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街の中にいる神様

こんなことを書くとおかしいと思われるかもしれないけど、私は街の中にはふつうに神様が人間の形をして存在していると思っている。

数カ月前、パートを終えて自転車で家に向かっていたら、一人のお爺さんが標識のポールに背中を預けて休憩していた。
私の家からほんの1分くらいの所だったので、家に自転車を置いてから様子を見に行ってみたら、まだそこに立ったままでいる。
「何かお困りですか?」
と声をかけると、お爺さんはこちらにゆっくりと濁った瞳を向け、斜め掛けしていた小さなショルダーバッグから、使い古されたメモ帳とペンを出すと、「タクシーを呼んでください」とかすれた文字で書いた。
どうやら耳が聞こえないようだった。
「どこまで行きますか?」とメモ帳に書くと、お爺さんは近くのドラッグストアの名前を書いた。
失礼になるかなと思いながら「お金はありますか?」と書くと
「あります。ありがとうございます」と。

私は配車アプリでタクシーを呼ぶと、タクシーの運転手さんに目的地と耳が不自由なことを告げ、お爺さんの手を引いてタクシーに乗せた。
骨と皮のような細い手で、歩くのがやっとのようだった。
タクシーに乗せたとき、お爺さんのショルダーバッグの中がふと目に入った。そこには造花のような菊の花が数本入っていた。
その花を見たときに、どうしようもなく胸を衝かれた。

一度家に戻ってから、そのドラッグストアに自転車で向かってみた。
買いたい物もあったのだが、もしお爺さんがタクシーを降りてから困っていたら?と思ったのもある。

ドラッグストアに自転車を停めてあたりを見渡してみたが、すでにタクシーもお爺さんの姿もなかった。

その時ふと、もしかしたらあのお爺さんは神様だったかもしれないな、と思った。どうして?と言われても困るのだけど。

私が出会った神様たちは、いつも弱い者の形をしていた。
ある時は丸の内のイルミネーションの光が届かないベンチでずっと座っていたり、ある時は終電近い地下鉄の改札前の柱に寄りかかっていたりもした。
私は彼らと少しだけ話して、私がその時持っているもの(それは少しのお金だったりパンだったりタクシーを呼ぶことだったり)を渡した。
彼らはみな、とても綺麗な言葉でお礼を言ってくれた。

本当は、彼らが神様じゃないことは分かっている。
だけどあまりに生きにくいこの世界で、どうか生きて、生き抜いてほしいという気持ちから、神様だったらいいのにな、と思うようになったのかもしれない。

優しくないこの国で、他人に関心がないこの街で、優しく生きるのはとても大変だ。
優しい言葉を失わないで生きるのは、とても大変だ。

#創作大賞2024
#エッセイ部門


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