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『別れを告げない』を読んで

ハン・ガンさんの長編小説『別れを告げない』を読み終えました。

2024年4月に日本で発売され、発売当初に神保町のCHECCIRIさんに買いに行くとちょうど売り切れていて、やっと手に入れることができました。
このタイミングで読めた偶然により、私のこの物語に対する解像度がすごく上がって、まるで主人公と一緒に済州島の雪の中に放り出されたような、そんな気持ちで読みました。

本の感想を書く前に、今年5月に大阪に行ってきた話を書きたいと思います。


(3月に済州島の済州4.3平和公園の記念館にも行ったのですが、その時の記事はこちらです)

大阪コリアタウンで食べたもの

5月に大阪旅行が決まった際、ぜひ大阪のコリアンタウンである鶴橋と、済州にルーツを持つ方が多いという生野にも行きたいと思ったのは、済州4.3平和記念館で、済州島での弾圧から逃れるために日本にまた引き返すように戻った人たちの多くが大阪に戻ったという記録を見たというのもあると思います。

でも、本当のことを言うとそんな真面目な気持ちよりは、鶴橋で何か食べて、生野まで歩いてまた何か食べて〜という安定の食べ物フォーカスでした。

ネオンサインが可愛い鶴橋の入り口

鶴橋駅を降りてすぐにこの可愛いネオンのある通りに出ます。
食べ物屋の間に服屋が挟まっていたりするところに韓国を感じる。

こちらはもうちょっと渋めのビジュアル

ゴールデンウィークなので、人出も多く、どのお店も長蛇の列でした。
それでも頑張ってありついた済州島のソジュ、ハンラサン。
なんだろう、東京のお店だと置いてあるところ少ないので、すごく嬉しい。

真昼間です
カルピスじゃないんだぜマッコリなんだぜ

結構暑い日だったので、嬉しい冷麺。

さっぱりして美味しかった

そして、このかき揚げのようなサクサクのチヂミ!!!!

これだけで永遠に呑める

お店はこちらです。
お名前が大阪一ってなってるけど、店の前には福一という看板も出ていて、どっちなんだい?となりますが、場所はここです。

ハンラサンとマッコリを気分よく飲み干して、生野のコリアンタウンに向かいます。

大阪コリアタウン歴史資料館

酔い覚ましにふらふら歩いていたら、この大阪コリアタウン歴史資料館の前を通りかかりました。
これは、入らないといけないんじゃない?と。
入館料300円を払って入ります。

入口に大きな石碑があります

中にはこういうポップな感じでコリアタウンを紹介しているものや、韓国語で書かれた本などがたくさん展示されていました。

わかりやすいMAP

ソジュとマッコリのせいで撮ってる写真が全部傾いてる、、、、嘘でしょ。

いい作文なのに曲がってんのよ
曲がってる、、、
微妙に曲がっている

そしてちょうど、館内では「君が代丸に乗ってきた済州人(チェジュサラム)済州ー大阪直行航路開設100年」という展示が行われていました。

その展示を見ながら、職員の女性とお話しすることができました。
「実は、3月に済州島に行ってきたんですよ」と私たちが言うと、彼女は自分も済州島出身であるということや、4.3の時におじさんが捕まり収容所に入っていたこと、その後済州島の収容所から木浦の収容所に移送されて、多分そこで亡くなったのではないかというお話をして下さいました。

(ほんと、ソジュ飲んでほろ酔いで聞く話じゃないのよ、細かいお話全部忘れてんのよ……)

あの済州4.3事件の平和記念館のどこかに、彼女のおじさんの名前も刻まれているのだろうか、きっとそうなんだろう。
年齢などは聞かなかったけれど、彼女の年齢から推察するにきっと若い青年だったのではないだろうか。

あの平和記念館で見た数々の顔写真やお名前が、急に身近に温度を伴って迫ってくるような、そんな瞬間でした。

『別れを告げない』を読んで(感想)

そして、先日、ハン・ガンさんの『別れを告げない』を読み終わりました。
読みながら、済州島の風の強さを思い出していました。
そして、語り手のキョンハと一緒に前も見えなくなるような済州島の雪の中に放り込まれたような気分になりました。

(以下、まだ読んでいなくてネタバレしたくない人はUターンしてください)

たぶん、物事というのは白黒つけられるような、二つから選べるようなものは少ないのだと思う。
正しいか間違っているか、善か悪か、夢か現実か、生か死か。

ただ、ここに描かれている済州4.3事件での島民の虐殺についてははっきりと間違っていたし、悪だったと言える。
虐殺シーンの描写を読みながら、インソンの母に起きた出来事が、わたしが大阪コリアタウンで聞いたお話と被り、きっとあの方のお母さまも同じような想いをされて生きてきたのだろうと思うと胸が詰まった。

そういえば、少し話が脱線するけど、職員の方のお母さまは、職員の方が年頃の頃、家に男子から電話があると「あんた誰や?」くらいの厳しさで出ていたけど、同じ苗字の男子だと安心してすごく応対が優しかった、と。(同じ苗字だと恋愛対象じゃないということだったんでしょうね)
で、その苗字がわたしが済州島で一番素敵だなと思った”三姓穴”で見た、3つの苗字のうちの一つで、名札を見せてくれて「おおおー」となりました。
ものすごい余談でしたが、こういうのも、偶然行った場所の点と点が繋がっていく感じでとても面白いなと思います。

さて、感想に戻ります。

陳腐な質問だけれど、もし、この物語の主人公は誰か?と問われたら、インソンの母親だと私は言うと思う。晩年認知症になって亡くなった小柄で物静かなインソンの母。
彼女が一人称で語る事はなく、いつもインソンかキョンハの見た”インソンの母”の姿で語られる。そして物語の後半で、インソンの母の存在感は苦しいほど色濃くなり、愛を原動力にしたその忍耐強さに圧倒される。

インソンはその母を看取った家で一人暮らしながら、母が悪夢をみないようにおまじないをした布団が片隅に積まれた家で、母の存在の圧倒的な濃さを感じたのだろう。

鳥たちが、生きているのか死んでいるのか。
インソンが、生きているのか死んでいるのか。
インソンの叔父が生きているのか死んでいるのか。
キョンハが見たものは夢か現実なのか。
それは最後まで分からない。

時に、”霊”(多分日本語の霊とはちょっとニュアンスが違う気がするがどうだろう)というものは、生死の境目を超えてくるような気がする。そして夢と現のあいだも超えてくる。
真っ白な吹雪に覆われた周りに民家のない済州島中間部の家。蝋燭だけの光の中、曖昧なものが曖昧なまま存在できる時間。
そういう時間の中でしか邂逅できないもの。
そういう時間の中でしか理解できない種類の愛。

作中に、浜辺で虐殺された人の描写があり、実際にその場所はここだろうというあとがきを読みながら、NaverMAPでその場所を調べた。
そこには美しい白い砂浜とただただ澄んだ海があった。また済州島に行く事ができたら、その場所に行ってみたいとMAPにピンを立てた。

訪れた済州島と大阪とこの本の中とで1948年と2021年を行き来する感覚、そして2024年の今、パレスチナの地で多くの人が虐殺されている事実に、時折めまいのようなものを感じながら読み終えた。

(おわり)


小説を、物語を読むとはこういうことだな、という感覚を久しぶりに味わいました。
なんか、重いかもしれないけど、この本とかで読書会とかできたら良いなぁと思ったりもしていますが、今はちょっとバタバタしているので(キムソクジンさん戻ってくるので!!!)、再来週、韓国から戻ったら考えたいと思います。
長い文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!
では、また!



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