【マルチ投稿】アステリアの鎖_第三十一話【後義】
あ、あぁ……。
あまりにも凄絶な光景に、ティアは目を覆おうとしたが、その手はすでに形を保っていない。
そもそも今のティアはガイウスの通して、過去の世界と一体化させているのだ。
問答無用で視覚を殴りつける、赤と黒の晩餐。
無数の人間で作られたオブジェが食い破られ、蹂躙され、血肉の花畑が広がり、絶叫が讃美歌のように空間を響かせて、本能に命じられるまま数多の命が食い散らされる。
水晶が砕けちるかのように、尊厳と気高さと品位と威厳と厳格さもプライドも、自分自身を保つなにもかもを投げ捨てて、混沌とした黒い嵐が渦巻く地獄。
捕食者も非捕食者も関係なく、そこにあるのはシンプルな飢餓。
飢えを満たそうとする炯々とした瞳――奥底にある強い意志が、ティアの奥底に押さえつけてきたものに触れてくる。優しく手を伸ばして、親側が子の頬にそっと手を添えるようなしっとりとした手つきで、本来ならば宝物のように扱わないといけない部分だといわんばかりに。
「うっうぅ……」
それが、アステリアによって調整された人間に近い感性が悲鳴をあげる。ドワーフやダークエルフへの殺意が唸り声をあげ、夜族の部分が血肉の饗宴に喉を鳴らす。
狂わんばかりに溢れてくる分裂する自己。中心をなしている、飢餓感が紫の瞳を輝かせて叫んでいる。それと同時に、殺してくれと叫んでいる。
「あぁ、なんてことだっ!」
亜神の一人が声をあげた。
流れ込んでくる亜神の動揺。取り繕う余裕のない焦り顔には、明らかな恐怖が浮かんでいる。
無残に食い散らかされた生命の樹と揺り籠、接続機、人間を素材に作り上げられた因果律を捻じ曲げる聖杯を食い破り、激減した種族数を回復させたにも関わらず、彼奴等は狂気的に病的なまでに飢えている。
「まだ、まだ足りないというのかッ」
亜神たちは焦った。はた目で観れば巨人を散り囲む無数の蟻の群れであるのに、蟻たちの瞳は一斉に自分たちに向けられて、さらなる贄を催促している。
「なぜだっ! なぜなんだっ!!!」
自分たちはデーロスの頂であり、捕食対象にならないように各種族の祖先たちを改造して、本能レベルまでにプログラミングしてきたはずであるのに、飢えが本能を凌駕し始めて捕食の触手を自分たちに向けようとしている。
この時、亜神たちは気づいていないのだ。
彼らの狼狽える様を愉悦を持って眺める種神が。彼方の時空で新たな世界を産み続けながら、自ら生み出した存在が苦しんでいるさまを、目を細めて愛おしげに眺めている。
我が子ともいえる存在の、
苦悩している顔が、
救いを求める瞳が、
問題を解決しようと懸命に取り組む姿が、
どんなに足掻こうともすべてが裏目に出て、
泥沼にはまるがごとく、
どうしようもない絶望に、
足掻き苦しむ滑稽な存在として――。
種神は自身の愉悦のために、亜神をわざと不完全な存在として生み出したのだ。
亜神たちはついに逃げ出した。重力を操って宙を蹴り上げて、一斉に別の次元に飛び立っていった。
火事場から逃げるように、一人、また一人と。
その時に、何人かの人間が、彼らの衣服へとりついていたことに気づいていない。
【ユルサナイ】
亜神によって体を改造されて、寿命で死ぬことが出来なくなった彼ら。生命の樹の世話と揺り籠を完成させるために、元居た世界から連れ去られて無休の牢獄に繋がれていた人間たちは、数多の要因と幸運の積み重ねによって地獄から逃げ出すことが出来た。
彼らにはマナ神経肝が埋め込まれてはいないが、亜神から取得した知識があり、聖胚の一部となったことで得た力がある。
【ユルサナイ】
彼らは生き地獄から生還した喜びよりも、さらなる地獄を求める憤怒があった。冷たく焦がれる復讐心が、同胞たちの無念が、身勝手なデーロスの生きとし生ける者たちを呪わずにはいられなくなる憤懣が、彼らの生を支えている。
【ユルサナイ】
種神はこの展開に喜んだ。さらなる争いと復讐が、デーロスを黒く彩って赤い血を滴らせるのだ。
さらなる怒りを、
さらなる復讐を、
さらなる渇望を、
もっともっともっと……っ!
…………っ。
種神の意思を読み取っていたティアは、自分を見つめ返してくる視線を感じた。見えない槍で体を貫かれた冷たい衝撃と、彼女自身に迫ってくる存在感。壁に飾られている絵画の貴婦人が、いきなり振り返ってこちらを見てきたような不気味さと、畏怖と、本能的な恐怖が、肉塊と一体となった体に、くっきりと人型の怖気を走らせる。
【誰だ】
問いかける声――というよりも思念には、この状況でさえ喜びを感じる狂気があり、形容しがたい邪悪な塊がこちら側に浸透していくような不快感が神経に障る。ティアの傍らにいるアステリアは息を呑み、うめき声を発していたガイウスすらも口を閉ざした。
捕食者よりも、さらに厄介な相手に見つかった恐れに目の前が暗くなる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『く、いやっ』
いきなり悲鳴をあげるアステリアの声に、ティアはびくりと自分の一部を震わせた。まるで無力な小娘の声をあげる魔導姫が、試練の間にある大理石の床で悶え苦しんでいる映像が見えて、直接心臓を鷲掴みにされた心地になった。
ガイウスとティアの存在を通じて、過去の世界を観測していたアステリアは、過去からの不測の干渉に、ダイレクトな攻撃を受けたのだろう。
『ぐ……うぇ……』
潰されたカエルの声を出し、全身を痙攣させる魔導姫。彼女に覆いかぶさる巨大な存在の気配からは、新しい玩具を見つけたような悦びと、無垢な執着心とがない交ぜとなって彼女の肉体に注ぎ込まれる。
【呪いあれ、呪いあれ】
『ぎ、ぎぃいぃ』
そこにあるのはシンプルで絶対的な上下関係があった。
アステリアから伝わってくる痛みが、繋がっていたティアとガイウスに派生して、魂の奥底へと汚れた爪が容赦なく突き立てられる。
【快、快、快、快】
痛みで遠のきそうになる意識の中で、種神が嘲笑う声が響く。
気に入った物を、わざと傷つけて独占する子供の如く、残酷で無邪気で予測がつかない《《うつろわざる神》》がアステリアに腰を振る。
「いっ――」
ティアの本能が告げていた。
もう自分は、逃げることができないことを。
自分だけではない、ガイウスもアステリアもだ。
魅入られたこの瞬間に、この三名は種神の玩具となり運命に縛り付けられた。
『うぶっぶ、ぶぶぶ……』
やがて、苦痛に耐えかねたアステリアは時に白目をむいた。種神からもたらされた膨大な情報量が、彼女の体を構成させているナノマシーンの限界を超えたのだ。
【嗚呼。其方も、其方等も】
この世界を創造したであろう白痴の邪神は、自身の欲望に従ってさらなる地獄を作ろうとしていた。
――やめてっ!
ティアは悲鳴をあげる。
種神の冒涜的で邪悪な試みを阻止する方法。
この現象は、過去へ干渉に由来している。魔導姫がまだ自分を通じて過去と種神に繋がっているのならば、この世界のためにも繋がりを断ち切らないといけない。
迷っている状況ではない。
それが、自分の命を絶ち切ることになろうとも。
「ウッ」
ティアは意識を集中して蛇たちに命令を下すよりも前に、鈍音が聴覚を刺激した。ガイウスが自身の身体を絶叫しながら引き裂いて、血しぶきをまき散らす。過去への触媒となっている自分が死ぬことで、種神の干渉を阻止しようとしたのだろう。
増幅器として繋がっていた末姫は、目前で赤い火花が散るのを感じた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ティアの意識が反転する。
手紙を持つ手が見えて、手の太さと手紙の内容からガイウスの視点だと分かった。
手紙の内容は、レオナールが行方不明になった報せだった。
ガイウスは親としての感情に駆られた。自身の身分を隠してこの国へ密入国し、独自に調査を続けていたところをアポロニウスと出会ってしまった。
「オマエ、外、出れタノか?」
ガイウスは、さも当然のように酒場にいたアポロニウスに当然の疑問を呈する。エルフの国の若き王は周囲に手厚い庇護を受けて、よほどのことがない限り、外の世界に出ることはない。
太陽がまだ高い時刻。魔導車の排気ガスで白くけぶる街の中、アポロニウスの存在はイヤでも目に入り、後をつける形で酒場に入ってしまった。
もしかしたら、自分はわざと誘い込まれてしまったかもしれない。そんなイヤな予感に、背中に生えている翼の付け根当たりが汗でしめる。
「そりゃあ、そうでしょう。娘の晴れ舞台だもん! 応援しなきゃ!」
「…………我れハ、そンナ風ニ、ワりきレン」
能天気にはしゃぐアポロニウスに対して、ガイウスは太い眉をひそめて口を真一文字に結ぶ。
「わかるよー、その気持ち、すっごく分かる!」
まるでガイウスの神経を逆なでるエルフの王は、「お姉さん、オリオンホースのビール二つで!」と、店員を呼んで注文を済ませた。
「……ムぅ」
ガイウスは胸中で舌打ちしつつ、運ばれてきたジョッキを手に取って口をつけた。オリオンホースビール――隕鉄とホップにダイナホースの睾丸を漬け込んだ、この世界ではメジャーな飲み物だ。弾ける炭酸と苦い隕鉄に、刺激の強く濃い液体が喉を通り抜けると、ささくれ立った気分が落ち着いてくる。
酒に逃げるつもりはないが、こんな状況でも酒が美味い。
娘が行方不明だというのに、心配で心配でここ数日、食事も喉を通らず、一睡も眠ることが出来なかった。にも関わらず――おそらく、娘が死のうとも、自分は酒を美味しく感じるのだろう。
「うわー、良い飲みっぷりだねー。かっこいい」
「…………」
自己嫌悪に苛まれようとも、ビールを飲み下した肉体は欲望を復活させて、ガイウスにさらなる食料を求めている。
レオナ。
レオナール・ヴィレ・オルテュギアー。
最愛の娘であり、傭兵家業の己とは違い、ディルダンの、種族間での因縁とは程遠い存在。
世界に羽ばたき、格闘大会で連続優勝をかっさらっていった……いや、それ以前に、己にとってなくてはならない存在だ。娘の存在が、どんなに自分を勇気づけたか分からない。娘の存在は希望だ。巨人族の圧政に苦しむ半巨人族にとって、彼女の存在は救いなのだ。
今回の王位継承の儀式で、レオナールが生き残って彼の地の王になれば、半巨人族の国際的な地位が確約される。内乱の原因を作ったガイウスの罪も雪がれるのが分かってもいる。
だが、感情がついていけない。
最愛の娘を犠牲にするなんて。
行方不明の理由が、生き残るための逃避なのだと思いたい。
「…………」
ガイウスはアポロニウスを睨むように見つめると、相手は視線に気づいていないのか、それとも無視しているのか、まったく気にしていない様子だった。
しばらく、二人は黙ったままで酒を飲んでいると、先に沈黙を破ったのアポロニウスだった。
「ねっねっ、そう言えば、ガイウスとこうして食事するのって初めてだよね。うれしいなー、友達が出来たみたいで」
「ソうカ」
「ねぇねぇ。カーリアのこと、ぶっちゃけ気に入ってたの? きーにーなーるーっ!」
「…………知っテ、ドウスル?」
カーリアにはじつは以前に出会っている。
彼女が王女であることを知らず、一人で夕闇の港に佇み、クロームパープルの瞳を水平線の向こう側へ向けていた一人の学生を。
老婆心から声をかけると、彼女はきょとんとした表情をして、少しの間を置き、弾けるような笑顔で笑いかけてきた「私のこと知らないんだー」と。
その後、二年ぐらい付き合って自然消滅した。
いや、正確にはガイウスから逃げ出した。
生殖機もなしに、半巨人の規格外の肉棒を咥えこみ、喜んで腰を振る彼女の顔には鬼気迫るものがあった。
そして自分たちとの情交をのぞく、冷たく澄んだ緑の瞳が回を重ねるごとに、だんだん濁っていくのが怖かった。
「知りたいの! 知りたいって、思っちゃだめなのかな?」
キンキンと響くアポロニウスの声によって、ガイウスの意識が現実へと戻される。
「ヌ、ヌぅ」
「だってさー、あの時、玉座の場にはぼくもいたんだもん。しかも、オルテ国内のテロ騒動がなんとか収束して、ピリピリしていた時期でセキュリテイーにもかなり気を配っていたんだよ。君がまさか玉座の間に現われて、石碑に触れるなんて思わなかったし、その動機が鬱憤晴らしって納得できるものかなー。おかげで、君の故郷は内戦が起きたジャン!」
わざと唇を尖らせつつ、前のめりの体勢でバイカラーの瞳を好奇心で輝かせるエルフの王。エルフ族の生理的欲求である、知識欲と貪欲な好奇心を前に半巨人の傭兵は若干気圧される。
「そウぃウオ前ハなンナンダ。なンデ今回にカギリ、カーリアのハンリょニナロウトシタ」
「んー。アステリアとの約束だから―」
「ソウカ」
これ以上情報を引き出すことは無駄だと、傭兵としてのガイウスの直観が告げていた。そして、信用できない相手であることも、この男の会話からくみ取ることが出来た。
「うれしいなー、友達が出来たみたいで」
「…………」
その言葉が、アポロニウスの紛れもない本心だと分かってしまうからこそ辛いものがある。
「……我れノ情報網デ、三番目ノハンリょニ、【アトランテ】ノ息子ガナいてイスるトアっタ」
「あぁ、あの【アトランテ】か。そういえば、内戦を裏で仕組んでいたのも、アイツだって噂だったよね」
「ソうダ。ディルダンノ宰相【アトランテ】。我れのジょウホウにヨるト、セキヒのセンベつキジュンガ、スデニかいメイさレテイタカラコソ、アトランテハ息子ヲねジコモウトシた。アイツノムスコが、オルテノえんセキニナルこトデ、ディルダン国内ノはツゲンケンヲ王ヨリモ高メテ、世論ヲ半巨人粛清ヘトユうドうシヨウトシタンダ」
王位継承の儀式に生き残れば、この国の国王になる。
国王が決まったら、次は優秀な【尊き青バラの血】を産ませるために、複数の伴侶が選別される。
伴侶に選ばれた個体は、オルテュギアーの国政に関わることは許されない。が、国際的な発言権を持つことができるのだ。
それゆえに過去、黒くて汚い血が多く流された。
「なるほどねー。イヤイヤ驚いたよ。まさか君に、ここまでの考えがあったんてねー」
「……フん」
「あぁっ! なるほどね。たしかに、近年での君たち半巨人族は、先祖返りに近い現象が起きている。君の翼もその兆候の一つだろう。しかし、主人であったはずの巨人族には先祖返りの兆候が見られない。亜神族に戻れないうえに、半巨人族が天使に戻るって、とんでもなくムカツク現象だ。無駄にプライドが高い種族だから、半巨人族を絶滅させようと考えても仕方がない」
「…………」
「つまり君は、君なりのベストを尽くしたということか」
感心したように頷くアポロニウスに、ガイウスは無言のままジョッキに残っていたビールを飲み干す。
ベストを尽くす。
そうだ、あの時は、場を混乱させてアトランテを息子共々討ち取ろうとした。自分がわざと石碑に触れることで視線を引き付けて、今まで周囲に隠していた鷹の爪で、親子共々、葬り去ろうとしたのだ。まさか石碑が光るなんて思わなかった。なにせ選別の基準にガイウスは該当していない。
――マナ神経肝が健全である。と。
「…………」
ガイウスは熱心に語るアポロニウスから視線をそらす。過酷な傭兵家業で、この男のマナ神経肝はとうに壊れて、代わりにユニークスキルを発現させた。だから、自分が選ばれるはずなんてなかったのだ。
「不思議だよねー。どうして君が選ばれたんだろう。神様がイタズラしたのかなぁ」
この時のガイウスは知らない。
アステリアが過去を覗き、種神に魅入られたことで運命が一本化された。
――つまり、別の可能性。
マナ神経肝が壊れなかったガイウスの世界が混入したことで、石碑は誤作動してしまったのだ。
「サぁナ」
答えは、決められた未来のみぞ知る。
「ねぇ。ぼくの周囲をさっきからブンブン飛び回っている羽虫って、君のユニークスキル?」
「シュひギムダ。カギょウにカかワル」
ガイウスがオルテに関わらず、国際的な発言権を行使せず、スキルを隠しつつ傭兵の家業を続けていたのも、自分のスキルが凶悪であることを自覚していたからだ。
世界はガイウスが飲んでいる【オリオンホースのビール】のように、絶妙で微妙なバランスで成り立っている。
そのバランスを崩し、祖国を内戦に導いてしまったからこそ、ガイウスは世界に対して消極的になり、心は内へ内へと籠っていった。
「かっこいいねー。東洋の虫使いかぁ。ぼくのこと手伝ってくれたら、レオナールの捜索に手を貸してあげてもいいけど」
「…………」
なにげなく発せられた申し出に、ガイウスはしばし逡巡する。
その末路が洗脳であり、テロリストとともにユニークスキル【蟲神の囁き】を使い、国内の情報を横流しして、多くの罪なき命を奪ってしまった。
まさか、オルテュギアーの上層部も、ガイウスが裏切り者であると思わなかっただろう。
【つづく】
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