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【マルチ投稿】アステリアの鎖_第二十九話【因世】

「私のノルンの三翼さんよくは、発動するには条件がある。一つは肉体のある触媒。触媒の介在した過去の世界でしか、世界を観測することができない。私は私の望みを叶えるためには、絶滅した亜神か天使の血筋を探す必要があった。遠い祖先から遡り、受け継ぎ、細胞レベルに染みついた過去の記憶をよみとるためには、出力を補う「増幅装置」が必要だった。それが、君だ。君は今、私とガイウスと繋がり、過去の旅に出る。旅が終われば、君は新たな見識を得るだろう」

――っ!!!

 全身にびりびりと電流が走り、先刻では比にならない激痛が全身を襲った。

『蛇ちゃん、おねがい』

 痛みに耐えかねて、ティアはドレスに潜んだ金色の蛇に命令する。

『わたしを引き裂いて』

 この肉塊から解放されて、早く楽になりたい。
 もう何も考えたくない。

 拷問さながらの肉体改造に屈した心は自らの破壊を願う。
 肉塊に埋もれた末姫は自身の異変に気付いていない。
 全身の血という血が黒に変色し、濃厚な林檎の香りを放っている。
 ぐちゃぐちゃと音を立てて、肉塊と混ざり合う光景は腐った林檎を想起させ、グロテスクを通り越して吐き気を催すものだった。

 蠢動する蛇たちはためらうも、ティアの痛覚神経に働きかけて激痛を緩和させつつ、喰いあらすように彼女の肉体に襲い掛かり、その合間を黒とピンクが混在した肉塊がかきまわす。

 感覚がねじ曲がり、意識が反転し、世界がまわる。
 痛みが失せた代りに現われた、狂わんばかりの五感の強襲。異物と異物が癒着し、結合し、物理法則を無視して質量を肥大化させながら、肉体が作り変えられる暴力的で忌まわしい不快感。

 あぁ、死ねない、死ねない、死ねないいぃっ!!!

「君に死んでもらっては困る。それに君はそんなことでは死ねないように、【生殖機せいしょくき】を設定したんだ。もう25年前の話だけどね。当初の君たちは【前支配者オールドワン】を欺くための、生殖用の青バラ――歩く丈夫な性器みたいな役割だったのに、ここまで化けるなんて想定外も良い所だよ」

 侮辱的な単語を投げかけられて、ティアの意識が浮上する。
 だが、なにをしようとも、もはや体が原形をとどめていない。抵抗することは不可能に等しい状況の中で、諦めきれない部分が叫んでいた。
 それでも! と叫び、拳を振り上げたい狂わんばかりの意思があった。

 遠くで満足げに頷くアステリアの気配に、ティアは声のない声を上げる。

「さぁ――」

 促すように声をはりあげるアステリア。声とともに反響する試練の間には、白くて眩い閃光が縦横無尽に空間を走り抜けて、収束して、弾けて、拡散する。

「過去へ」

 見えない力にはじき出されるかのように、ティアの意識は彼方へ飛んだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 一瞬、自分は鳥になったのかと思った。

 背に生えた大きな翼は眩い白銀で、巨躯きょうくの身体は鎧のような筋肉をまとっている。
 
――まさか、天使。

 魔王によって絶滅に瀕し、現在は半巨人となった存在。
 アステリアのノルンの三翼が、ガイウスを触媒として作用したからこそ、いま自分は過去の世界を体験しているのだろう。
 
 となると、この男はガイウスの先祖でしょうか?

 デタラメに翼を動かし、ローブをはためかせて空を滑空する様は、鷹に追われている小鳥のようであった。
 いかめしい表情に恐怖を貼り付けて、全身から滴る汗は雨水のごとく地上を湿らせて、地面を黒く染め上げる。

「た、たすけてくれえええええええええええええええええええええええ」

 天使である男は飛翔しながら絶叫した。
 哀れにみっともなく、恥も外聞も殴り捨てて、背後から追いついてくる豆粒のように小さな追跡者に恐怖の悲鳴をあげている。

 もしかして、あれが魔王 マキーナ。

 先刻の痛みと恐怖を忘れて、ホビット族の好奇心がティアの意識を浮上させる。

――魔王。
 深紅の巨体に輝く藍色の翼を持ち、その存在は呪いそのもの。
 歩くだけで世界をゆがめ、動物は本来の姿を忘れて魔物となり、海と空を暗黒に穢し、大地を枯らして毒の呪いをかけ人々をの地へ追いやった。

 けどあれは。

 生物的な形状ではなく、鋼で出来た人形のような形態。
 輝く藍色の翼は、翼というよりも膨大な魔力の炎を出力して、熱波を放出しながら飛翔している仕組みであり、深紅の巨体は林檎のような光沢を放ちつつ、鋭角のデザインを前面に出した装甲だ。

『驚いただろう。魔王の正体は巨大ロボットだったのさ』

 アステリアの苦笑交じりの声に、ティアは眩暈を覚えた。

 あの、ろぼっと、とは?

『うーん、君たちで言うところのユピテル語で、巨大魔導人形という認識で良いと思うよ。というよりも、私がわからない単語を発したら、それはユピテル語だと思えばいいし、そういうものだという認識でいてくれると助かる』

 は、はぁ。わかりました。

『うん、素直でよろしい』

 ティアの言葉に満足げに頷くアステリア。別の場所で、彼女がファウストと噛み合わない会話で、苦労していることを知らないティアは、ただただ困惑するしかない。

「ハハハハ、馬鹿め! こいつはおとりだァッ!」

 ぐわんと世界をゆする声量が大気を震わせた。
 魔王と天使の間に割って入る、天を突く巨体。天使よりも何倍もの質量を持つ存在は、伝承を紐解くとするのならば亜神族なのだろう。
 ティアの意識が天使から離れて空に溶け、見下ろす形で世界を俯瞰する。おそらくアステリアが、この場面の続きを観たいからだ。本来は過去の世界の観測範囲は、ガイウスの血脈だよりであるのだが、増幅装置の存在が観測息を拡張させているのかもしれない。

「任務御苦労! ここはわれに任せろっ!!!」

 威勢のいい言葉であるが、歴史を覆すことはできない。
 すでに、魔王の勝利は確定されている。

 音速を超えるレベルで振り下ろされた剣は、周囲に衝撃波を広げて、まともな存在ならば剣が到達する前に粉砕される。
 そう、まともな存在ならば。

「ぐ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 吼えるような絶叫が世界を揺らし、おびただしい亜神の血が海を汚して多くの生物を殺した。
 折れた剣の破片が宙を舞って流れ星となり、剣を掴んだまま引きちぎられた手は鮮血に塗れて転々と大地に転がった。

 な、なにが起こったというの。

 ただ痛がっているだけではない、尋常ではない様子だった。
 亜神が泣いている。絶大的な力で引きちぎられて、噴水の如く噴き出している上腕の切断面を見て恐怖する。
 その反応は、まるで肉体が傷つくこと自体を初めて知ったかのようだった。
 魔王に斬りかかった勢いがみるみるうちに消失し、狼狽えて、助けを求めるように視線をさまよわせも、待機しているはずの囮役の天使はいない。
 賢明な天使は、自分を縛る絶対的な命令が下る前に、その場をあとにしたからだ。

「あああああああああああああああッ!!!」

 恐怖に駆られた亜神は、魔王を追い払おうと無事な方の手を力いっぱい振り払うも。

「――あ」

 ごとりと巨大な首が転げ落ちる。
 目を見開いた間抜けた表情のまま海に着水し、そのまま溺死して息絶える。

 巨大な生首が、海に転がる光景にティアは絶句する。巨木が倒れるように、頭部を失った亜神の身体は多くの地形を変形させながら大陸に倒れ込み、大陸そのものが割れそうになった。

 あまりにも現実離れした破壊の規模だった。自分の常識とは逸脱している壮絶な光景にティアは絶句するも、次の疑問が生まれる前に亜神の身体と頭部が、みるみるうちの消失した。
 消失する間際に見えた虹色に煌めく揺らぎと、嗅覚を刺激する濃厚な林檎の香りに、消失したはずの口から「ウッ」とうめき声が出そうになる。

 そんな、死体はどこに?

 『まぁ、そう慌てるな。これから、君にとっても重要な場面を観ることができるよ』

 なにを。

 魔導姫の言葉には、ある種の意地悪さが潜んでいた。ティアの無知を嘲笑うような、憐れむような、上の立場で物を見る驕慢な態度でもって、残酷な真実を突き付ける。

 魔王が鋼の手を掲げると、清浄な光があたりを包み込み血で汚れた大地が清められて、青炎の翼を吐き出していた筒状のパーツから、黒い粒が無数に排出された。

『メディカルポット……だと、彼らは言っていた。亜神の毒を中和する効果があるらしいが、中和のタイミングが遅れると、ポットすらも同化させて化け物になるという』

 …………。

 アステリアの言葉にティアは沈黙する。
 自分が魔王の真相に触れている実感があるものの、すべてを信じるには彼女の視野は狭くて、人生観は未熟だった。

 だが見せつけられている光景で、魔王はティアの知らないテクノロジーで破壊された世界を修繕し、戦いに巻き込まれた犠牲者をメディカルポットという黒い物体で治療しようとしている。

 だが、このメディカルポットは、まるでブドウの粒のようにツヤツヤとした黒い球体は、どう見てもディルダンで観た魔物の標本そのものだった。核となる生物を取り込んだ初期状態の魔物のはずだった。

『じつは魔王は魔王じゃなかったって言ったら、君は驚くかい?』

 …………。

『無言か、まぁいい。私もアレイシアも真相を知ったのは、魔王を封印した後なんだからね』

 アステリアの言葉には苦い後悔が滲んでおり、それほどの愚かでもない中途半端な賢さを持つティアの心を打ちのめす。彼女の言葉が持つ重さと真実が、オルテの末姫の予想をはるかに超えて、ティアの頭は考えることにブレーキをかけようとする。

 うっ、イタ。

 自分の中で蠢くひも状のナニかが、脳に食い込んで浸食した。無理やり明瞭となる意識には、幻想へと逃げる妥協も、肉体的な疲弊から意識を逃がす生理現象も許さない、残酷で拷問じみた激痛が脳を焼く。

『諦めろ。君はいま、システムの一部となったんだ。中途半端に休んだり思考停止すると、増幅装置の一部である君自身が消滅することになるよ。まぁ、私も君も、その方が都合がいいのかもしれないけど』

 ティアはなんとか自分を納得させようとした。
 いつもと同じように、重たい石を飲みこむような要領で、向き合う現実に折り合いをつけようと自身に我慢を強いた。

 いつかの自分はファウストに言った。

『なんでわたしたちは、いつも分かり切った問いかけをするのでしょうね。結局、答えなんてわかりきっているのに』

 この自身から出た浅はかさが恨めしい、まるで自分が世界の中心になっている物言いで、現実は自分の予想の範囲内で収まっていると信じている。

『さぁ、続きを鑑賞しようかな』

 アステリアの声とともに場面が変わる。
 天を突く巨体をもつ亜神族が住まう居拠。次元を切り取って、デーロスと断絶した別世界は、月の如く不毛な荒野と頭上には無数の星が瞬いていた。風もない音もない、無機質な荒野の真ん中で彼らは人間のように寄り集まり、小人のように小さな天使たちが亜神たちの間をせわしなく飛んでいる。

「まさか彼奴等きゃつらは、本気でやるつもりなのか。正気かっ!」

 突如、白いひげを蓄えた亜神が声を荒げた。
 囮役をしていた天使の報告を訊き、同族が殺害された事態に動揺して取り乱す。

「あぁ、なんてことだ。このままでは亜神族は絶滅する。使命を果たせなくなる」

 行き場のない感情を吐露すると、のこのこと報告しにきた天使を、その場で叩き潰した。蚊のように潰される天使は、むき出しの地面を血で染めて、露出した臓物を他の天使たちが回収していく。

 怒りに任せて拳を振り下ろす亜神に、年若い別の亜神が話しかけた。

「それはない。我々の絶滅はこの世界デーロスの摂理に反しているからだ」

 現状を確認するように、慰めるように話す亜神の青年は、不安で表情を曇らせる同胞たちを見まわし、力づけるように話す。

「このまま数を減らせば住まう者たちの信仰心が薄れ、我らと天使たちは獣並に退化するだろう。が、このデーロスが我々を見捨てることはありえない。我々は再び復活し、この世界はあるべき信仰心で満たされる。それが何百年になるかはわからない。我らは死んでいるかもしれないが、我らのすえは必ず使命をまっとうしてくれる」

 亜神の青年は拳を振り上げて、同胞たちを鼓舞した。

「人間どもは無駄な抵抗をしているにすぎない! 獣のように知能が落ち、数が増えることになろうとも、それが反撃の狼煙となる!!! 数百どころか数千、数万の数を増やし、本来の姿かたちを取り戻した同胞たちが、この世界を奪還してくれるはずだっ!!!」
「…………」

 力強い言葉が響き、未だに議論を続けている亜神たちを尻目に、仲間の死体を回収した天使たちが怒りの眼差しで亜神たちを見上げている。絶対的な主従関係を結んでいた二つの種族は、亜神の弱体化に伴い、主従関係が揺らぎ始めているようだった。

 巨人族と半巨人族の確執は、自分たちが思っているよりも根深いのかもしれない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 
 人間! 人間がすべての元凶だというのですかっ!

 亜神の言葉が真実だとするのなら、鋼の人形である魔王を造りだしたのも人間である可能性が高い。

『この時代の人間は扱いは、かなりひどいものだったからね。家畜のように扱われて、経済活動も許されず。テクノロジーを発達させれば、天使たちが攻めてくる』

 ですが、それは人間が愚かだからです。人間はこの世界を安定させるための供物であり、遺伝子の箱舟なのですから。

『けど、それは君が周囲に思い込まされてきたことだ。人間はそれしか取り柄がない下等生物だとね。君の父親が純血の人間にも関わらず、君だってざっくりとすれば、人間のハーフであるに関わず。君や周囲の個体たちは、人外の血が一滴でも入っていれば、人間ではないと清々しいほどに断言している。その根拠はどこから来ているんだ?』

 …………。

 ティアの人間に対する憤りに対して、アステリアは容赦なく切り込んだ。
自分のことを棚に上げて、人間を糾弾する傲慢さを皮肉り、人間のハーフとして生を受けたにもかかわらず、まるで自分が人間以上の存在だと思い込んでいる彼女を蔑む。

『人間の気持ちを理解できるように、感覚や頭を弄ったんだけど、どうやらまだ足りないようだね。次はどこを弄れば、君は理解してくれるのだろうか』

 イヤッ! 人間の理解なんかしたくない。
 だって、みんな、みんな、頭がおかしいのですものッ!
 被害妄想が酷くて、周囲を妬んで僻んで、独善的で自己陶酔に酔っている。
 こんな種族は、きちんと管理しないと周囲を不幸にするだけです。

『わかった。育ってきた環境と教育の重要性を君を見ていると痛感するよ。では、この議論はここで打ち切るとして』

 近くでアステリアがため息をつく気配を感じた。
 失望のため息だった。

【つづく】

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