢の大富豪が集い、その財力をもって作り上げられたノアの箱舟。それがスペースコロニー『ラグランジュ5』、通称L5だ。
 フランスの数学者であり天文学者でもあるジョセフ・ルイ・ラグランジュに因んで名付けられたコロニーは、地球と月の間にあるラグランジュ点で公転している。地球と月の重力、そして回転の遠心力の三つの力が釣り合った力学的な平衡点。五つあるうち、第四ラグランジュ点と第五ラグランジュ点が特に安定しており、二十世紀から最初にコロニーを設置するのに適当な候補地サイトだと提唱されてきた。第五ラグランジュ点は約一ヶ月で地球を一周し、約一年掛けて太陽を一周する。月の近くにあっては月の重力に、地球の近くにあっては地球の重力に、そしてそのどちらからも離れた場所では遠心力が働くよう、公転するように作られている。
 無重力下ではカルシウムが失われ骨が脆くなる。故に長期間の滞在、植民を前提としたスペースコロニーでは地上に近い居住環境が実現されている。地上と同様の条件を満たすことも可能だった。だが投資者の大半を資産家が占めるとどうなるか。金に物を言わせ、地上とは完全に同じではなく、より宇宙らしさを求めるのである。したがって居住空間では重力は敢えて若干軽く設定されている。スキップすれば体が浮き上がるくらいに。
 窓の外の反射鏡で自然な太陽光を取り入れ、反射鏡の角度を変えることによって地上と同様の季節や昼夜を作り出す。気圧、気温、湿度なども地球と変わらない設定にされており、それらは四季のある国を模倣しながらも快適な環境が保たれていた。四季を知らない国の出身の人類は、ひょっとしたら宇宙空間で初めての四季を体験するかもしれない。
 人工的に作られた農場プラントには陸と水があり、人間以外の動物はここで暮らす。景色や生態系も地球の特定の地域に似せられている。あらゆる国から集まった人々は、時にそれらの生き物に脅威を感じたり、郷愁を感じるだろう。
 スペースコロニーに必要な条件をすべからく満したこの船の完成は、宇宙への憧れを持つ者にとって福音だった。地球外に行く夢を叶えるには、月の土地の証書を持つことよりも現実的だったからだ。
 スペースコロニーと言えば地上を離れての植民をイメージする者がほとんどだろうが、L5は元々夢を叶えるために世界中の金持ちが夢を叶えるために興した事業だ。即ちこの事業により多くの金を投資した者たちが、人類史上初のスペースコロニーに搭乗する栄誉を手に入れると提示したのだ。まるでどこかの独立国家が爵位を販売するように、世界最大の事業は切り売りされた。
 始祖ともなる初代の乗組員は世界中の富豪と船外活動を行うための宇宙飛行士、そして研究のために乗船を許された科学者だった。比率で言うと圧倒的に富豪が多かった。地上においてはあらゆる経済活動を牛耳る富豪も、宇宙空間では何の役にも立たない、ただの一般人である。
 資産家たちは事業に投資した。金を持つ者が焦がれるものは何か。更なる富と名声である。人類前人未到の地を踏む名誉、或いはそれによって得られる知名度や利益を見込んで。それらに与る栄誉は、その家族たちに捧げられた。富豪たちはせいぜい宇宙旅行を楽しむ程度の心持ちで、こぞって家族やペットを伴って乗船した。まるで南国のビーチにバカンスに行くように。
 スペースコロニーの試用期間は一ヶ月だった。人類は非常に楽観的だった。何事もなく地上に戻れるものだと思っていた。スペースコロニーの農場プラントには来る地球への輸出に向け、食用肉になる種が実験動物として持ち込まれた。
 スペースコロニーの打ち上げは一世を風靡した。実現性を訝しむ報道や想定される危険性を報道したものもあったが、概ね宇宙への進出を好感的に報道するものがほとんどだった。
 Xデー。ついにスペースコロニーに人類が足を踏み入れる日が来た。
 インフルエンサーによってリアルタイムで更新されるSNSの投稿は瞬く間に拡散され、トレンドを宇宙一色に染め上げた。中には参加者は一箇所に集められており、最新の技術で作られたCGでそれっぽく見せているだけ、実際に宇宙に人類は到達していないと陰謀論を唱える者もいた。
 初めの二週間、人類は宇宙での生活を謳歌した。飽食の限りを尽くし、農場プラントや水産プラントの観光ツアーが組まれた。また健康と引き換えに軽く設定された重力のために、骨や筋力の低下が懸念された。居住プラントにはジムが設置され、定期的な運動が推奨された。人類は束の間のバカンスを楽しんだ。
 異変が起きたのはちょうど折り返しに到達した時だ。地球へと発せられた定期連絡の返信が途絶えたのである。また進路はラグランジュ点の軌道を逸れ、地球から遥か彼方、太陽系の外へと向かっていることが判明した。スペースコロニーは完全に制御不能の状態に陥っていた。
 それは地球か月の重力、どちらかの消失を意味した。遠心力のままあらぬ方向へ漕ぎ出した我々は、舵を取ることもできなかった。
 もし消失したのが月だったとしても、人類の存続は絶望的だ。月がなければ地球の自転速度が速まり、一日は八時間となる。地震も頻繁し、強風が絶えず荒れ狂う、不毛の土地と化すだろう。一億六千万年続いた恐竜の時代が終わったように、人類のわずか五百万年の時代も終焉を迎えるのだ。
 一方我々のコロニーは絶えず進み続けている。相対的に見て滅びから逃れているのは我々の方である。この広大な宇宙で同胞に巡り合う確率は限りなく低いだろう。いずれにせよ人類の存続は絶望的だ。つまり、このコロニーに残された人類が、人類最後の末裔となった可能性が示唆されたのだ。
 コロニーの人類は恐慌状態に陥った。乗組員の大半は、二度と地球の土を踏むことがないとは思ってもみなかったのだ。人類は嘆き、悲しみ、神を呪い、罵倒した。

 わが神エリわが神エリ

 どうして私を見捨てられたのですかレマ・サバクタニ

 離れ行く地球に、太陽に、望郷の念に焦がれながら。人類の存続は始祖の肩に掛けられた。
 一人の声の大きな資産家が、議論を持ち掛けた。今後我々がどう生きていくべきかについて。コロニーで初の会議が開かれた。まずは混乱を収めるために、有識者による会見が開かれた。
 有識者曰く。幸い居住プラントに影響はなかった。コロニーは対称軸のまわりに回転させて、遠心力によって擬似重力を生み出している。すぐにコロニーが落ちてしまうようなことはないだろうという予測だった。しかしエネルギー源は太陽光である。太陽光は無限に届くが、発電できるほどの距離となると永遠には持続しないだろう。早急により効率的な蓄電池の開発が必要とされた。
 続いて議題として挙げられたのは食料問題であった。宇宙食技術は向上し、地上とほぼ変わらない食事を提供することができた。だが一ヶ月間の滞在のために用意された食料は、余裕を持って三ヶ月分しかなかった。
 農場プラントに持ち込まれた動物たちは名目上実験動物だったが、その中に宇宙産ブランドの称号を得るために資産家が金に物を言わせて乗せさせたものがあった。結果としてそれらが箱舟の役割を果たし、人類と言う種を今しばらく延命させる要因となった。
 様々な国出身の人々の意見を集めるのは容易ではない。宇宙飛行士の選抜試験にはコミュニケーション能力が含まれる。特に一般人が多数を占める空間では何が起こるか? 言語が通じないことによるストレス。二度と祖国の土を踏むことが叶わないことへのストレス。圧力が生み出すものは即ち、フラストレーションの噴出である。
 食料問題の最も簡単な解決方法は何か。口減らしである。自らを生かすために、他者を切り捨てることを選択したのだ。スペースコロニー初の殺人は、民主主義議会が決したのだった。
 コロニーは保守点検を行わなければ維持できない。船外活動が可能な宇宙飛行士、そしてコロニーを維持するための科学者は口減らしの対象から除外された。即ち金に物を言わせて船に乗った一般人のうち、まず英語を解さない者がその対象と議決された。今や資本主義は意味を持たなかった。人類は混乱の最中にあった。人類は自らの保身しか考えず、生き残るために互いを殺し合った。結果として想定以上に多くの命が失われた。
 人類が倫理を、種の保存を思い出したのは、蓄電の技術が開発され、安定的な食料の供給の目処が立ってからだった。事故から十年の時が流れていた。コロニー外の人類の存続は絶望的だ。だが万が一、億が一にも人類が生きているなら、もし地球に戻ることができる日が来たなら——。一縷の望みをかけて、人類は繁殖を始めた。
 遺伝的多様性を維持するためには人類の繁殖を制限する必要があった。だが始祖たちは管理することを放棄し、本能に任せるがままの繁殖を続けた。他に娯楽がなかったからだ。人類の存続を言い訳に多産DVが横行し、一人の男が何人もの女を孕ませ、異母兄弟が生まれた。家族しか信じられないと近親相姦が横行。生殖年齢が引き下がり、子が子を孕み、世代交代はより早くなっていく。人類は徐々に袋小路へと陥っていく。
 通常より早いスピードで繁殖を続けた結果、わずか百年の間に創始者効果が現れはじめた。創始者効果とは隔離された個体群が新しく作られる時、新個体群の個体数が少ない場合、元になった個体群とは異なった遺伝子頻度の個体群が出来ることを言う。つまり、近親交配による遺伝子疾患や不妊症を持つ個体が多く発生した。血は水よりも濃いと言うが、我々の血はそれよりも更に濃くなった。地球の底に流れるマグマのように。
 そもそも最初の議会で間引いていなければ、死神の歩みはもう少し遅かったはずだった。だが元より最小存続可能個体数を下回っていたのだ。ただ愚かにも、自ら時計の針を進めてしまっただけで。
 更に時を下ると、死を目前にした始祖たちがコールドスリープの技術を完成させるよう、技術者たちに詰め寄った。その頃には世代交代がなされ、技術者の家系も二世へと引き継がれていた。
 だが遺伝子的多様性を自ら潰してしまった資産家たちに嫌悪が募るのは、当然のことだっただろう。今や彼らの名前は、記録から失われている。
 コールドスリープは自らの保身のためだけに要求をする、自己中心的な人間のために供するような軽い技術ではなかった。もっと科学技術を後世へ残すような目的で使われるべきだ。技術者たちは彼らの要求を拒み、自らの家系の始祖たちだけを眠りに就かせた。だが研究途上のコールドスリープ装置では復活させることは叶わなかった。たとえそれが二日後のことであっても。
 神は土塊から男を作り、その肋骨から女を作った。生めよ殖えよ地に満ちよ。人類はたった二人の始祖から七十億もの同胞を獲得した。ノアの箱舟では様々な動物の番が乗せられたが、果たしてたったの一組で、地に満ちるほど繁殖するに足りたのだろうか。
 進化論を信じるか創世論を信じるかは個人の自由だ。だがこのスペースコロニーは進化論を前提として設定された。一ヶ月の試験航海を終えた後、スペースコロニーへの植民が始まる予定だった。植民計画での募集条件は血縁関係にない、繁殖可能なペアに限ると条件付けをしていたからだ。
 やがて人類は言語を統一させることを決めた。あの悍ましい惨劇が二度と起きないためには、全員が共通言語を用いることが必要だと結論づけられた。地球市民コスモポリタンとして生きるために。コロニーで生まれた子孫たちは、最早言語や文化の保存を考えなかった。もう既に遠い故郷のことである。現代のバベルの塔たるこのコロニーも、いつかその傲慢さのために再び打ち崩されるだろう。
 そして更に時代が下り、遂に終末を迎える日が来た。
 最後に残された末裔はたった二人の男女だけだった。後期のコロニーにしては珍しく、双子だった。彼らの母は彼らを七歳まで育て上げると、眠りについた。彼女は七歳までは神の子だと、祖先の誰かが言った言葉を信じていた。言語こそ統一されたが、どこかの国の思想や文化は断片的に残されていた。
 やがて彼らは「あなた」と「私」と呼び合うようになった。他の個体と区別をする必要がなくなったからだ。世代を経て語彙力は低下し、地球への望郷は薄れ、コロニーを維持するための技術も途絶えてしまった。ただ残されたのは、繁殖しなければならないという最も原始的な衝動と、お互いへの親愛だけだった。
 二次性徴が始まってすぐ、二人は生殖を始めた。最も原始的な方法で。それは言語という意思疎通手段に劣る二人が愛を確かめる行為でもあり、愛を育むための行為でもあった。結果として子が生まれ、実を結ぶための行為だった。だがその想いも虚しく、彼女は幾度も子を孕んだが、そのうちの七人が流れた。無事に生まれたのはたったの三人だった。だがその三人も皆先天的な疾患を持っていたか、弱って死に至ってしまった。
 最後の一人を看取った時、彼らはまだ二十代だった。だが、彼らはもう疲れ切ってしまったのだ。種を存続させることに。あれだけ愛し合っていたのに、今やもう互いを労る気持ちなんて微塵も残っていなかった。
 彼らは不完全なコールドスリープ装置で眠りに就くことを選択した。もっと早く眠りについておくべきだったのだ。繁殖に嫌気が差す前に。まだ愛が残されているうちに。
 そうして人類は永遠の眠りについた。箱舟の行方は、杳として知れない。

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この作品は第2回日本SF作家クラブの小さな小説コンテストの共通文章から創作したものです。
https://www.pixiv.net/novel/contest/sanacon2
表紙画像はNASAのフリー画像から。

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